政治の新方向 情報局総裁 谷正之
掲馳以来杓六ケ月、大東頭取雫は畠軍の確かしきZ異に上り、声威
を宇内に丑挽してゐる.この間、わが拷鎗なる陣海軍はたゞに香特「
一二二フ、シンガポ「ルの敵三大墟鮎を顎減したのみならず、米英が世
界に冠たりとして
印を払定し、皇軍
覆刻なる恐椛に取
b榊
米英娠験を粉砕し、さらに世界のす庫腑
資、礁粥はもちろん、薗く米本土をすら
ゝある0
かくて、大‡並の新秩序建設はやうやく基纏工作を杜らんとし、昭
南島を始め東亜の各地域は、次々にカづ上き足どりでアジヤの役興に
芳してゐる。昨年帝閑が、働印交渉の決裂、米英の対日錘済断交等
の京大卒件の頻蛮に上つて、聞知麗容の賦払に立ちしことを観みるな
らば、世界史の審判がいかに沖刻であり、急速であるかに掛かぎるを
得ない。.」れまつたく御稜威の積らしむるところで、菟邦無比なるこ
の帯封に生をうけたるわれ▲く同席の感激ほい上Jぺ犬なるを蕪r得
ないので★のる0
惟ふに政治は現在の廉史である。底久l事大百簡年にわたつて、毒
成せられ訓練せられた我が国如の聴史的樽桃は、自由主義米英の侵略
と静河主義とにたいし最後の反撃改行つたのである0或ひは満州群舞
において、頭ひほ箕郷郷欒において、われ′1は水盤鞘捷の棒火をあ
げ、地ならしを行つたのである。衆後に費なも米国お上び英担が、あ
くまで故に挑臥し、帝国の触威と生存とを脅威するに重り、つひに大
付驚級数 谷 正 之
水亜執窄の勃竣となつたのであるが、われ〈の特に注意すべきは、
この取蓉が「祀窮ノ救業ヲ挟弘”こ奉り、「帝閑ノ光糞ヲ保全セム」と
するものであることである。
大東亜執事はあくまで「東亜ノ安宅ヲ摘保シ以テ他界J平和l】寄
輿」せんとするものであり、しかもそれは「璧耶ノ混業ヲ恢弘ヱ葬
るべき理念と方向に於て軌はるべきものである。か1るが故にこそ、
大東亜取宇は盤取であり、速読放であり、世界史の取ひなのである.
日本の吸宇は日本の政治であ♭、日本の政治ほ軽ける日本の鹿史を
現在に措かサことでなければならない。従つてわれ〈は鴇】期の武
力故において、日本の停桃を活かし、日本の鷹史を再現して、戦史食
前の大政果を収めたと同様に、革→籾の速読職に放ても日本世界判を
活かし、日本の侍続を故充して、世界維新の朱印者たらねはなちない.
この意味からいへば、究理政治墟制の確立も、坪済新仕制の斗立も、
決して単に銃後国防力強化の一方便の同額ではない.それ自杜が日本
の臆史に附し、帝申の光尭に補聯する根本間頓である.戦争は放電で
あり、戎設は今やそれ自身他界史の取ひである.
