最近の国際情勢について 情報局第三部長 堀公一

軍のビル▼に於ける進撃は同誕や、米英側の反撃成功のデマ鍾侍
らず、椛進に椎踏を掛け、北部ビルマの好衝は次々に我方に障ら
茫に皇軍の拷錐は長鵜ビルマ国境を突破、妻縞省に突入し、君臣
が尊大の資金と努力を毒して頼設した唯一の輸血路ビル†ルートが今
や却て皇¥耽坤の魅撃路と化したのほ碁に皮肉の極みであります。正
卓は完全に英米との連絡を濫晰されたのみならずビルマ防衛には蒋介
石もその虎の子の中央革構銃を出したにも殉はらず、脆くも打ち捲か
れ又まさかと息つた日本軍辛帝拳迄見るに璽つた環、滞介石は根択
措くところを知ら†、五月七日碩学垂を宇帝防飯事後熊協穎の馬沢
埠.自らも亦具明に飛んで革帝防衛に大東の放であります。米英とし
†首、こ1で密慶に逃げ出されては自己の丈亜支配の宅みを永久に失
ふことになるのでソ聯頻助と炎に戦軍鶏替の〓つの大きな[頓として
戊簿に椎転となつて衆たのであります.即ち聯合南側は五月一日葦府
に太平洋軍中身鎖を朗き、新しい竣帝の方措、日本政確の新手段等々
いろ〈協領した墳像であbます.この倉故に出席したル大統餅が
rビルマルートを頸つた後の撰僻方法如何ヱ
との斯牌紀者の質問に封し
「何か方法が見つかるだらう」
と回答しましたが、単に氾者剛から岡ひ辞めらる▲に及んでその方法
は革の秘務でいふことが出来ないと、苦しい申し開きをしてゐること
からでも解る滴り、この太平洋戦争倉熟も結局大した枯漁を得ずして
絶つたであらうことほ想像に敷くないのであります。
 ビルマ作戦の池島は他」ペ東印度洋制海他の掌頻と共に我海陸上り
†る印琵進撃鹿労を盤へた瓢で、印鼓への靂を一甘強めた軋にも碇
大な意義があるのでありまLて、この態労は印度民衆に驚い惣醒の念
を輿へずには措かないのであります.
 クリップス特堀碓節の印度交渉の失敗は、♀に成功しなかつたとい
ふ計りでなく、却つて実用他の不批意なる企凶を農#し、態々印坪内
に放ける掬立の東通を点め、他方悔英反共の蛮東を助長し薮蛇に絶つ
たのでありますが、その結果は五月一日アラハパットに開かれた閥比
禽帯涙全図委員曾、封英不協力.即時完全畑立の野求映苛の再碓鵡と
なり、又ガンジーの信條たる外敵への無抵抗、不地力桝鍛娯招持とも
く11)

なつたのであbます.ガ/ジーは最近
r印盤に英酌丘ハが屠据つてゐることは日本の銃鉾を誘致することにな
 るから、英圃兵は鵡に印度な撤退すべきである」
と弼く英の瓢絆から耽することを要求してをり、又多少親葵色を以て
眺められてゐるネールさへも
「クリップスが印裁の情勢は故事されたと考へるのは大きな間違ひで
 ある0われ〈は英娼と交渉を再鋼する転持は持つてゐないし
と言明してゐるのであります0そこで叔近は米固が不評判な英由に代
つて、印度工作に零り出しルーズヴエルトの特使ジョンソ首、封印
技術確執使節〆ラデイI等が昭招を掛け、米圃の新阿中には「印床の
防衛ほ米所に萎せろ」と申†ものさへ型Jをり、米国の野望な鼻落し
てをりま†0米国は印鑑の抵抗力椅強を今や研含申例の地学塗行上の
東野吊抑であるとして重大覗し、印既の工業化を促鵜†ることに上り
武裾の日給を計り、且は自己の東亜に於て喪失せる賛沖の代概誉」ゝ
に求めやぅと印度懐柔には未だ宴みを架て1をゎません。又英国は和
食人全般の蔵相如何に拘はらず、印度の黎働を進めてをり既に米所兵
も朱印してゐるやうであbま†から、印変人の反共的態度を見て直に
印庶の慣鞍政熊が日本農であらうと考へるのは勿論早計ではありま
†が、歴々革明した我が国の印度に射する公正無私の態度とビルマ及
び印度洋に於ける比敷なき馳架と、さてはビル†に於ける英軍の印度
人に封†る鹿状等を見牒した印党人がわが日本に対して有する感情に
堅し管日と著しく剋るものあるべきは1疑のないところであります.
