健民運動について 厚生大臣 小泉親彦
健民伽埋動に つ い て
晋の皆さん
本日は油に御目出度う御捲いました。
本日はビルマ方面から、而してまた南方海上からと南方商から払々
たる大馳果捧持の捗粥が相次で大本懸から蒙表され、お瓦ひ国民とし
て御竣成の下忠烈なる畠郎椚娼り虜咄力陶に封し泡に感激感謝に堪へ
ぎるととろでありま†。
皆さんと兆に心からこの大坪を軌出し、益々銃後の蕗を固く致さね
ばならぬと野ふ次第であります。
倍て去る−日から本日の大詔準鑑日まで入日間に亙りまして健民捷
勅を展掬いたしました・しとは、巳に居ウ知の通りでありま†が、この
牡鹿と申しま†のは従来の卑なる性能を保持増進†るといふ軽度の小
熊的なものでなく、モに高く強い内容をえたものでありまして、大東
罷取襲を聯ち按〈鳥にも、大抵碓捷設必成の持に・ヽ茫に又畠的永遠
の教壊の馬にも、弊†るにその根本は人であり、国民なのであります
から、大和托鋲ほ国防上からも政治上にも蓬莱方面その他几ゆる部面
に亙り止秀健全であり、その敬も亦穣めて鞋宮でなければならないの
であbますq
拾も滑らかなる拘りなき泉水が、滑々轟くるところなく響出で悠
久大河の清流となるが如く、未来永劫健罪なる国民が後から後からど
んどん生れ山で大和民族水速の擬刺たる著さ.堆か岩.強さを保ち頗
厚盤大臣 小 泉 親 彦
けること、それ即ち健始の大眼目なのであります.
即ちあれ〈閉民一人人々がわが大和民族は永遠に生々瓢耗サベき
建雰民族である、遠き紳代の背上り生々相称して衆た家であり、民族
なりといふことを浮く和熟して曳駒木衆の民放的大理想を大に荊放し
て、大鹿正の盟主たり指導者たるの斡と大水拍埋設を必ず成し巻げわ
ばならぬといふ正い努任とを快く肝に銘じて名取共にこれを甘梯し柑
るだけの甥力を具織することが絶対必黎であります。
これが馬には帝国人口の急激にして永桝的な教畏敬加と、単性の木
我に撤†る堆滞なる気宇と、不拭の食嘩カな教挿し得る由良叢の荊
椎的な向上を掛ることが銘一義的蓼務となるのであります。
すなはちこ1に健民選勤を超しお瓦ひ同氏としてその具性的な女壌
にせでこれを押L弛め文字滴り触芸ハ健児の顆を革げ銃後の雄を益々均
くして以て聖取目的完遼に一路邁砥†るととを響いたいのであります
今河に世鼎歴史を招き穀多氏族の興亡盛護の跡をたづねて見ま†れ
は、浅く、沖代上り建拍耶として栴わなく生々費展の光輝ある耗史を材
するものは、稚り大和民族のみであります。嘗て燦満たる文化を惟非
に持つた希岨でも、また拭展でも断として跡を絶つこと己に久しきも
のがあります。甥に「閑破れて山河あり」で徒時の山河は」今船底存し
ま†が、その地に休む民族は儒て崖畠を極めた鶴等の祀先とは全く溌
質を糸にしてゐるのであります。それは批艶補が次彷に良質の糖を伽
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覆して民庚全鎖として賽を低下したからであります。
われ〈日本臣民たるもの悠々綽束を楚問にし武邦無比のこの北村
ある畠附朗本来の架質を悠久に堅持し愈々その向上教展な凶らずにを
られるのでありませ与か。
職は正にこれからであります。駄々戦果を棚張しこの材大たる大盤
亜に新しき秩坪を墟設せんと†る今日、国民彗し共斐髄建設の道義的
使命軋に徹し個人を本位とする外米∽桝非和な】榊し、古く御代上り
侍統の大和民族の研触にl格式触†べき秋であります。
