大東亜戦争と船員の拡充 海務院指導局長 間庭建爾
r海を倒するものは世界を制す」
こハ宮蛮は今日普く人口に捨久してゐるものeふつてまた今日ほど
この言葉山切環に感ぜられることは九わません。世界の陛史を輸入て
も速くは西磨紀元前一千初のフエ一■キヤ山菜柴から紀くは今次大戦前
までの英由山占めたる世界王座にいたるまで一としてこの事耳を#盲
しないものほありません。郷ち】園の興亡成敗が態つて海上槻の襲得
車失にもることは古徒今来一女した串†であb動かぎる鉄則で‰ろと
とをはつきり瓢知するものであbます0
今や大東頭取牢は緒戦の森々たる戦果に上つて札に世界戦史に昔て
見ぎる大成果を収め 御稜威の下同家穂カを牢げてそ山目的完鹿に蓮
進しっつあるのであわます。現下あらゆる産業生産部門に放て伺−つ
取零完亀に不可軟ならぎるものはあむませんが、凡そ糖舶ほどとれを
痛感し切堆にさし追つてゐるものは他にないのであゎます。世界取牢
は正に船舶放であり、胎舶こそ取革の最後山勝利の決定者であるとも
いひ得るのでふります。東西一茶二千埋掩北七千泣かかる庚大なる海
南を舞宅とする作取塗行にあたつて、濫耗平山作故に地力し、無残の
将兵と芙大なる革儒物資とを摘錮紺雨下克く挺身魚幾の任に普わ、成
ほ銃後に放ける各種釆葬薦築に必繁なろ賛材又は国民生活必焦点等几
首の京雫物資の放逸に従事しっつある帝荊商鮨敵山海子一等迅り活和こ
そ我が国民の寸時も忘れてならないところであゎます.†に今日の飴
員の功続牢帝は妨一線の将兵に少しも劣らないものでlります¢
明治元年三月 明治天皇は五箇條の御学文を舞布遊ばされこれと同
時にま布あらせられました抑宴翰の中に「急一二再里ノ披渉ヲ拓閑シ
国威ヲ四方ヱ宜布シ天下ヲ官嶽ノ蛮キ三世カyコトヲ欲ス」と仰せ拾
ふたのであゎ†サるが、との抑竜の「放言ごの時撫が正に今日河
く41)
来したのであります.我々白木窮民は今こそ張
丸
を四方に食布し、大衆碓新秩序を打ち撃Jもつて天下を欝嶽‥安きに
おかんと思召された朝鮭に副ひ奉る光粟を損ふものであbます。
我が国史を見るに太古のことはいぎ知らず史せ∽示すところに従へ
ば、隣組伊押詰、伊♯冊州三杜り紳が天山狩楕に召されて大入洲を平
定し拾け、多くの所々が南天原とわが大入洲との閻を犬∽野橋餌郡山
舟に召されて、往復せられたのでありまT。交通未だ閑けず海酎とて
もないこ山紳代において紗たる朝木舟に身を託して捷囲の件業に砥座
せらかました魯き御捕轡1そほ、狗に永劫に亙つて大和托族山血管小
に眼々として流れる血糊でなければなりません。さらに下つては、
紳武天畠り御楽墟に際し水師な窄ゐさせられ.日向御故瑞以来田島濱
海沢と囚はせられて浪花津に御上陸、更に増じて海路を江回網野灘の
売渡を竣がせられて璃紀州に御上陸、大和に入つてここに能代不易山
捷困n礎を壌かせ姶ひしが如き、或は紳功舅后が希いお身をもつで御
日ら遠く海軍を率ゐて≡韓を征伏し、大和民族大陸襲踵の開策を明示
せられたるが如さ何れもこわ所托の得々眼階すべ不滅n成長であb、
国民持紳でなければなりませんn我々大和托族はこの悍大なる天菜に
蕗興した耐北山血を革けつぐものであbます。悠久≡千年の聞海上柚
の榊伴にほ自ら一照一弛がありましたが、紳代以来の海の托は結局海
の民なのであむますっ海に生き海に托することこそ地翔的環境から天
