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大東亜戦争と国民徴用 厚生省労働局長兼職業局長 特永義夫

四執から徴用で近故地方の或るエ頓に勤めてゐた成る甘年は、正月
の休咽で親許に足りましたが、五日からの出動に遅れないやうに四日
の夕方には元束で寄宿舎に締つて来ました0するとその埠お父さん
が大僅てに慌てながら『ああ間に合つて1かつた』と、寄宿舎豊川び
込んで衆たのです0早速その御子さんと面昏したのでありますが、お
父さんほ芸前が肝つた後でお母さんがこの催い吻が忘れてあるのに
真がつき、「これが無いとエ故に入れない」とお前がいつたもんだから、
荘ぐ後を止っかけたのだが間に合はなかつた。返へしてやらぬと明日
の出勤が出来まいし、徴用になつて秋物させてはお閲にすまないし、
荘ぐ後の賠で衆た・間に合つてエかつた』と工員香取札を渡したので
す・御子さんは甘いて涙ぐんでゐた0居合はせた舎監も泣きました.
 又東北り一山村で、徴用された息子が突然持つて来たりを、『何」に
奇つて来た、池げて充たのか、まからほ兵蝕が丈も出んので世晦に
(1氾)
申鞄がなかつたのを、お敢ポ政和されて世間糠にも申熊がたつといつ
てんた矢先だ。トツトと師つて行つて−生撫命働いてくれろbと延ひ
耗してやつた健気なお母さんの楷もあわます。二人の帯をききまし
て、−礁句良性何もかもを冶てて円まの大日的−大‡亜独学莞漁に向
って邁進しっりあるのだと、俄然携を正さしむるものがあるのであゎ
ます。
 壁に掲げてある世界地町を瀕ツと見語めなが与切の中を往来する
ものほ何であるかといはば、妨−には康いな丁といふことで†0革→
には8木ほ小さいなアといふこと。そして琴こには、北にアリユーシ
ャンから璃ほ秩紺、東はアメyカ海岸から西は印溌†〆カスカルに亙
る鹿茫耳に数千教亮曳に五つて、我々は今覿に放つてゐるといふこと
であります.
 そして苔らに頃に浮んで来るものは、今や日本け世界の大円米英と
決故をしてゐるのだ、この度い地披で馳つてゐらるる人建に甘秀な流
行埠取彗爆弾等非常に群山鳥らねばならないのだ・どれも亡れも
曹作らねばならない、誰がとれを作るT いふまでもなく我々日本向
民が我々の中でこれを作るのだといふ】しとであゎます・
 教学にほ何が何でも野たねばならね.聯つ男には⊂れこれの革帯品
が入る。出来る出来々いぢやない、撫矧でも作らねばなりません8エ
顎も地頭し、必嬰た人員は他の仕串を止めても、そとつ動員しなけれ
ばなりません中
野民徴相は俄学に打ち勝つために溌に止むに止まれぬ必要から、歯
衆が四民に射して、軍需品の生琴ての他大卒な仕串に雄琴†る亡とを
命ずる動員令であゎます。国民の私力宅比較的教学に東野でない方
同から、最も繋坪な部面に頻める、国民動員の制度であり甘す¢徒つ
て礫用に膿ずることは、兵役に次ぐ所用意荷の義務であると同時に、
軽く欒替である・†こを、これほ繍戌の重油がその榊礫に触くハツキリ
と馳諭しでいただきたいと思ふのであります¢
 この大政学に普つて、故軍政行上の最も正客な任凝を治者して、恩
ふ存分に働くといふことは、御先祀様に射しては勿琴未来永劫に生
れて来る我々の子孫に封しても、油に薄らLき事柄でありま†。とれ
を秦_といはなくて何を繋甘といひますか。鞍申以埜二千年、拘り自
由を失つたととの無い世界恍一の我が園。рツて他国は汝井Lたるこ
となき世界唯一の我が同氏。今や天水の男鹿を準じて、東亜の群故山
環にたたかふのである。その集−線琴一線に括推することの軍ほ、
油に華々しくも挽々しき限りではあbませんか¢
 併し今日、閑で困つてる人は白木申】人もあbまサまい・昏忙がし
いその中から、−人でも乎を挽かれるといふことは、それだけ喋つた
人の荷が書くたbます。中に佗−家斗二人で支へてゐた人もあbませ
ぅ.又習ひ革見た商‡を離れて、勝手の異つた仕手に従事してゐる人
染や、又農村から来て全く生活の異なる工場勤めに、特に疲れを慮ず
