マダガスカルを侵す海賊国英国
ル†のマン〆レーはビルマ王朝救
後の郷であ刀、件粁的な土背丈比
の町でありまナ.】ニガを山に術王
れた盆地にあサ、わ寺の多いとこ
るなど′ビルマの東郷′といふ名
がある併似であ貯ます.
然し上ビルマ、マン〆レーの京
大な志耗はこゝがラングーンの陥
落後、米英釆康にとつて粥きれた
英粥難が去る五日海賊の萎の管
にかへつて不治にもフランス領の
マ〆ガスカル鳥に侵入しましたこ
とは曹若的耗や政経で御簾知の
曲りでありまナ●
このマ〆ガスカル為はアフサカ
大駄の東、印舵絆の四此叩に械たは
りモザンビク晦映を帽て▲、アフ
Wカ大陸のポルトガル領某アアy
カに相野してゐtす.モの南錬拝
外鹿の桝伴で地阿の上では比較的
小きく見えまナが、的六十〓溺五
キ平方粁即ちわが鞘金銭上りルし
小きいぐらゐで、ポルネオ忙次い
で世界で糊者日の大きな鳥であ∬
まナ。人口は附近Kある小きな鈷
由と併せて柑三宮八十革.少救の
フ’yス人、アラビヤ人の外大郷
分はヤ〆ガスカル人で参ります.
この†〆ガスカル鳥は、今から
川官凹十年倫り前、西唐一五〇六
年わが純桝坤代の初め忙ポルトガ
ル人によつて準見きれ、その後英
俳南鯛が池川を舛み、この偽を液
つて昏ひましたが、一入八五年ハ明
治十入年)にフランスの伴礫領と
なつたところであり、モめ後フラ
ンスは一入九六年ハ明治二十九年)
に正式め稚特植民地として総督む
汰恋し、甘府は鳥の中央林にある
ダナナサボに僅かれてありまナ。
耗兼は農業を立とし建物は米と
か甘帯叩、】
オ、鍵耳、
れてをり、
鴨を▲費し、
ーヒー、玉昂黍、カ、
立秋替で、養澱も布は
林業としてはゴムや締
また♯産物には壁増や
幣稚触などがあります.
このマ〆ガスカル鳥は日揮蛾争
常時、バルナツク照除が寄港した
こともありまして、印衆評におけ
る♯♯上の努地であります.
この▼〆ガスカル粘に封し、英
飼は突如、不津にも去る五日狐洋
艦、群亀埠.粧盤確患を建ね的二
偶の兵力を以て鳥の北部のデータ
●スアレズ軍港附泣上り上陸した
のであyます.フランスはかつて
英朗の味方であり、今は中流の地
位にありますにも拘らず、英固ほ
この中立国フランス仁射し、フラ
ンス守備軍の防津を便して攻群を
行ひ、美的の昔の海城行食をきな
がらそのま1に演じたものであり
まして、費えてゐるとき故つてゐ
た紳士困の憫両をかなぐりナてて
モの本性である昔の寮牲を暴辞し
たのでありますり
英幽の寸〆ガスカルに対する任
入の瓢由なるものは、r英米南国は
仰夙民の銭に掛軸閑より河鹿を礫
らんとナるものである」といふの
セありますが、他人のものを人に
とられる危険があるからといつて
仰望父渉もなくこれを改革し渾ひ
とらうといふのであり、践人猛々
しいといはうか、甘措護軒の恥♯
であ妙まして、これは成城に続く
放蛾をまね、負け蛾きむどうして
も盛りかへナことの出来ない英的
の最後の無策菅茶なあがき整がし
てゐるのでありまナ.射ち梨亜に
わいてはききにマレーに放れ、シ
ンガポールを炊かれ、印度四億の
民衆を坑特に鈍り立てょうとはか
つた即庶との交渉にも失敗し、正
にまたビルマを失ひ、英酵は又弧
の形昇を建減ナ望みは全くなくな
つたのであります。
また敗洲でほ鶴こ一輯繰と移し〆
Vヲ戦的な反準を試みましたがこ
れも失敗忙挿し、そのなすとこる
いづれも不成功に経X、英明氏の
不平を又つてゐるのであります.