の粥へた梅園日本の使命なのであります。
さて我が国の海鎚を見ろに、これが成代的帝発の牌形を塊へたのほ
明蹄維新川後山ことでもつて、機多先人牝延方m血∽にじ什器周の下
に築き卜げ1かたろJlでありモ1′ 術衆七十松神今〓一卜おいて、そ
の倖有する耶舶共において注解恍力おいて、鮮舶山頚既性能におい
\
渡瀬を柘硯し困威
て、挿又これが浬替に普る海適業軍鶏仮に常る姶良の手腕枝締にお
いて正に世界妨lの海運園の名を辞めぎるものがあるにいたつたので
ありま†0併しながら十年二十年或は召年を賭しても取ひ抜かればな
ら山犬東頭取撃とこれに附拷した大東意兆奨団の碓立の伝には、到底
今日の胎院を望」しては目的を達し指られないのであります。緒戦に
おいて大敗を喫した米英ほ漸く日本の甥力を生り、持に米国はいま舶
命に軍備の棉独を囚つて反撃の槻を狙つてあます。造糖工墳でほ丑夜
二十田時間打通し”作業をやり、言Hに三重の割合を以て新造鎗を殖
やしっつあるといふことであろ。しかしてこれに乗組む胎員は一部英
国人を望」することは想像される・しとであります0英両虎はさすがに
滑去百年に亙って海上労力∽王座を占めてゐただけあつて、海上征斬
を唯一のモットーとして頭揖全陛がこの日的に向つて突き進んで来た
ため、何れもみた海図民としての沖断”なら拍信念と陛放とを習得し
てゐるのでありますご」の鄭浪憾ながら我が国民の未だ遠く及ばない
罫であります。我が圃においても米国の造特に絶対に放けられないの
であります。同上り現在保有してゐる鞭舶を最も能率良く運航せしむ
ることは鵠−に辞手せねばならめことほ常然であつてこわが浅には胎
楓鎚舶粟蝕の輿杓、艶姫拭甲州荷統制、帖琴荷役の故事等に萬全
の方策を講じつつありますが、魔大たる計玉造触に併行し、これ等船舶
な直接経机する衝に潜る舵艮の常払お上び編成”開祖−」そ閑却するこ
との出来ないものといふヾきであゎます。郵ち健秀なる多放の舵負を
育成して適切に醍旺†ることであります。鮨鎖大嶺義成とその架質の
向上で小力りま†。反面上り琴へれば叫喘明代山時局下海Ld山細舐の
徹舵で丸〜海上仁消椛†ろ舵貝謂〃り砺溝幣侃一}魂解し帽謝†ること
であbます。現在日本糖舶は叫部持玖公柚触を除き汽舵は宙噸也⊥、
(42)
鞭槻附帆塘は曹五十噸以上すペて一元的に閥家において使掴すること
とL、持玖法人たる船舶連想何をして山手にこれが経常に常−りしめて
ゐるのであわます。吻ちこか「来り拙い般只は高級船員たろと普‥辿約
貝たるとを槻はず均しく閑寂に徴用せ.‖れてゐます・従つて舵貝は自
由に喪軒下舵することを許されず政府の命ずる鉱終に政府m命ずろ才
物む績減し、於長以F軍に軍隙的挽甜山下に孜々として闘鞄輸迭に努
力してゐる現状であ勺ます。しかも船員は一たひ母鞋を出帆してから
ほ上し前途に如何なる救難が稚想されやうとも勤排として日章旗をひ
るがへし較♯革里狂瀾怒涛を蹴つて取壊を馳粥するのであつてその勇
壮、その牢弊制に想像に飴りあるものがあわます。ここにおいて我々
ほ常燃のこLし上して陸上勤務者に射すると異なbたる理解と見謝とを
望÷ンれ等搬貝に対すると同時に、持仁触払なる意意、強健なる捻
力、特異なる我緬を弊するこれ等海上の隈」に対して、特別の考貯と
施鮨た縄じて、その充軍を期さねばならないのでありま†。
妨一に考へられますことほ拾員の敢荷同意であります。晦務院にお