靴ひは鴇】輸に放て行はれるとのみと考ふるがごときほ、恐るべき
祝辞不足である。上り日本的なるものを生み川すために、男在の制舵
機辞を上り日本膳史に郎腱せしむるために、われくは悩み、われ〈
ほ労力し、われ〈は散ほなければならない。日本の軽かしき鹿史を
(1)
現平に措かしてこそ、脈々椚へがたき氏族的情熱は嘘勤し、撫出違の
取研カは沌き咽で、さらに大鮎並の契蝕も壷麓すべき政治の性格が錬
挿されるのである。
衆條内閣が、先きに大東弛[零下に槻遇弊を断行した朋以もまたこ
こにあるのである0政府はこれに1つて、大東亜の研速読を指導推進
すべき完質誠曾の槻宅新政拾力の結鎚を和挿すると典に、南内包ら
の圃殴漸税を促したのであるP*ひに圃比謂智の民剣山る御協力に上
つて、文筆遇節は所期の目的を達し得たのである0かくして選出され
た新訳艮な中心として、国民諸君の翼賛調節確立への熱意をそのまゝ
に、今ヤ新政治力桔襲の諷髄も解決されるに至つた。
究理政治宵は「園民の政治恵静を晶払し、学園的政治力を桔兆し、
似て圃毅の楷力を藍挿し敬中日的を筑徹」せんと†るものであり、特
に紘選夢の結架にかんがみ「表巽汽政治坦制を稲光し、波間抗野を
表し、一地空職域の利率に拘らない」国家的見地に立てる認賛訊
禽の碓北を糾するものである。
申†までもなく、現在の園筑把力潔コにおいては、琴南性制の牲傭
を急ぎ、国家の総力を緒銀†ることほ念接中の会務である。外、米英
のデマ東伯にたいして磐石不軌の静岡鰭制をと1のへ、また摘伊の信
銅に爬へて拍民の粗湛軍の悍力を竣挿し、内、団家の会費瀬、全労
力・会費金を山元的に計管し、結合的に動員せんがためには、拳固的
なろ政治山地制と、その基礎に空」る革新的にして、しかも永つゞき
のする独力政治の破糾が絶封に必賓なのである。
さらに飛拭肋骨確先の閃鶴にいたつては、暇持たると平帽たること
を撃ヘず、帝餉筑何歯然の繁劇である0た三人東鵡職下の幻段階にお
い/し1その必一班がJ府捕博せられるのであるd糾煎抑c1とく、帝隠
講何は茶米流の民主主義の析窪ではないD人桃宴妄の他に見るがご
とく、時の能力者にたいし臣民の自由を耗迎せんとするものでもなけ
れば、又「代表なければ租税なし一といふ慧Mにも明かなることく、他
力♯の苛概数求にたいし臣民の触利を擁護せんとするものでもない.
帝同意法は、畏くも「醒家ノ随員卜臣増ノ誕相トヲ以テ中心ノ欣壌
トヱ姶ふ上御天が、御現ら現在及び将来2帖民にたいして意布
し袷へる不勝の大典である0しかも帝開封扶は二豊浦皇宗ノ放訓ヲ
明敏エヱ給へるものであり、「臣民翼賛ノ盛ヲ靡メ」扮ひしもので
ある。
招に慧法教務の御勅語において、「挟我力臣沌ハ即チ祀宗ノ忠良ナル
臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ瞑力意ヲ奉燈シ腕力琴ヲ輿帽シ柑糾三和
衷協同ソ益表力帝国ノ光琴ヲ小外1壷揚品宗ノ濫菜ヲ永久二男尚
ナラrムルノ所望ヲ同クシ比ノ亀損ヲ分ッニ堪フルコトヲ探ハサルナ
ヱと仰せられゐるのを耕しては、帝国桔放たるものたゞ〈感泣す
るの外はない。
まことに釆饗試身の根設は、帝組講宵に訳せられたる最初にして最
後の基本的維題である0或ひは一触カニ職域の利涛に拘海し、威ひほ
眠憫の抗争に終始するがこときは、帝餉臣民として晰Lて許されぎろ
行馬といはねはならね.
