防諜の完璧は戦捷の鍵 憲兵司令官陸軍中将 中村明人
或る日私の先輩が戦場でこんな話をしてくれたことを記憶する。
或る律儀な古武士風の態度の老人が大切に教朋の小鳥を雪盲衣
冤してゐた¢宝夜孟扇が何物にかとられ忘た。老人は非常
宗晒し、その後瞥誓腎言ると、遍蒜が鳥彗巻いて残さ
れたる小鳥山扇がい嘉に累卵の普にある・雲は疾見習誓
賢の蛇品へたかと恩ふとその頭をロに入れ忘「リツと望・切りパ
ブと床山上に蛇の銅を吐き出した0鋭のない蛇の胴蛙ほぴく〈鳥漁
の下に捌い<ゐる0小鳥はうれしげに蛮主人に甘えるが如く、感謝す
るが附く、評萩〃凱歌〃帥くビ1〈鳴いてゐる0
拒はこれだけで極めで倹でを宗、私がこの驚放場で伺いた時
から考へてゐることはこの老人が蛇を驚切る時の決心品整の間何
によつて生じたか、菅し言の莞が蛇の誓パブと口から普由
した時、蛇の頭は床の上に地がむ大き狸嗣他のみがぴく〈してゐる
この有雪見た時の愉快さ、ロ攣蛇の血雲けて映した甘心の笑み
さうして桃蒜攣明浮和兢芸括にある小鳥共がこ芸人盲心の
契に和し蒜ふ凱献・これほ畢に兵馬樫偲裡竺笑ひ雫はたい。
これは正に我が耐洲日本に擬せられたる抑彗あると私は考へたので
ある0即ちこの振むべき蛇は英警告明浄にして正直な小鳥は是
の雫ある0我等は英米に淋しっけられて小さい籠の中、聖霊典
柴圏内に托慣に朗らかに生草行か呈してゐた.然るにこれをしか
も〜豹とb、〓弛とり、≡豹とつてつひに⊂れを全汝せんとナる企て
が印ち大架現職中堅風前までの米英の態躾であつた.救蝶天地に燃
えながらも、日本周民は小鳥の平和梢紳と全く同じ菊樽で頬白平和女
難しんでゐた。亡の宅人が敢然立つて准の領を学ヰ切晶作に出た革
は、恰かも他界の平和を念属し出来ない堪客を学挿して水府大使まで
畏延々られ、一意平和礎に苛件を収めエうとする日本のA葛を鍵米英
は解せぎるのみか、逆にこの雅の小鳥た放けるが如く山窄みに日本を
片づけ上うと触朗埋まる柁の潅純音衰ほしたのが即ち米英である.而
して⊂の〓世の柁の頭をかみ切つて宅人のしめした如く、最後の止め
を刺してやらうと立ち上つた自邸ち紳圃日本の決心を牢乎宇内に示し
た日これが±γ月入月。畏くも宜放の大詔を挿L、雨水酔民が日夜忘
るる⊂との出水ない紀念の日となつたのであります.
この烏蛇英米を混治する⊂とはなかなか容易のことではありませ
ん.確堺は蛇∽中での大耗で為る.その他貸収短めて陰放で而かも洋
舞がある.何人も好せません.ただ格子江の上流にほ大学Jの大地が
ナきな大府があるやうですが、これも邪の道は蛇下落ち行く先収支刑
に点せられても滞がありません9英米此蛇の性であるが故に牢々監々
と我と馳周するととを好ます大蛇の本性を表し、その得意とする祓密
取で日本をやつつけようとするほ歯然でありま†。役の鮪一家飲和犬
取港了竣この[鴇即ち宜侍、謀略、耗報等の戚密概に上b日本の思
慮、経済、箪椚、外交その他粥般に亙り僧鼠蓑減を誹りつつ、鹿に昨
年十二月入日にいたつたことは史賀にその例があまりにも明瞭であわ
ます.
祇の十二月八日大求覗馳革鋤敬と同時に時を移ざ†米英の封臼謀瑚
宜侍、謀略の指桐に封する】印瞼挙が行はれ、雨氷とれが中核憶の扱
共に亙る耽謂に上り、この多年に亙る老相棒はまる非人通約な祓胡桃
組拍とその精勤とが、白日の下に妬け出されるにいたつたことは、誠
に痛快のいた〜であbます。耳に十〓月入日陸海雄勝の青報を手にす
る前、水も洩さね我が司法、等、甘の防辣布様にエつて、山科に鞋沓
の換革を完成したことけ、竣の陸海電撃作馳の勝利と共に慮るべから
ぎる一大成功と申さねばなりません.
