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北支那に於ける建設事業 興亜院技術部長 三浦七郎

北支那に放ける鵜設#業がどんな状態に行はれてゐるか、また行ほ
れ上うとしてゐるかを御許いたしたいと存じせテ。ただし統面に制限
がありますのでその主なる卒梁に限定して申述べます.
  塘 路 新 港
 大舶離散轡勃攻とともに北文の持つ、石琴鍵鉢右、野次び綿花革
の施大なろ凶防矢掛は、わが作戦ま行と東電共紫朗柵立のためにほ快
くべからぎるものとして大きく登場してまあbました¢去る昭和十五
年十月宕Hの閉鎖に於いて臼湖支軽済位置桝が決定いたされました
から、その基本方針に則bまして特に北又は富磐壷発及び契瀬聖閑讃
に力を悌注し、琳舞以来五ケ年の頼まぎろ努力に蕾まして、その生
売高ほ急何耗にヒ昇し、束鮮物資は頓々と日本に供給されて正化革工
弊の椰となつてむります.
 かくの如く北更に於ける物賓の簡肘蟄は現在眈に大食に上つてを
り、さらにここ故年間には飛拙的に渦犬することを瀧燈されますが、
その押出げ続開北東の海帖から海路に上らぎる穀和ないもの十指じて
 なります。
 北東の相継としで北から秦畠島、天津及び婚巧芝宋、青卑建蛋
等があり、何れの穐を主宰弛とするかについては、樫済上や戌循上の
見地から私人意見もあわましたが、特に北方大抵と城池の比較が翰鍋
の中心となりぜした.
掛海滞内の各地群が天然の利に高まるること抄く、且つ支那の穐汚
でありながら支那の主構の及ばない外圃柄益山梅滑であるために、純
然たる支郷の轟の下に軒讐Jれる払身持ちたいといふのは家郷り年
来の黎菖であb字した0塘沌と秦畠島の略1中間に犬滑河と浸河が流
れてをbます・その術河口間に妄不純枯を野毛し、これが肝富浦来
世界的〓人商払に取展すべ霊伝じて、耕地仙が初めてこれに北方大
掩の名を冠し、網奄を進めたのもその要留の現はれで誉り¥す.昭和
十≡年北東に大砲頻を撞設↑るの弱が智ソましたときに、光づ狙上に
のぽつたのは北方大抵と挿他の何れを撃lでありました。数次に亙
る専門家の梵地湘査と研究甘参考とし、北文の搾済中心たる北京、天
津上りの距離、賓淋地との繊澄距離、杓河水禦り利用償放その他洪砂、
地質等な比較挽討の結果、つひに妹枯沖に大夕的に新Lい粘を准設す
ることに決定され、これを拙描新港とJぷことになりました。糖怯新
港の建設け北支抵稗計老∽中核をなすもので、昭和十九年度末辛でに
0000能塩の啓吐能力身肴する丈洋有故の大抵革か淘海捲り西岸に
出況して、大同況その他封日輸出に利用される竣定のもとに、華北安
逸軒蔽の外局たる婚晒新地鮎暫何の手に上つて済々エ帯が進められて
 象りまサ.