今日足羽釘ち枯らし秋風瀦芙たる併鵬西とても讐Jは歓抑に堅」
その労力に比府サるものなき牽ヤかな時代があつたのでありますが、
その根本原因は人口が鞋富にして塵取人口の三分m二を挿した鳥であ
bま†∧二入〇七年アイラウの他の夕俳兵力の少からぎる糾寄を見た
ナポレオンは「巴里のl沓は之を棚て飴りあり」と諜拍したといふ汲
もありま†が、氏の営も恍か嘗年にして璃何の一夢と沿へ去り今では
皇緻和人口の六分の∵以下に鳩械して今次大職に於て槌範の錠紬二例
忽にして完此を喫したのでありまサ。
勿約俳牌甜政府としましても、開放前年に亙つて新なる人口政教に
魂山出したのではありまサが、将に泥楓となつたのでありまして昔時
の大統領報告戦中に「俳媚押印以は文化になれ家族の大きさを締少し
上与子供の敷を少〈し上うとしてゐる。これで如何にして労働人口と
取柄員宝表m†ることが出来るであら〜か、軍備も桝済力も衰微†る
のみである0併媚西の誇る智的盤術的威信も保つに由がない」といふ
や・つた意味′の悲瞞なる一節がありますが、これは今臼の俳関西の批し
き誕命を穣正したゞけに経つたのであbます。
帝電光年来娼々払はこのラジオを通じて申上げたことでありま†
が−頴欲、摂俗、苦行のごちは正に今日お瓦ひ南−竺人々々が眼帯す
べき鮎兵健民の官践軒項であります.
子は耕に艶へ兄弟仲良く大府放じく多くの子供を健かに育てあげ、
攣しはそ仇手が国家に御奉公する、そしてその子供建が更に♯恢なり十
孫を育成サるといふことがわが国古来の家の蛮でちりまして、尺今中
逃ペました俳関西の例の如くなるべく少い子供で大村面由をかしく巷
†といつたやうなことは決してわが閲椚に印した妖ではありません。
われ〈がこの大日本清規に生を革けて架たのは遠い紳代からの糾
先のお蔭であつて、・しの永い腱史の中で懸りに髄先のl人が快けられ
たと致しましたら、現在の自分は存在し得なりのであります。しかも
永遠に亙つて生々讃展†べき力誉Jの自らの中に持つてゐるのであり
まして、或は大君の醜の御楯として戦線に☆ち或はそれぐの磯城に
於て御奉公申上げま†と共に、鐘努健全なる†接を多数育成し・ナ梼に
末代まで艶思に軸い攣ることな肌せねばならないのであります。糾い
国には戦い貌があり、戦い子供がありま†。心身共に健全なる剃あつ
て初めて版努健全なる子供が期待し紹らる1のであります。
近年智力山岡上に封するl般融殻の高まりましたことは絢に雫小べ
き現象でありま†が、その反師には兎杓将帥力、肉瞭力の錬成向上に
封する考へが十分でないことは、卦沓の憂ふるところであり、批小野
少年眼力低下の饉を耳に澤レま†ことは救熔の樋であります。
文化の渦辟の中に宇佐く保護され過ぎますことはごJの鮫お耽ひ大
に械むべき」とであります。必掛の信念を[弊目的耳徴に彪はしき生
爪態舵を以て袈うち†るやうな生活の合印化科料化が健托ガ範として
艶めて窮婆であります。
詣宅健出鎚動は貝駒松坂の触かさを保ち拙ける同出勤勤でも勺ま
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ナ。ニ準u叩とか†拝仙昭とかで拝む艶勅ではありません、一年を逃rk.
十年を独じて車に永く特来に亙つて根づ⊥く扱けらるべきものであり
ますじ政府の楕般の健兵惚鵡施鮨と協力一致され、全留民撃つて本違
動の頻出日の存するところを窮を以<行ひ、とはにたけくしげく鼻声の
銅葬に轟さうでほありませんか9
(五月八日放送)