これにあせつた英組政府は岡見の
汎を外に聴じょうとして、一審拭
坑のないマ〆ガスカル鳥む選んで
占領し、これを印庇防締や措辞と
耕して、醐民の前に耕態をとまか
さうと企てたのでありまナ.
この英国の不時な仕打に射しこ
れまでの鹿長むる不法を加「られ
て耗た’’yスが、上下を挙げて
錬博したのば常然であります.
ベタy首席はマダガスカル札甘
忙射し、r余は†′ガスカル洩に対
する英軍の庫椅を知った。美的の
叔促件降伏雫まの最後穎牒忙対し
て†〆ガスカル鳥沸軍司令官は、
†〆ガスカルは最後まで防衛きれ
るであらうと鮮へた.との返答は
唯】の可能なものだつたのであ
る。宰司令官がアラyスの名著む
守りつ1あるとの維挿なる時期に
於て、余はその阿蘇であることむ
軍司令官に停へられよ.余の耳哉
とフランス閏の好意を馳海空軍井
兵汝に稽坪官に停へられんことt
乞ふJといふ官業を象りミした.
フランス軍粗司令官〆ル’y地
甘も「またもやアンダPサクソy
はその赦幽と♯ふ代Pに、本開か
ら逮捕の地に孤立せるフランス柾
民地を寄故することにょつて契な
熊捷を秋めょうと試みたのであ
るJ 「わが三色族を高く掬伊上T
余力を亀して奪取せょ1モしてイ
(B4)
rゎれくは甘つてイギリスがフ
ヲン〆−スにおいてわれくを我
切り、メルセルケビル、〆カール
及びシリアにおいても、われく
に卸して不坤な趨姓行盛仁山で、
またバリの肘托女鹿粁し、ヂプチ
のフランス人棒女子む幼稚きせよ
ぅとしたことを忘れてはなら拍¢
馳城せょ1 フランスの名‡む練
れT イギリスが大往生を達げる
べ合歓が雑るのだT フランス為
政−」と▼ダガスカル為のフヲン
ス瑠を汝淋し士した。
このフランスに射し、英均と共
同ナる米幽はまた銀泣きはまる油
牒を饗したのでありまして、それ
はr†〆ガスカル偽柾准の彿典が
英兵に如何なる暴行を働いてもこ
れは米幽に対する好槻的行名を構
成ナるであらう。米朗は枢軸幽と
交恥小であるからマ〆ガスカル倣
月を必躯とする鴇合はきうナるで
あらう」といふのがそれでち少‡
ナ。ある財が中立を便きれて、仙
飼上り攻野女丁つけてゐるのに封し
手向ふのをやめょ、さもなければ
8分の閑への敵対行戊になるぞと
いふ脅し文句でありまして、これ
はどふぎけたいひ草は恐ら〈どと
の鵬史忙もないであyませう。こ
れに蜘鉾してフランスは
「沸殉教肘はこ1て英明箪によウ
て行はれた†〆ガスカル鳥侵略行
食に卸し、最も我意なる銃洪を申
し込むものである」
r米政府は傭故鮮忙射しその飼士
が改革きれても抄衝を燕止ナる昏
弊求したが、伸政府は軒乎として
かゝる羊水を据不ナるPなんとな
れば、併政府のみが畠材の祭事妙
帝を克うすべき救済汝行の列晰を
下すぺきであつて、他の何回とい
ヘビもこれ仁干典ナることは許き
れないからである」と、斯乎とし
てこれを拒絶したのは常鋲土中す
べ尊であります.