 繕沌の沖合にほ河口から五乃至九粁聯れたところに接触がありまし
 て、これを大池バーと呼んで船来りの悩みの租となつてゐるが、これ
 は天坪田を貰池して流れる悔河り吐きだ†土砂が堆租したものであ
 りずす0汝雑胎が毒っき切勺でバーを汝托し水溌を柾持してゐます
(10)
 が、大きい粥水が出る故にはh壷で埋まつてしま・山海に厄介な接戦で
 ぁりま†。現在天津まで寧心大きい船舶は、何れも浦潮を待つて平ら
ぅじてその.ハー上を舵行いたしてをります。
 塘油斯帖ほこの大池バー航路の北側に二本の防故地を海岸上り突き
出し、その抱擁する鰻の内に埠頭地窄泊地及び坑賂を革設すことに
なつてをります¢この肪眈班の線確長ほ〓十粁に達し、丁度東京汚点
川地先から多勝川を凍り鶴見川に適する桂長を有してゐます0如何に
頗大な計雀であるかその−哨が鵠はれることと存じます・
 教鞭ほ本戦略エ卒の根幹をなすもので、大きい解を入れるため四、
000前史方米の土丑を瀕り上げきとになつてゐる0この壷は大
部分埠閑地鞠の埋立に使用されるのであり害すが、これで品川の叢租
を作るとすればやに=音大十個出水あがり1又パナマ転河朝野に弊L
た土立竺二竺に相督ナる莫大な丑であります0亡の作繋に樅革せる
各種の汝報胎は放十費に1り、全力を挙げて操業せる状況は喝破に放
ける妄停職でありまして、これだけの窪蒜があつて初やて工事が
確定の如く砥抄してゐるのであります0この触曹にその大事な竣喋飴
を昏興され並んで大陸の稔教に御拗力下さいました所有者各位に快甚
の謝頴を表する次第であります.
 木帖は既に去る七月二十音には中到汽他の壊浄に成功して石演荷
役を開始したとの快報に捺トまLた¢正に建設時に凱歌があがり、こ
れからの工瑞は何等の危惧なく快調に進捗する段階に達しきと真
野するのでありまして、邦家のため絢に蓉賀に堵へぎるととろであゎ
ます。含Hまであらゆる想條件を克服し、何等文化的施設なき茫漠た
る砂駄に於いて攣多の専管嘗め、烈芸る気塊を似て木工芸行に
構準しっつある挺彗月招君に靂の感謝も義ト、その成功空前つて巳
 まないのであります.
 新穂の進行状態に照題して、これとその野銃炭田間の輸速力につい
 ても故意その増強を企概してをります。
 北繁の貰物露出のルートから見れば措油新穂だけでは十分でな
いので、青島鞄に放いては昭利十九年度中こ腺の日慄として荷役能力
の棉強を喝り工事は着々進捗してをります・叉敵軍に上り破現された
速革枯ほ】昨年慣急復学工事を完了し、眈に中男窮の搬出に非常な役
鮒を果してをりせナが、取一本革ま上り本格的改良工事に着手いたし
 まLた●
   北支の水利建設
 有史以来敬千年批政と災厄とのために苦しめられて来た支那民放に
封Lて蛮屠築巣が治世の罫辞であります・この意味に於いて水利開頓
の解決は、その同氏籍済再捷のための緊急焦眉の抑留かと存じます・
 北真に放ける氾潰被考の情況むこ、〓申しあぐれば、見回大卒ハ大
空ハ年)以後の統計によつても北真の大水省ほ四年中に】何の何で被
革樹は毎年二億胤以上となつてゐます.
 今から九年前良拘〓十二年(昭和入牢じの賓何のた銀伽大水専では
絆速、眺琴河嘩河北、山東、江蘇竺ハ省に五つて沌没而租彗蛮
五千平方粁ハ≡胃五十乾町歩)、確災人員三雲ハ十四萬人、水睾損失幻
約=億元ハ現在物頓に上れば約十=低空と将せられ、昔時日本商工
骨鵡断でも救済賓金の薫を行つたのは、今なほ世人の紀伝に存する
ことと思ひま†。
琴葺民国廿入牢ハ昭和十四年)華北の大洪水に野してけ掩預両槌
杓出萬七千平方軒ハ琵琶湖の約七十哲、構災彗盲蛮人、損失材〓盤
(11)

≡T舌、そのほかに天浄市粥の四分≡に渾水したため市だけの革失
研がこ破茄†舵脚、椛艶牢九十三拭人し轟サられてゐます.
