防空実施の経験に鑑み所懐を述ぶ 防衛総参謀長陸軍中将 小林浅三郎

大東破砕零開始以来私共は替線と共に我が光輝ある丑土を併衝し以
†こJの犬取慧九鼻に東予ルが巧8盤心腑を好いてまゐつたのであわ
ますが、この間防裟澱他の捗を節みますると整多史まなる樫扱も簡み
拝ましたので、研か所懐を中藤ペ粛東の名僻さ考に鼓L洗いと息ひま
サ.
兜づ鶴諒秋山漣浪に封†・轟戒心を新に†ることであります。
 輸斗ま†るに抑年十〓月八自火点義戦軍の堵鞄セち丸まするや、我
我ほ倣の楚魂必重なるを梵悔し非常なる我革を血ニt由ったのでもりま

                      .■■ll
†いととろが我が外在‡の耗々たる取異性上く敵の行動な封殺し我が
本土は」取をして未だ】指をも染むる能はざらしめ、私共は、
大御竣成のド無敵亀顎な誇り得ることに紀て、無限の事謁を感ずるも
のであわまナ。
 今や大東正執事は有利に進展し新段階に入らんとしてをりますが、
緒戦に敗れたる米、爽はこれが増労挽同に椛超となり、或はゲリラ取
的にあるひは大洩横に反撃を企脚致してゐるのであります。
 過般来大鳥島、南鳥島への異動を見ましても、敢は一歩一歩味を占
めながら域が茶土に嘩つきつつありまして、最近防塞替朝の発令せら
れま†のも又これが兆候を認められるからでありま†。
 南方諸地披を失ひまトたる敵は布唾、・、、ツドウェイ専を基地とし北
太平洋方南上り航粂母檻により又気候の国税に伴ひアラスカγyユー
シヤン方面上り来襲を企倒することは想像に耕くないのでありまナ。
 加之米英は日本に勤し最近蒲介石軍を交接し箕郷本土方面上り我が
由に射する盤襲に力を入れつつありまして、この鮎亦見逃してはなら
ねのであhソます。
 渦般の南鳥島察襲に就いては米陶は大々的宜侍を行ひ、民間には更
に一歩を進めて東京を盤襲すべしとの曜さへ上つてゐ為のでありま
す.又牧取の刺戯は米閲の飛行機製壷に細事をかけつつありま†から
「取はこれからだ」といふことは正に国土防衛に放てこれを考へわば
ならねのであります。然るに四民の中には寂々たる戦勝に酔ひ無事に
軽油しました過去≡ケ月の状況に粗れ、動もすれば防衛に附する緊張
心を失はんとするが如き状態を祝めらるるに至つてをりますことは、
甚だ亀曝と云はわばなりませぬD
 又我本土にも扱蕃の軽微なる褒製を受くれば初めて国民の構紳が繋
蠣ナるだら与と云ふ人もありますが、お瓦に】蓋押の溌dを受けなけれ
は自梵が出来むいや与む圃腐ではあり度〈ないと息ひます。申土防衝
に鞘しましては山時の憫勢奨化に浮沈したり撫郡の兢歯に様挿したり
してはならぬのでありまして、私非は準えず十〓月入日のあの緊娼を
喚び超し心に鞭打つペきでありま†。
 準一ほ威土防衛作他の持照を瑚餅すべきことであります。
 東証防乗幹報の致命せられま†るや、これに勤し程々の檻測を遥与
するものがあり、又各種のデマが流布せらる1のを耳にするのであり
ます。かくの如きことは防塞甥施下の閑民として甚だ不妊爾なること
でありまして、ト二月入日開戦常時の如き繋媚が抽んで衆た控左とも
見られるのであゎまナが、又一両仇衡作戦の特常に関する馳静不足に
由るものともと恩ひまナので、闘士防衛作取の特質に武て若干申拡べ
てみたいと思ひます。
 允づ肪衝作馳は受身の作馳でありまして、敵情を主牲として動いて
参るといふことであります。撃J成るべく速く敢の行動、企呵を察知
して之が料麒の鹿敏を取ることが必黎でありま†。坪は有ゆる手段を
逢して敵情を担架し鵬更なる判断の下に不意打を受けぬやうに努力し
てゐるのでありま→。
 ところが速雌離に敵を竣見ナわば、それがガ敵の爾後の企席は判断
が六ケ敷いのでありまして、東京に来襲†ると息つたのが、北海潜に
氷ることが払り又ほ途中で引返したりすることがあらうと思ひます。
 又国土の仇触はm仰が摘めて桝く、而も敵ほ庸大なる塞と鞍とを自
由に行動し栂るのでありま†から、敵を常に浅距離に桶捉することは
期待出来ぬのでありま†り又−渡び詐知し得た敵も稚期の時槻に現れ
て衆ない均合があゎます。併しこのやうな場合でも危扱が無い霹で托