英米の日本ヒ放ける諜報、宜侍、謀略の粗放が如何に巧妙であb、
如何に寄むべきものであり、如何に考柁的存在であつたかといふこと
をほんの;]でその外挽を御紹介して見たいと息ひますP
昭和十五年英本国情報大畠及びシンガポール極東情報局長は、元ロ
ンドy、デーy−メール墨尽時流旦の某が東洋の所持雑誌その他の通
信事鵜に明るく、然も日本人栽英米知冷者居と輝き凄槻面を有ナるの
みならず、昭和十凶年の発揮事件や∴璽鹿骨訴虹厳しては、親8的氾さ
を蓮つて犬に注自されたる専の程度を有ナる鵬から、・Jれを濫に利用
して、対日鎚報出びに日本の共論の親葬明指坤の役をこの男に持bぜ
てることとしたのであむますゼ然して妻京他日頼朝部長に車任した
.しの男は、日本に放ける英国諜報宜呼、謀略網の恒久姐椴を企呵L東
京、妨弱、紳戸、長崎、京城、荘北等を股にかけ直掲の情報槻舶を設
置サるの外に、東京、横頂及び関西に情報委員曾なるものを組接し、主
として宜将に昔らしめ、また外醜周捜として私語的宜侍の午書−ハ一
名プアブース禽)駐日全聯合所代哀委員禽及び美園文化研究所串を榊
成せしめこれにほ私語宜侍、封日情報交換、文化面上わする兢英層の
摂待を任務とせしめ、似て全岨繊を柑動員して、一意これが活動出び
に利用分子の招待に努め、数ケ月にして既に穐平たる括拗組柑の挺毀
に成功したのであわます。
く 6)
今その分子竺皆して見ると、在倒英何人商批−冒絢機関は勿漁の
こと在京琴一面公柁、触日払の故に利用叶られた日本人名士、文化都
濃批、雷約職制特多敬の日本人もあつて、その拙敬ほ約=千除名の多
きに上つて構成されてゐたのでふりま†.
何んと恐ろしいではありませんか。こんな機関が日本学し存在し、
これがため我が争き蝋牲は支那火陛卜上b多くこの大蛇”持場に常つ
て散華したもののあることを息ふと飛びついてこの汚蛇心二刀舶断杏
寸噺してやりたいといふ束持仁ならん者が白木研民中珊二人としてあ
りませうかD今絨山窓につながれてゐる付餉的同胞は払∽夢が惣めた
eせうか0それともまだ帯東に懲つてあろでせうか.
敷かぎbなき鞋蛇の梢行をのべることは不可能であるからここにけ
今二例のみを皆様に御紹介し、昨年の十二月入日前如何に英米大蛇の
煎束が押印をけがしっつあつたかといふことを申上げます。
例へば叩昭和十大年八月文叩瑞品を製造椚入トある栖憫‥薔故に
於いて、日本人掟楽員と台紙川との間に浪職金拉びにn命伯上間臨に
閑し意見封北し、和常随意むろ状態にあつた時の⊂とでもわますごし
の情報を入手したる栢桝共闘機的は、同触∽取懸なる罫関東むストラ
イキに移行耗災せしめ、窪琴」れを日本全国の禽敢工勒に蚊及細大し
瑠璃生薦を附帯すると共に、開杓治安山海乳を粗り以て圃性情筋に封
威せんとするH本∽行動を牽制すべく、許婚たろ茶閑人γ1ルといふ
男に群衆金を粥へ、命中試が榔大Lたたらばさら仁多郡山朝酬を輿へ
るからレ」∽好餌告がし国人を利用して、禽批外人紘貝十敏名を買収し
側嫡から僧嫉崩励せしめたるため、両者山封北は益よ激化し批内忽ち
醸然となり産にストライキ効教L、■時は他山外人裡慣何批にも披及
圃犬せんとするの様相を鼻したが、牢ひ営尉の威陛上ろLきを特約牛
月にして本ストライキや終岨せしめ、その糊天をも防止しっひに英均
の操縦せる恐るべき魔手を対校するにいたつたのでありま†。
この一例だけでも斡蛇の正惚は十二分にお馳めが川東、かくの如き
謀略即も秘粁職に野たぎれば如何に外に轟々たる取防を得ても、これ
のみでは最後”勝利を搾弼L得ないとい▲ご1とが明晰であり、肪班の
宅彗が職析∽出であるといふことが上くおもかhだと思ひます。
殊に米英は鰐飴の矩、加ふるに昭意とサろ砧蛇的行動即ち思想詣略
をu.Iは木岡民精神即ち大和魂に曲りを入ら巾、一方また長和職を企
固t粥々和保つて日本軌内に駄職鯨分を起さしむべくいたれb超せb
の謀略手段を耽りつつあるのであります.今岡政府が仇許週間を設け
駒民に二人臼兇と爾泡・しを黎葛♯らるるのも全〈この理に宗くもので
あbます。
滑明な水に一娩の汚物があれば最早その水け牧将には題−レません.
