百 年 の 戦 ひ
                   情報局第二部長 松 村 秀 逸

 支那事変が起る少し前、高島大佐は「日本百年戦争宣言」を東京日
日新聞に書かれたことがあつたが、当時は極端な議論とされたやうで
ありました。先月、徳富さんが「百年戦争」を同新聞にかかれた。
 また先日東條総理大臣は南米に帰国するチリーの新聞記者団と会見
されたのでありますが、その席上「この戦争はいつまで続きますか」
との質問に対し、即座に「覚悟は百年、希望は米英を打破つて速かに
戈ををさめたい」と述べられたのであります。
 嘗て東日紙上で極端な議論とされた日本百年戦争は、今や大東亜戦
争の進展に伴ひ、長期戦の性格が明瞭となり、現実の問題としてとり
あげなければならない時が来たのであります。「覚悟は百年」この言葉
は昭和聖代に生をうけた日本国民として、米英との戦争に於いて片時
も忘れることの出来ない覚悟であり決意でなければならない。我々は
生活そのものの中に「百年の戦ひ」なる言葉をそのまま取入れて各々
その職域に御奉公いたさなければならないと思ふのであります。
 どうも私は昔から戦争は長期戦が常態のやうに思はれてならな
い。短期戦の方が寧ろ変態と見られる節が多いのであります。百年戦
争、卅年戦争は珍しくない。十字軍の戦ひ、フレデリツク大王のシレ
ジヤ戦役、ナポレオンの対英戦争、イギリスの植民地獲得戦争いづれ
も長期戦である。ただ一八六六年の普墺戦争が七週間、一八七〇年の
普仏戦争が六ケ月、日清戦争が八ケ月、日露戦争が一年半、この十九
世紀の末期から二十世紀の初めにかけて、約五十年間の戦争は比較的
短期戦であつた。これとても、普墺戦争が、普仏戦争となり、普仏戦
争が欧州大戦への連鎖といふことになれば、数十年間の戦争である。
第一次ヨーロッパ戦争は初めはクリスマスまでにはベルリンに凱旋と
いふやうなことで出かけたのであるが、やつて見るとどうして五年の
死闘が連続したのであります。
 戦争論の著者クラウゼウイツは、何故戦争が長期戦になるかといふ
ことの原因の一つとして次のやうなことを書いててゐる。「一体戦争が短
期間に終結するためには、敵味方の戦闘力をもつ者を一時に武装させ、
同じ戦場で格闘させて、倒れればこれで終りといふ決闘か角力のやう
な形式をとり得るならば、短期間間に終るかも知れない。併し戦闘力の
ある人々を一時に武装させることも不可能であり、全部を同じ戦場に
集めて土地の上で角力をとらせるやうに戦をさせることも出来るもの
ではない。実際は戦闘力のある者がだんだんに動員され、武装されて
戦場に送られてゆくのであつて、全国から全兵員が出揃ふといふこと
になれば、何年も何年もかかるのである。従つて戦争は幾回もの或は
数十回もの会戦が行はれるのである。また土地についてこれを考へて
みると、国内には山あり、河あり、幾つも防禦陣地が横たはつてゐる。
守るに易く攻むるに難い山や河は何段構へにもなつてゐる。これ等の
山や河を国境まで押進て一度国境で敗れんか、後は平坦砥のやうな
所で抵抗することは出来ないといふやうな地形は現実の問題としては
あり得ない。一城を抜き一砦を陥し入れてだんだん進んで行かなけれ
ばならないのである」といふやうな意味のことをいつてをる。クラク
ゼウイツはフレデリツク大王の時代に教育を受け、ナポレオン戦争に
従軍したプロシアの将軍で、今から百五、六十年前の国民戦争の揺籃
時代ともいふべき頃の戦争の体験者であります。今日と比べると、ま
だ鉄道もなかつた頃の戦争で輸送能力も動員能力も集中能力も比較に
ならない。また武器の機械化スピード化等といふことは言葉もなかつ
た頃であります。
 あるロシヤの軍事評論家は「今日のスピード化された武器に対して
は、空間を距離で測定することは間違で時間で測らなければならな
い。また防禦不敗の態勢といふことは成立しない」といつてをりますが、
実際今日は敵から何千キロメートル離れてゐるからといつて安心して
ゐることは出来ない。また敵が飛行機を以て攻撃してくれば味方も飛
行機で、敵が戦車を以てすれば、こちらも戦車を以てむかへ撃たなけ
ればならないのでありまして、一地に止つて防禦のみしてゐるといふ
ことは出来ないであります。
 かやうに飛行機、戦車が現出して戦がスピード化されたのみならず
交戦する兵力量が、昔は思ひもよらなかつた巨大な数字になつたこと
戦場が立体的となり非常に広くなつたこと等戦争自体が全くその相貌
を変へたのでありますが、また、クラウゼウイツのいふ長期戦の原因
は、一面の真理を喝破いたしてゐるのであります。