警卜水車け支那民族にとつてほ宿命的の災厄である.それが無革の
民を流桝同乏に陥れ、良民を保つて醇拡の群に濃ぜしむるのであり
まノ0もし奨桝是”力に1つて治水串驚完成し、支那四億の民衆
に安尉契梁を弊言ことが川氷ましたからげ、支那酵民の喜びはどん
なでありませう。
 由来治水ほ利水を撫糾しては成立せず、また利水け治水と分離して
け存在し得ないQ邸ち治水と利水とは衷彗飽の緊密なる閑桝牲に立
つてをります9この硝者空旗する璧品水利計笠が絶佳に必弊とせ
られるのであります。
 北支緒河川の水笹原因を和串サるに、;竺年中の閑食の不平均
と、他け山岳地租上りの流沙に転出するものであります。雨丑につい
ては年降雨放り七、入削が六、七、入の三箇月に築申し、歴年の最大
雨苧し最小雨放とり比代田代乃至十丁倍とむる。流沙についてほ永定
河の長大含沙怠け官分の四十に泣く宍河もこれと殆んと同率でありま
す・減水期は容Jり定にかけての恢、塀水糊は立秋の候で洪水の氾濫
もこの時期に起ります。
 以上の如き北玄に於ける河川の時弊性を堵賦する翌口、利水を伴は
ぎる治水計弘の如きは到陛あり鞘ないのであります。蛮し北文典業最
大の悩みほ水害と皐革との址鮒的襲来であつて、これは串東年開せの
両分が作物成育上甚だ偏頗なるが眉で、これを匡救†る方法として最
 も教輿的であるのほ−治水のための貯水池に上り全年の降雨を貯潤
 し、これを四、五二ハ月の以作上の京弊期に放水椎潤することであり
 せす・かくて作物の茫芽及ひ生育は棒探せられ、収盤は年々安定し在
衆の作物はその収食を増加して北支農事改良上一節革沌を”するとと
となるのであります0牢するにそのまま放任†れば人類の災厄とな
む、粥息となる洪水も、これを技術的に遺骨に皮理するととによつて
安顕化し、醍喝水準エ渠用水の掩保が出来るやうになれば、それ
こそ興利防息の二心〓為卯封髄丁左り、大陸り水利彗芹ことに薄々
しい成果を督ぐることが出来ませう。
 北支に於いては以上の主管による綜合的水利建鬱訂壬をたてて既に
l部は着工してをりまTO木杯架は全く華北民生の安定と向上に寄輿
†るととろ多大なるものがあbま↑ので、特に蘇民土木事業と耗打ち、
とれに変する総卒業#は〓十〓億筍と推定されてゐせす.
 本意民土木事業は大陸建穀の首座むしめる震薫なるため、その
串策戦算も匪大となつてをりますが、古来中単に放ける大土木エ♯の
槌言瀦せられてゐる粍長約四千七官五十粁、推定工手費四十五磁性
に適する寵里の長城に比†れは、樫費に於いても=分の−に及ばない
ので、華北の国家邸梁としては或ほ足らぎるを褒ふるのであゎます
が、本年染の何れもが慨重なる調査と瓦締の費用と長期に亙る年月と
を必宰と†るために、急建の賓現を期待することは顔軒の事情にあり
ますので、前戎の大計立の構想の↑に、盤懲り目下の重たる轟北の
壷自給に即麒サベき偲州聖億五千萬胤の水利建設卒業を計‡し、こ
れを空家碁民土木革業化して今年庶から五ケ年間にさ議を税してを
 ります.