かつて濁るフヲンス人定うたと息ふが、茶園試合政治の混乱と非能
率性を批評して、
「英科人ほ枚鵠の訳巡性に扶印的叔鳩な粥へるため鍋軒制姥に上る政
府を考へ出した」といつた0列姐のいはゆる研財政治の行語りも、か
くのこく政領の急純なる軍現を、或ひは沢訣R撃のために、戎ひは政
抑招待のために地頂して師みなかつた軌にあるかと思ふ。
(2)
寧ひにわが鞄においては、時局の署大性を勤致する人々に上つて、
奥に均轄の正しき確を箸に反映すると典に、上く時代の動向を洞察
して、政府と相地へて、取持下必率なる閑地の耳現に協力し、杏、寧
ろこれを推進†ペき翼攣純愈の址設されんとすることは同慶のいたb
である. ノ//
しかし、世界史招魂の究大任耕を捻ふ日本としてほ、右に蛾べた翼
彗鍋倉の紐設と共に、さらに全図民の翼賛奉公心を組織にまで結兆す
ることが必弊である.政府が今回大政翼梵曾の機能を刷新し、翼賛曾
をして、窮民発梵臣道繁接の軌地租均確立の推進中核放たるの筆を一
層空挿せしむるに至つたのもこれがためである.
申†までもなく、昨年十〓月八日、宜馳の大詔一硬び湊讃せらるゝ
や全日本国民は、老ひも若きも、男も女もこと人\くが、日本臣此と
しての赤心に立ち留り、天業究理の決意を同じうしたのである。その
後相次いで款表された挿しき耽盤に、み民われの生けるしるしを感ぜ
ぎるものほ一人もない。この感激を緒集して政治の推進力たらしめ、
この赤砺を指導し訓頓して耗靖甘藷の原動力たらしむるは、正に取牢
政治の葬諦である.
勿論稚来においても、各地域、各職域にはそれぐの閑民組織がす
でに存在してゐたわけである。しかしなほ姐椴の内而において繁多末
聯決の闘鶏が存したのみならず、各国饉、骨組持の間に繁務なる逮格
協鞘を保持する粘においては特に妙なからず混増の粘があつた。
今岡改めてこれ等各種の開場迦動を大政翼賛骨の傘下に収め、全国
民が清澄に舵妃翼賛臣遁世鵡の生活を督むやうに指張を強化すること
にあひなつたのである。
とれに上つて思想と生晒が分裂を来たしたり、或ひは内地と現地と
の間に思想、理念の腐bを水たすがごときことのないや〜に、内地も
現地も打つて一丸となり、あひ携へて求並の研鎚設を推拒することが
出来るわけである。特に繋糞奉公の彗息は、そのま1長野的に難沼の
中で甥頻せられ、組織づけられるに至ること1信ずる。
かくのごとくして初めて、絶ての職場は来賓ポ公の理念に於て鎚督
せられ、その理念とその賓拭とを通〔て直接的に天禁を巽賀し窄るこ
とになるのである。かくて職場は所望なる適切となり、臣鵡甥鵡り漣
錬場となるのである.
これらの職域姐抱をほじめ、各払各様の閑朗糾抽をその傘下に収め
た大政翼背骨の任務はい上Jl蚤かつ大を加ふるに至つたのである.
式餐身の秋せられたる壌多の任務の中、国民思想の統一と、大政翼甥
捷動の基底となるべき閑民組械の摘立とに関するものほ、特に怒啓な
るものであつて、大政翼賛禽は何上りも先づ、思想馳を具盟約生活の
中において勝ち抜かんとする智堵母性たらねばならない。情報局その
他榊係各鶴と繁務なる適格のもとに、翼賛禽り機能が、国光の挽に治
つてい上〈槻充されんことを期待するものである。
要†るに、大東亜の新株序は、帝国自らの新秋序の側溝なくしてはこ
れ材社設することは出来ない0しかも帝閏日憤の研秩序は文化、思想
経済等国民生活の各伊野における新株序の創造を指甘し推進†べき政
治の捷制が刷新覗化されるに非ザんば、これを期待すべくもない。
買賀政治曾の力強く竪足し、大政翼賛身の取木的に改組せられた今
日こそ大東亜の新政治力梅箋の日である。アジヤ十億の民の政治弼堵
に任ずべく、われノトは政治の舛へ識な明敏にし、政治の紐梢を糾カに
し、政治の訟卯を粗椀生1ノベきであると柑信†るのである。
(3)
(六月一日放送)