又英米が舜に弼む最も大きな辟因もこ1に存する誕であ巾ます。
 かやうに大乾麺に於ける米英の立場は非避のl季に島きる評であり
 ますが、一万何等かの快報を持ち佗びる国民に封して政府は何物かを
粥へなければならぬ.−」の目的のため托耗近米英州が大東電馳平に放
て封日反撃の串】渉を鞘みHしたと、盛に食悔してゐるものに、梵に
洞8我が海軍部陰の大野を博した粥瑚昭和暇があるのでありま†.
 この日本別聯利の悔故の職梨に陶し胤々し〈も米英側は米英側の野
利であると字義し、穣州に於けるマツクアーサ1聯合軍司令部が「日
本将軍に致命的打撃を興へた」と途方もない悩構の日本側択醤の敷革
を艶々し〈掲げ、全世界に米英側大勝の」アマを振りまいたのでありま
す勺勿撃」れ等の捏造詑串はその伍後の我が大本営の教衷に上つて択
低から粉砕されたのでありま†が、こゝに師白いのはこの耶件を損つ
て塀なくも米英のデマが肖ら尻を剖つたことSのります。即ちデマの
本蛾である濠洲では首相カーチソが七日に調合に於て、
「汚稲太平洋に放て現に摂掛中の海譲散は、この方面に放ける将来の
 職申敢行に決定的訳蓼性を持つものである。もしこの取覿が聯ム晶
 別に不利な枯果に終れば搾州は未曾有の危槻に曝されるであらヱ
と申したのであbますご1の雷明はデマに碓つた聯合同国民に冷水三
斗を浴びせたのであります。
即ち米悔軍省は早建崩腰となり
 甘口本州の公表ほ採るに足らない。敵が粥へたと桝する拇香は賀来の
 串甥であるq併合闘伽の択特については未だ祥報が到蔚しないから
 不明である」     、
 と教表し、美園側も
 「我々の損傷は比較にならぬ捏極致である。[架の詳細については敵
 側に有利な情報を粥へる恐れがあるから、その心配が無くなる迄は
 公衰は出来ない」
 と架衷いたしました。同様にハル米酌均接浣官も九日
(12)
\\
  rB‡蝕−をわ叫つた−搾大な払「異について眈仙軌を守るのは心血菅しい女ハ帯
  だが、辞紬は轟が明かになる迄公表を毎換へなけわばならない」
 と構明にとれ救め†をりま†が、十二日になむますと醸洲の陸柑フォ
 ードほ
 「網棚海海放の揺果は苛にとつて緊急な有意をひき苧ととになる
  かも知れない」
 と意味憤正な習明を行ひ、倫敦放逸局の解説者は英米の海軍が何虞に
\\待つても常に塀つた聯つたと教卓されるにも拘らザ、8木琴は何成へ
 で▲も上陸をしてをるではないかと皮肉つてをりま†。これはデマ‡件
 の鮮血尉を最も雑持に語つてゐるものであります。
  倹敦の辞迭局がいふやうに日本軍に対してはほとんど無力の英米の
 海軍も鮨しながらコソ泥式の海賊行焉には成功してゐるところもあり
 ます.四月〓十五日の併傍点ユーカレドエアの米軍に上る占領、五月
 五日の美学に上る併憐†〆ガスカール占簡閲姶、挽いて行はれた仰飯
 †ルナ;yク#島の米国に上る革耳上の占照交渉等が−」れでありま
 †.いづれの塘合にも犠牲替は放散の働いまだ俺へぎる気の持なゲイ
 aI政府であわ、又その侵略者は曾て畑血戦学の擦俳柵西から多大の
 恩卓を受けた米国と、−昨年迄併礪西と相共に手を挽へて生死を撃つ
 た英国であります。日本軍がデイシI政府の同意を得て合法的に俳印
 に逝鞋した持「これを以て日本の瑳略なゎとて野を大にして叫んだ術
 国が、如何に此取の兼とはいへ切収強盗にも均しき行鳥を敢てして栃
 みぎるが如き彼等の稚ねて口にする正義や人道なるものが自分建に都
 合の良い聞だけの正負人正に外ならねととを如賓に元†ものであつ
 て、これ等の非鵡なる占領に上つて−時軍鴨的利益を就縛ると†るも