いては高等商般革攻.地方商船革校ほもちろん短期高等海員義蛾所姓
に普蒲海員養成析を或は新設或は横充して、一貫した教育方針♪副期
的な教育恐兼の碓止を以て臨んでゐるのであbます。掟つて今後撃し
の海月ほこの教育施設において教育または護成せられ、また鶉賠後も
逐次上根の教育槻榊において再教育せられること上なつたのでありま
す.かくて今や一介の菅潤冊貝たる甲板貝、槻鵬貝と挑もその折カを
以て一葛噸の船長ししなり機触長となり柑る大きな広が拓かれた∽でも
bま†。一方船員となり得る年和も浦十四哉からといふことに過般改
正いたしまして、拘規準枚高等科修了塘わ浩ちに搬貝たらしめ与る⊂
ととし、且つこれ専年少楷鎖の指竣柴準については時に細心の注意を
沸つて梅園少年の海L遊山み希望してゐるのであbます。
衣に析只の服務於輿等の悶髄であるが、前にも申した洩り特色は弛
を出帆†かば祀も仁そこが戦場であつて、或は赦潜水耗の山荘Tに俄
へ、或は敵飛行件の攻撃を見破り、守に一瞬たりとも緊張を炊くむ許
されないのでありまr。従つて僻長以下全員一割となつて一致協力】
糸乱わぎる指揮統制のドに敢然任務を蓮討−てゐるむであつて、何れ
もみな→海行かば水泣く屍大君の迎にこそ死なめ」を信條とLて放火
奉公の誠をつくしてゐるのであゎます。過日末文那海において不革ず
沈の軒に遭つた00丸解長原円敬助氏の如き全員を稚舵避難せしめた
る後、椴将にあつて掟容威儀を正して高らかに「君ケ代」を喝つて柔
和とLて鮨と革命を共にdまた長崎港外に於て不拳沈没せる長崎丸
鮨長菅源二一郎氏の如き人事の最善をつくしてなほ兼任を感じ事後の虎
置を冷辞に巣Lたる後、捉待とLて音武士の如〈割陸自懲Lた巣南な
る海員魂は眈に皆様に挫い感動を輿へたものでもりま†がこの外に一
般に杏表せられずまた世間に知らわない怒れたる美繕功桝は†に枚牢
に過ないのでもります。勧ち今日の胎員は一部世間が今なほ訳解Lて
ゐるいはゆる米英流マドロスといふやうなものでは抱封にありませ
ん。勿論何十萬の脱色全部さやうであると申さわません。鞭用な瀬日
報く咤に国家徴用の名特出に義務を了解せず消去の昭和を凍け切ら山
ものも少Lは無いでほありません。トかL一人の行状を似て千人の功
坑を無にすることほ忍げ難いのであつて、今後同家の統制の下に混信
大臣の定めた服務鵡律の下に瓦に誘耗糠軒せられ近く制定せられる放
貝服制の制定と供つて8木海員摘つて面目を一所†ることになるとと
と信ずるものであゎます。山方胎貝の帝常に報いるべく、政府とLて
も鮨貝の拾輿細利醇生の制度施設に轟姐憾なきを期してゐる次妨で息
(48)
るが、この際招に皆紹にk儲ソnる二とは更〜鮒爪の彷讃功択を認識
せられて全粥市叩村におかれても町内魯隣保班等を通じて、埼員に対
する撒他校選、殉難舵貝の公頻丑家族の援謹等に閑L、第一線の賂兵
に準じて削札盈あらるることと、地方青少年の海上進出については、
底止苧」れが教育指導に瞥卜りるる中等拳接特に同氏嬰校の教職員の方々
の紺野脈と御津助とを切に御飯ひ†る次第でもりま†。
捻りに抒みまLて舜捷果敢なる日本船貝の武迷凝久を斬ると共に、
萬里む外に最愛の夫を父をまたは愛兇を送り出し望し銃後の家彪を守
つてをらるる両親御家族の皆様に封し、満腔の頓意を宗Lまする次第
でありま†。 ハ十月十H放左)