なく、_或を黎すべき状態なのであゎまして、この如き掛合にほ撃破
官報が長く狼煙して考合せられることもあbます。
 共に肪篠作汲の特質とLては、多少とも底瞼な伏流があればこれな
基確として常会の威薗を講じなければならぬ七いふことでありま†。
夜間や態めて高い高度では飛行槻を教具して丸敵味方の識別ほ領賦で
あわます.勿論軍は各種の方法に上り味方飛行槻の飛行を禁止又ほ制
隠したりあるひはその飛行状態を関係方面に知らしめ以て彼我の温汚
む避けるやうに努めてむりますが、これを同士全般に趣かに徹腫せし
むるととは相普困難なことであゎま†。
 而も宰姓に封しては一刻の拾鞄を許しませんので、かくの如き場合
敵味方を詮苛立てしてゐて竣を失しますと、もし放であつた彗臼は非
常松不究を掘りま†から、この如き場合は寧ろ聞濡つても放として封
僧山盛貯を探つた方が蔦象なのであります。撃」先般の痔襲替報護令
のやぅな状況も起るのであり甘す.だからといつて四民の皆様が舞輿
替報に兎や角巣惑を持ち封混の戚檻を怠るやうなことがあれば敵であ
つた頓ムロには碩返しのつかね失態を碗ずるのであらます。
 又圃土防衛作戦ば外地の作取と累年り皆械の生業なり生活なりに濫
壊彩甘む持つてゐるといふ特質があります¢徒て作戦の車施にはこれ
等り舶係も十分考艦に入れねばなりませぬ。
 世間には憶測やデ†を以て褒襲の戌なきに拘らず、不必弊にあるひ
は民心の地裁を戎むる環に管報を我合するかの如く流布するものもあ
りますが、⊂れは全くのデ†に過ぎぬりでありまして、軍は防衛作戦
の特iを考へ出来るだけ両虎生活等をも考慈してゐるのでありまT。
又前述の如き斉療を以て甘報を費合するが加計ことは紳聖なる統帥の
 丑串からもあわ得ないことでああます.これ滋の野報鼓令に方わまし
彗て】和心なるに−也の人は伶帖心不十分であるといふが如き地相の
鮎があトノます。
 御凍知の如く防海は一部の人、−局地飢秋佑に上り破捉を生ず′一ごし
とがあゎま†から我々全囲艮が牢つて典ある崩土防蝕む耽士たるのや
改革拝する如く致したいのであわます.
 鶉由ほ長期的防衛態舞を盤ふペきことであります.
 聞取以東度々持戒甘堵が韻令せられまするや術堵が噂港ぎるとか、
架軒に支持を衆†とか、生索を減逢するとかその他各種の不満の野を
昭くのであります.かくの如きは長糊職を梵付してゐる防袈賓施下の
四民とLて為に藷に息ふのであむます.
 従来防盤に緒ナる施設なむその他の成瀬がl時逃れに渦ぎなかつた
といふ弘が少くないのであむまして、これが措いぎыロに騒みますと
色々不瑞合の駄が叫rしまゐるのであゎます。我々は既に挽く漠期倣を
て比率ひに故実襲の危取を見なかつたのでありますが、これはその時
に来襲の虞がなかつたのではなく響或を鞍にしたる環、却て故がその
企由を款粟したかの如き状況さへ察せらるるのであむます。
 国民の皆嘩にはその都姥敵情を公表せられないのでありま†が、敵
情女公表サればこれが敵札に停はり敵をして我が捜索手段を察知せし
め、或は敵の準械心を決起して爾後の捜架を殉難ならしむる等折衝作
取上稚多の不利があるからであります。防塵葦はそれ日妙が敢♯の
庶や危均があると云ふ敵情▲イ含んでゐるのでありますから、替朝に対
してはその時々の政情を云々することなくこれに邸感するの束構「と
威旺とに池場なきを期せねばならぬのでありますシ
 以上飼土防衝作戦の特発を理解せらるることに上中各碩の確瀾やデ
マの如きは全く斌ひ去られることと思ひます.
 ど与か皆様は軍上り竣令せらるる防袈轡報には何等の穎感を決むこ
となく常に之を信均して封膜の鹿野に仙町憾なきを期せられたいのであ
りずナ。
 妨三ほ防術に対する一延一心的括拗に裁てであります.
 防塞紫苑以来その業務は大いに鵜飼味を加へ長足に延長致しました
ことは基に御同慶に‖窄えぬ次務であゎます。
 防演監舶撤員は鞄敬以来日夜熱心に勤務せられ替肪輿、粥岨防尭群
など亦適切に行動せられ⊥写して、先月末日銭に行はれました防塞訓練
も全〈従来になき庫劇味を鶴められたのであります.これ等は防塞‡
施下もと上り普然のことであり、益上その向上を期せられたいのであ
りまナが、茫に琴開叫致∵憶−心酌肪来信動とい≠見地から考へま†
と命数憾ながら十分ならぎる鼓を弛めぎるを得ないのであカ†ナ.」印
ち地域的に見盲してもそこに相普の甲乙が見られあるひは大海の人が

                       .■−■■■■l



牡憤しでゐるのであゎますから、捗ぜの駄弁も歩これに一軍ノるヤ与に
雑ひ、野報の辞令が長期に亙りましても羞麦なきや亨に致しておかね
ばむら拍のでありま†。朕州に於け}心安敗者囲は既にl年、〓年に亘
む戎楓氏噂た燈火管制一ぜ紫施してゐるのであります.
 赦の反軍が今後にあることを考へ防衛施設をして長期に昭丁る如く
し、防価作職の持久に耐えることが撮めて肝好であわますゥとの♯に
糾しては械るべく速かに故醤を加へられたいのであります.
 以上を似て私の申述べたいことを払わますが、賄敢以来件鞭の柚に
日夜困虹たる妨塞監覿或は海信の勤♯に胞し、又替肪の乗務に竃し
てをらるる方々に封し轢甚なる感謝の意を表しますると共に、不革こ
れ等動紡に基き光れられました英雀に射し諸みて竜の意を捧げ、皇
国の皆枕と共に盗人国土肪鮎の完璧を拗する薦め蕾致し虎いと存ず
る次姑であゎますn             ハ三月二十一日)
く幼)
(幻)