 ▼yグPサクyy民族の人間性に料†る全世界の信用を失降せろ不利
は比扱の出来拍▲荏]人且世久酌な川田鍵ハむJもたらしたことに破等はまだ一昇
がついてゐないや〜であります。
 伊つて歓洲の戦局を眺めませぅ9和迩のヒトラ一組続は四月二十六
日の園曾汝眈で容寧大攻勢の決意を示サ一万1 二十九、三十日とムタ
ツリ一【伊太利首相と富野倉秩を行ひ、作馳を榊つた模様であむますが
轟然今月初旬ケルチ牛島の一角から待望せる和琴の政勢の火蓋が切つ
て落された模様であります.勿論これは未だ前哨取ともいふべきもの
であつて本格的の吸局開始は今少しくおくれることでありませう。
 昨年十l一月以来大東現に於ける皇軍の廉史上粕例なき大取異に惣嘆
し拭けた天下の耳目は、今や開始されむとする本格的の政芋北は
▲ルアyスクから帝は黒海にいたる挽々数千キロの戦線に展開する珂
辞の一大決河に集中せられてゐるのであります。それだけ・」の取牢は
欧米諸国並に我が困にとつても正大なものであります。掬蘇の将来は
勿験英米の淫命も亦その徴兵に憶つてゐるといつて過宮ではないので
ありまナ。殊に蘇聯の杭戦を唯−の摘みとしてゐる英米が蘇研から朔
に扶助の強化、鶉二取線の拒成につき欠のやうな催促を受けながらこ
れに鹿ずる方法がなく、徒らにとれを見逸る上り外なき地位にある日
その焦燥振りは軋に無理からねものがあるのであゎます。
 米陸軍彙訴長†Iシ十ルほ英国上わ願米領
 「乾坤】執の〓ハ勝色以外勤労挽回の道なしJ
といひ、スタータは
 「出来るだけ漣に攻撃を行ふべきである、敵洲の海軍配備は完了し
 た」
と言明し、英均のピーグアーデルタクは封錬招助強化と例の験糊妨〓
取繰の持成とを力説、英栄の気勢を燭つてゐるのでありまTが、これ
く1井)

に封してソナエスタ1・ガーデイアン所持の如きは
 「事情に鞘消せぎる者が側から口を出して常局を醸つて非せ惧的な
 ことに爽出させるやぅな帆れがある」
とその無謀を改革し
 r閏績は侵入の希望や感情ではなく−準備ありや否やである、あれ
 われはダンケルク竺石盤は御免である」
といふ者も現ほれるといふ瀬状で敗浪蹄管内に放ける意見封立の醜状
を汲憾な〈曝誠してゐるのであります。
 取略的に見た敵同の立坂は以上の如きものであゎますが、モにその
国内情勢についてl管を加へませう。
 疋良が抗職力再建の見込なき地位に陥bましたことは前組の洩りで
あり又内政上の緒開琴財政の礪迫−物個の義礪等の鳥め自穎の一歩
手前迄追ひ込められてゐることも事†であむま†が、蒲介石及びその
蒜ほ封日抗他のみが、白沢地位保持の惟二の舞されたる方熊である
ことを知つてゐるので、まだ私利私情を彗」ゝ大東喪建設に協力する
といふ大義につくだけの勇気と決心とを軟いてゐるや与であります.
速惑なのはこの理由なき又見込なき私愁の鳥めの杭馳に引摺らるゝ支
那四億の無革の民衆であることは申†注もありません.
 衣に英国はどうか.
 相次ぐ敗放と1これに封する封籠の撫きことは現政府非難の宰を晶
め、又国内に於ける物資の不足、券働カの不足、食畑割普の減少告二
股情勢日々に恋化の一途を辿りつ1ありますが、未だ反動思想、和平
持分符の純胡を見てゐないやうでありまT。先般行はれました輿論粥
 砺ハこれは必ずしも開演なしとは申されませんが)これに上りますと
 チャーチルを家持†るものは入創二分、これを杏と†るもの)割≡分
政府の敬申盆行方熊を支持するものは五剖、反射†るもの三朝八分と
なつてゐるといふことでありまして、チャーチルの敬鴨には相歯り反
封があるがチャーチル内閣げ未だ多分の信鮎を団乾から受けてゐると
いふ大敗の憤向牽試すものと恩はれるのであります.