 木事業に上り水肘約入電入千町歩を関数するの外、小雪俳琴梅
花等に封†る畑礪漑の逸を開き−併せて右門、天津問のいはゆる右津
睡河の閑覇を繁施せんとするもので、本年耗鞄温としては二千盲H屯
 軋が計上されてあゎます9
(12)
 右紬塊河。石門を転勤として架中大平野を椛耳すると娩革二雪TT
軒に1て宍浄に凄ナる大観河で、総工費約四千萌戚本年上り五ケ年野
卑の萌瑠であります。
 木工林ほ沖佗河の上流井鞄嘲威州細に貯水確塊を設けて貯水L、亡
れを水力挙句及び下沫地域四苑町歩の畑濯漑出びに水窪に利用して以
て竣功愉途の利便樹海を図らんとするものであります・軍壁誠に硬水
項埠を設けこれより右門まで三十粁に等水路を、叉石門上b子牙河の
小袖組まで甘望手粁に新鶏河を開墾し、±ニケ研の相同を設けて五十
粗放胎を航行せしむる。小油紹天津間首九十粁は子牙両頭在の水路を
補修すれば十分であります。
 工市ほ本年=月超エして課指導の下に建設組容に於いて工事を進め
てゐるが、恐らく日本の耗循を準挿する最初の河川工事といつても過
言でない難工堺でありまして、土工だけでも】年に千三富蕪立方栄を
凋堅せねばなりませんから、その最盛期にほ首平均玉東人の民耗を
蝕動員して確乗せしむることになつて象ります・
  北支の道路
 大樹に放いては紹盛の津溌が著しく億位にあるため、その補助又は
代行機槻としての自動革が衣婆な役割を占むることほ多言を要しない
ところであります.支郷革竣成約には北支に於ける頴革可能の鵡路は
約=檻四千粁に及び、約二千輌の自動申を以て違粁の掬行をなして
をわましたが、革撃と共にこれ等台動革は意〈支那現に敢準又は鳩郵
され、増路も皇軍の進攻を阻替するために頼んと破革されて全線淫行
を休止してをりました。
その後皇軍の占領地切には鹿しなく疎く興亜の邁埠葦北熊襲の勒
膿となる4設路の用事は、部渾から部者へ、符から符へ、頻い∬い北
究の平好を純絹無名に伸びて行つて、昨年来にほ政府で施行した新設
改良の鵡路延長は三千大官粁を準え、これと併行して行ほれた治安活
路の開設に拘り、昨年五月に放けるバスの浬рヘ一撃手打を突破し
まして革発以来萎縮せし奥地物費の出棺りを促漁し、聯銅穿の鎌溝山
を細大し、併せて民心を安定せしめた敦果ほ停大なるものがありま†q
 北真の埼増嗣を見ますと、今8まで殆んど全部欧米各軒の資本に上
って、欧米各甑の糖墓守のために残設写れた鞍潜でありまするから、
支郷の地此を御繋蒜つたら直ちに甜菜付になる承り、幹線繰延ほ帝
北に建つてゐる崩棚西が商家郷や印度支那に大きな利稚を持ち、美音
利が長江凍現に大きな利椴を持つてゐた湘傾から中支及び北真の焚漁
を支那大陸を常北に柄併して樽方に向つて雑出する、かやうなイデオ
ヱTlに上つて一義仰の交凍政簸は指尊買わて来たのであゎます・併し
今やとの政架は埠木的に舞革を加へられねばなりませんQ錬荘均が九
十溌固挿して東西に向け代へらるると同時に、正格粥も大仙著格
は別として文殊津浦雨臨を‡西に学なT〜に主力を馳ぐべきであゎま
せう.ただ今までに女流された天紐帯碑店轡石門漁虚叩埠済帝喝破
椴、周版保愛撫等ほ摘てその目的に合致した路線であると息ひます0
敵は常に日本軍は粘と臨とを占併してゐるに過ぎないと宜伸してを
ゎます。併しながら皇軍の稽塩果敢な剃共工作と各地自儀輿の協力と
ほ、華北共蛮匪を慈上鰐柚に退ひつめ、さらに道路網り整備は苧J挽
から肇ハ面への材大強化を与ながし、故に封†る】大守成となつてを
ります0
以上の如く北支に放ける建設工作は凡ての方面に瓦つて壌めて應汎
である●しかも今なほ大陸に武力取を展開しながら、そしてそのため
(18)

の大場損な物資の消耗に耐へながらこれだけの建設工作を澄み、兵粘
布地としての揖務を鵜すはには、議併二様の璧楢と努力でけ到底これ
が完紘を和し和られたい山であります¢革ひにして現地では限られた
る資金と資材とを最ゑ口瑚的且つ撤兵的に活用し、その聞いささかの
醐舶ム冗叔もないやうに、終始眼路ある綜糾首的の企境性に☆附し
て、凧ハ虚の択菜を進めてゐるものでありますリハ八月五日淑哲