る持君もあらうと息ひます。
 何せ今我が国ほ、大教学をいたしてゐるのでありますから−内局生
活に種々の鰐展のあることは、巳むを得ないのであつて、崩民は皆そ
れを我慢して行かねばなりません¢捷つて徴柑の家磨も能用の人た
ちも、兵験さんでも皆、不自由を忍んでたたかつてをられます。併し
これ等の人達は、複めて悪弊な部署についてをられるのモすから、的
家といた−ましても、如何なる革があつても、その人たちの生桔に飼
るやうなことの撫いやうに出来るだけの待遇をいたしまして、畳軒の
憂のないやうにいたしてゐるのでありまサ。何卒閑就を信頻して、安
(21)

心して敬川に轡レさせていただくやう、又準用された方言、大いに
張夕切つて、との光慧る任彗、蒜竪果し上げていただきたいと
念崩する次妨であります¢
次に狸和ぎれた人たちをお轡りする徴用工場の卒業義びに幹部の
方定言申し上げ享遥望の毒ほこの大警亀行上の藁串
発頓として、毒雫に必慧る要員を、驚に上つて醍点された柴
管ある工場であることは申↑までもあb志んが、これ等の襲用工員
ほ、大地に於いて壷生招の末軽雪が多く、これを急洩に生蛮の役
に立てて行くといふことは、管召ないことと御推察いたしてゐるの
であ豊す三岡時に、攣柑さへ政府に中将すれば、現らで基準者
を侍られるといふやうむ女易な考へ孝持つてゐらるる人があり与る
ならば、それは甚だしき心和迩であ豊す・彗州は止むを得ずやろの
であ豊して、快重の1にも慨冊署期して繋施すべきものだと思ひま
す・殊に徴州は今最も不施してゐる努力を、非常な困軒の中から雄
めて醸革Tるのでありますから、これを革も有数に生産のお役に立た
せていただきたい0その践には賓任を以て教育指導の任に普られて、
藍姐還叩のないやう戚ひたいのであります。
 又召されて食方の工場に削荘された徴用工たちは、ぜだ親がかbの
青少年もあbます0妻子もあり、1家の中堅として按くに抜かれぬ中
から二切を坪げて馳せ革した人もあ豊†。そして阜丁卸らずの他
人とl観となつて、依れない仕事に疲れ切つてを与す.その留守宅
 には、亜い嬢いにつけ、身の↓を案じ繰けてゐる父母が、妻子が、弟
 姥がゐられるのであります・住み頼れた故耗を碓れると、推しも郷愁
 の何の切なるものがありますが、この淋しい菊措か■慰め忘れさせるも
 のほ、ザに耕葬費や工場辞糾の方々の行届いた同情であります。「自分
の子であつたら」「自分の串であつたら」と考へていただくりとで告ソ
孝三肛故地方の審彗頓の某忍役は、こ笑ほ延長の御竺・であ
豊すが、週の年分は寄宿舎で徴糊工員と埠居を共にして雷ます.
或る時、外出した徽聖員が掟を彗て、約蒜聞洩れて彗たので
あり享が、費は祇と賓任を分つて二週間の間二人で夜剛の外出
を拉へたのであります9
工彗幹部たちが、「従業員と賀任を分つ」「苛誓芝するし、この封
挿さへあれば、如何に仕事が牢くても、どんな不自由な生活でも、従
革貝たちは喜んで緒つて来るに遥ひあ呈せん・私は非常時堺務脊盤
の骨はここにあると侶じます。
 卒業卓客位が自ら陣頭に立つて、毒たちの作業は勿埠寄彗Hの
転扁、食彗嗟琴員の家賢いたるまで驚く壊して、自分のりの眼
で見、且つ感じて初めて帝拳管理の楕群が響、そとから昔然に施設
が生れるのでありまして、彗と御多忙でもあむ豊うが、特に彗川
壷の事業各位に、これだけの親切是非蓋しでいただ貰いと折
入つてお節ひする東鶉であります.
 丁資本月ほ徴用廿蒜三周年に瞥つてゐるのでありますが、眈に河山
の準用丁盲たちが、この此毒の折にも拘らず内地は勿漁学、北方に又
南方に文字漁り火の玉となつて働き苧てゐらるるのであ豊す這
は輌民と共に、これ等の人たちに衷心感謝して血書せん.私署ほ今
後さら竺捗還烈になつ言ゐ皇丁せう¢前線で兵放さんが押が鵡音
て十分に雨へないやうなことがあつてはなり¥せん.どうぞ彗かむ
頭粥つて、うんと能率を撃げていただきたいのであります。
                  ハ七月二十一日放迭)