 近代の戦争は国民戦争から国家総動員の戦争を経て当今の国家総力
戦と進化いたして来たのであります。
 しかして短期戦であつた普墺、普仏戦争、日清、日露戦争は国民戦
争時代の末期に行はれたのでありますが、これが短期戦に終つたとい
ふことは一国対一国の戦であつたといふことが大きな原因をなしてな
る。もつとも普墺戦争は新興国であつたプロシヤとイタリーが、老大
国のオーストリーと戦つた二対一の戦でありましたが、近隣の強国イ
ギリス、ロシヤ等は余りこの戦ひに対しては武力を以て参加するやう
なことはしなかつたのであります。与国がなかつた、同盟国がなかつ
たといふことが、戦争を短期に終結せしめた一つの原因と見なければ
なりません。
 それから、第一次欧州大戦は国家総動員時代の戦争ともいふべきも
のでありますが、まだ大戦が起つた頃は、経済戦とか思想戦とかいふ
言葉もなく、はつきりしてをらなかつた。武力戦に対しては、準備は
比較的あつたのでありますが、思想戦、経済戦に対しては大した用意
も、準備もなく戦争にはひつたのであります。強国同志が同盟国対聯
合国とわかれて愈々戦争が長びくにつれ、国家闘争の手段として思想
戦、経済戦が登場し、戦争は複雑極まる相貌を呈するにいたつたので
あります。
 有名なクラウゼウイツの「戦争は他の手段をもつてする政治の継続
なり」といふ言葉は、ルーデンドルフが指摘してゐるやうに、あの政
治といふのは外交といふ意味で、国内態勢の問題も、経済の問題も入
つてゐなかつた。百五十年前書かれた当時の気持としては、平時は外
交、戦時は戦争といふやうな意味であつたやうでありますが、寧ろた
だ今では国家闘争の手段として、武力戦、外交戦、思想戦、経済戦等
が用ひられ、あらゆる部門に於ける準備と活動が必要となり、戦争は
他の手段を以てする政治の継続ではなくて、却つて逆に「政治は他の
手段を似てする戦争の継続なり」といふ方が適当であらうと思ふので
あります。
 即ち戦争を基準として、国内の体制も、経済も、思想も、外交も準
備されなければならないのでありまして、国防国家体制完備の必要が
叫ばれるのもまたここにあるのであります。
 私は一国対一国の戦争を単純戦争。数ケ国対数ケ国の戦争を複雑戦
争と名づけてみたい。単純戦争は短期戦であるが、複雑戦争は長期戦
である。
 大東亜戦争は複雑戦争であります。総力戦体制の下に武力戦を中軸
として、外交、思想、経済戦等あらゆる手段が動員され、独伊と共に
世界新秩序建設のため鎬を削つてゐるのであります。戦争の規模に於
いて、その構想に於いて、空前絶後、いかに雄渾壮大であるか、この
戦争が一朝一夕で片づくものではない、正に長期の戦である。
 しかして我々は長期戦に勝抜くためには、一切の者を、すべてのも
のを戦争完遂の一点に集中しなければならない。あくまで辛抱づよく
あくまで執拗に、勝利の一点に向つてまつしぐらに進まなければなら
ない。
 近代戦は神経戦といはれてゐる。繊細な神経では駄目、あくまでも
強靱な不屈不撓な神経をもたねばならぬ。徳富さんもいつてをられる
通り、敵をなぐつておいて、こちらだけ反撃をうけないでゐると思ふ
のは、余りにも虫がよすぎる算段である。我々は戦争をしつつある今
日、多少の空襲があらうと、船が沈められやうと、物に困らうと、ビク
ともしてはならない。却つて一難来るごとに勇を起し、闘志満々、何
十年、何百年かからうと戦ひ抜かねばならぬ。一寸したことに喜び、
一寸したことに悲しみ、目前に去来する些々たる現象にまどはされ、
一喜一憂するがごときは戦時下国民のとらざるところである。我々は
危険によつてあざむかれることなく、あくまで必勝の信念を堅持し、
最後の勝利に向つて、断々乎として前進また前進をつづけなければな
らない。
 我々は何のために生れて来たか。大東亜戦争に勝抜くために生れて
来たのではないか。驕れるもの米英を叩きつぶすために生れて来たの
ではないか。敵が屈服するまでは断じて戈ををさめてはならない。我
我の時代に屈服しないならば我々の子供が戦ふであらう。子供の時代
に屈服しなければ、我々の孫が戦ふであらう。
 百年戦争の覚悟はよいか。
 我々は日に三度、「覚悟は百年」の言葉を繰返し、直ちに生活の中に
収入れ、職域の上に反映せしめなければいけない。しかして我等は不
敵の魂と強靱なる神経とをもつて、敵の空襲や海上ゲリラ戦が益々日
本人の敵愾心を煽り、百年戦争の覚悟をいよいよ強固ならしめる以外
何等の効果もなきことをハツキリ彼等に知らしむべきであらう。
                    (七月六日放送)