1倍幽民の内山人でも不巧者があつたら駒家ハ秘桝は保たれません.
見に防狭望冗璧は−億瞬民憩くが澄み切つた滑き粥れ防誹馳士となり
紳桝H本には】人の不埼准のなきにいたらねほなりません。
か〈なれば漁して米共の恩▼表皿にはまらず、取果はいやが上にも旭
大し、練々たろ最後の職坪が掛囲日本に粍くことほ跡のお告げのごと
く私兆ほ信じ得るのであbます。
敢へて自ら文明人と瑠へてムる米英を大蛇しかも帝蛇に擁Lたのほ
前申し上げた滴巾、小鳥を噴つた恨みの蛇をギリツと咽み切つたそれ
と同じ菊持、同じ義憤が我等の的に撫でえて釣るからであります。
大蛇浪治はわれ等幼少の時より出雲鞍の川上の紳預とLて骨身に徹
してゐるお詣で、しかも日本繁阿の所謂でれります。大衆咄雑役、他
界新秩序り耗立ほ正に申開以来山犬鞍である。
(¢)
太平紬を寧ろ印竣伴鳥えこの二大鞄粍を咽み切るまで馳ひ抜き、
千年萄年の後に米英取舵浪治り舞楕を紳糾臼本国に均ざうではありま
せんか。しかしてこ望呼蛇退治蒜ほ防秩である8束ねていふ「防諜
仇藷璧は職僻の鋤であるqL決してこの鍵が碍範にふれぬやう大和魂を
塾緒L、蒜準公以て防払の完撃還せねばなりません・これがため
有 年 の 戦
費郷平野が海る少し前、南島大佐は「日本百年馳筆意首」を東京日
日新聞に啓かれたことがあつたが、昔時は租紺な堵漁とされたやうで
ぁりました.先月、枚富さんが「青年牧野」を同所持にかかれた・
またh音楽侭粗野大臣は緻米に軋由するチリ−の新聞記者閥と昏見
されたのやあり羊が、その席↓−この取申はいつまで拭きますかJ
との箕阿に射し、郎座に「兄悟ほ盲年、再考は労英を打破つて建かに
求みをさめたいJと述べられたのであゎま†・
嘗て誉晶上で塩鵜な鎖論とされた8本官年戦争ほ1今や大東亜汲
辞の進展に件ひ、長期勒の性格が明際となゎ、鶉坪の伺街としてとり
ぁげなければならない時が架たのであります0「覚悟ほ召牢」この富鞋
ほ昭和艶代に生をうけた日本国民として、米英との職欝に於いて片時
も忘れることの出来ない覚悟であり決意でなければならないQ我々は
盤宿そのものの中に言年の馳ひ」なる雷噂をそのまま柁入れて各上
そ∽職域に榊撃公いたさなければならないと思ふのであります・
どうも私は小甘から取野は度掛取が常盤のやうに思はれてならむ
には生やざしいことでほいけません.大蛇退治り牒恰け恰かも凹†七
土が土心りルピ細・こノニあり大中以下り止りにじ・ヴ出るは桝的−
肉貯的サベての苦悩に潰した籍石の間き兜憎が肝蓼であります9
(七月十五日放送)