 最後に弊囲はと与してゐるか。
 l晋にていへば、日下拳固ほ平和的自由搾賦払払に盲入十庶の梱襖
を行ひ、取時続制確済への改組最小といへませう。穣鵜なる自由栖済
を牢梼してゐた図柄だけにそこにいろ〈な憎みはある。個人の生活
は揚場に制限せられるQ利潤ほ制限せられ、物倒ほ鳴る、租挽ほ材徹
せられる、必帝資材の不足、労働同額等に上つて生衰ほ汚桝する如く
害されてゐない、又個令これ等の生藻が出来たとしてもこれ等の繋
材を米本土に積んでおいたのでは何の役にも允たない、これを職場に
逸る輸幾の開留つまり船睨の閉院がJり正大な開歯として残されてを
りこれ等の国内称憫に伴つて政府非鮎の常もあるにほあります。然し
こゝにも有力な反故思想ともいふべきものは殆ど見曹らないのであり
ま丁9少し古いが二月の輿漁網査にJりま†と、月米長期職を覚悟†
るもの五潮〓分、敷革申ストライキ禁止に竿成するもの入剖七分、一
週五十時間労働時間ハ割増算金無し)に賛成†るもの八軒、利潤制限
に賛成するもの約入割といふことになつてをり、又最近行は九たルー
ズグモルトに封する輿論働査に上りま†と、ル支持者が十割八分でち
つて又反封するも政府鞭穐の態度を探つてゐるやうであります.撃し
全建としてこれを見れば、戦多の矛盾、反射を包成しっ1もル政他の
計宅した戦時腔制への輔換が徐々に且大規確に軌為に来りりゝをセJ
とも、見逃サことが出来ないのであります。少なくともか1る推ハ疋判
断の下に我が方の施熊も、拘民の心耗へも、決定せられて行かなけれ
(14)
はならないのであります。布噂の海戦に、さては靖西太平洋に米佃が
敗戦に敗戦を屯ねた原凶は、我が将兵の果敢なる日本持紳の襲揮に基
くものたることは勿論であ¢ま†が、他南米掬の我が閥力、我が将帥
カに勤†る約少評偶にあつたことも節理でありまして、以て他山の石
と点すべきであります。もと上り数刻凱申上げたやうに、過去年式の
取異に上つてわが日本の不敗の取略的地歩は毎き上げられたのであり
まして、碓て叉大東増馳の将来についても自ら結論が出て来る謬であ
bま†。大東窮撤勃竣前英米究舶符の包紺地制下の京苦しい袈煮の中
に、日米禽談に平和解決の鍵を見出さんと努めてゐたかの頃と現在盛
の頓方に大きな希萌の光明を仰ぎつ1各々の資材に邁淑するわれく
の心境とを柑ひ比べますと、われ乍ら日本の馬に有利に埠回した由隙
博労の革帯に彪くと共に、 抑稜威の有難さに稚を正さずにはゐられ
ないのでありま†。
 然し乍ら深く思ひを致さなけれはならないことは、我が日本は庚亜
民族十億の相融と、正義に立脚し恒久平和を基酵とする大東熊共発願
 大東意建設と道路

 大竣成の下、精錬なる皇iがおさめました嫌々たる大敵果に上つて
今や皇国の北、大衆鳩の各地に放て到る題として行捗らね威ないとい
ふやうになりましたことは、弼に御同辟に堪へない攻坊であり音†¢
しかしながら、この珂力の職に於きま†る大敵果から進んで入紘−宇
の確允と、吏に盟邦との地力に上る世界新秩序の建武といふ、甘/J歴
史になき大きな使命を控へてゐることであり、この使命題成に反射し
で官とカと、そして柑意の粘り強さとを誇つた敵戚が難動を痍けてゐ
るのであつて、我々の前添には筒穀多の困難が横たはることでありま
ナ。我々は今や世界の庶史を作つてゐる、毅が大和民族に許せられた
使命は今やその達成の歩を踏斗出してゐるのである。和も我々は不敗
の地位を得、婿水の自信を杷超してゐるのである。今後堺成ると育と
は一つに一億同胞−人一人の心構へに繍蒲するのであります。この自
信とこの抱負と、この光欒とを繁り胸にた1んで、われくは各々持
場々々で文字確り粉骨砕身し上う。女中は女中として、官史は官丈と
して、軍人ほ軍人として、革生は鴇生として、鼻家ほ農家として、漁
夫は漁夫として、その敬域に従て舶命の努力を致しませう。これこそ
君に忠、国に忠なる所以であり、大東退散完盤の唯一つの途であるの
であります。
                    ハ五月二十六日炊逸)