この英堵の、はた‡た米朗のさ
虐に射しフランスのグオP yデ●
ランドシノワーズ新開は次のやう
に論じてをりまナ。
「フランスはつひに崩い瀬苛めの
繊牲となつてし‡つた.これが共
車のマ〆ガスカル上挫を如つて受
けたフランス箪の仰欠である.勇
朴果敢と自稲ナる英軍は、香髄ヤ
シンガポールでは城野をナるより
畔伏ナることの方が低利だと考へ
た.しかし†〆ガスカルでは、英
良階士は何の危放を懸念ナること
もなく、鶉成を坤やかナことが川
衆たのだ.何故ならマ〆ガスカル
には殆ど軍除はゐなくて無敵徹に
等しいからである。況んや枚れ祭
事ある三オン・ジャックは朋討
による節制に依存してゐるとしか
思へね。丸くのどときイギリスの
暴虐に射し、ワシントンも永能を
輿へてゐる。ロンドンやワシント
ンでは、世界は賦者の此れの邁兵
として治られてゐると思つてゐる
に途ひない」と快つてゐます。
’ランスは甘く十八世叔にば有
田のためカナ〆を#はれ、また印
度に耗りて破れ印度秒史配を葵幽
に秋められたのであす‡したが、
今度の域争では〆ルヲン捉甘のい
ふどとく、此づフラン〆Iスの巾
ひで茶朗に衷切られたのであり‡
ナ.昭和十五年の五月、ドイツ¥
のため鞋偽称合軍がフヲン〆−ス
に温ひつめられまナと、粥帥竿は
フランス筆舌正面にねしたて如盤
軍と蛾はせ、英蜘はフヲyスのウ
エーガン井革の指揮によつて粥洩
軍む褒破する手魯をフランスと】
柿にたてゝねきながら、いぎモの
ときとなりまナと「乗尊を作るは
共用、からだを溌げだナは’’ン
スJといふ英的一緒め♯汝をせ#
して、フランス軍に♯はせながら
英開平はダンケルクからドーヴア
I海峡を避・えて本甲に頚げだして
しまつたのであy‡して、フラン
ス箪のそむ捷の恭命は御乗知の細
りでありまナ.
とこるが英幽はこの味方であつ
(ミ賂)
たフランスに対して、モの彼犬も
人も許さぎる焚にひどいことを市
つて耗たのであります.フランス
が和喝に敗北し‡すと、英開港除
はアフリカの所海山挿にあるフラン
スの〆カール港を貌ひ、フランス
を砲嘩したのであ町ます。昨日め
同盟雑に、不悪打と喰はナといふ
飽くまで海娩朗美的−洗のやり方
であり王すが、頼局この共幽桂除
の上陸作蛾は欠故に移り、析慨し
たフランス軍ほ飛行頻を似てジブ
ラルタルを爆準し、軒漫椎小生竜
野眈し、蛾准r9ナウン」沸は爆
準にゐたゝまらヂジ′ヲルクルか
ら逃げ出したといふ本件があ’ま
した.きらにまた英幽麓除は、同
じくアフりカ北世辞のフランス儀
アルゼリアのオヲン軍港に碇泊し
てゐたフランス控除の陣伏を嬰求
し、それを拒絶きれると卑蟻仁も
フラyス控除に向つて梅坪を行ひ
ました。この不意打を喰つてフラ
ンス艦醸の蛾席「デルターエニ
「 T〆yケルタ」は港杓に那座し、
耗檻「ストヲスタール」をはじめ
五先の巡洋艦、その他■寒艦、水
音便、沖水檻はやつと圃を衝いじ
牌れたのでありました.
英田めフランス忙封ナる暴虐は
これにとゞまらず、英国は地中海
治梓のフランス植民地シ,アに俊
入を計盤し、昨年六月つひにay
アに佳人したのでありました.
フランスに向けられたこの冷酷
無比の英碑の叔♯は、きらにこの
春のバリの非軍♯施設に封ナる官
棟となり、バ9市民に多改め死蔵
者を出し、今もなほフランス俄モ
時A爆撃して、フヲンス盈碑民を
頼庶忙憤慨きせてゐまナ。
しかる仁この英国は、また/〜
不意打忙今回Y〆ガスカル良忙佳
人したのであず士ナが、しかしか
うして、美観が列醍懇瀧の中で、
アンダーサクソン一流の海城行免
によつて、マ〆ガスカルに上陸し
ますや否や、わが棉舵なる海洋は
硬洲衆北部の珊瑚海で、党人敵米
英の主力艦挿盈帯妖したのであウ
まして、このことは赦といほヂ味
方といはヂ、世界のナべての憑き
且つ謙歎するところであり、赦蚊
に漁−えるフヲyスのわが的に封ナ
る感激もまた大きなものがあるの
であり士せう. (五月九日放送)