主要食糧の確保 農政局長 石井英之助

 昭和十大年に焚ける栄の坪収市が教義されましたので、この場合に
おきまして現下の妥楕堺伺を考、、今後における允摘発産雑作の阿鞋
についてお筋申上げたいと存じます●
 昨年の米句契収拓は五千五官入菰七千右と雄宕致しました。この数
字は前年舛収南に比較して、五官七十入註石即ち九分立粗の朔少であ
 鹿故尽長 石 井 英 之 励
む、さらに前五ケ年平均雫枚商に比岐すれば千七十入筏石執ち}耗六
分用地の減少となつてをりま†。
 かやうな減収なみまLた昨年の稲作の挺湛な見まするに、移墳比批
ね昭御に捕過したのでありまナが、渉拍竣は六月中旬上り七月下旬に
亙り全柑的に接収軽く、悶多く、且つB附〜が塞かつた環に、頼山車

腎は逼れまして、生育軟賂の傾向にあつたのでありますが、モに大月
下旬、七月上旬におきまする近故以西の葬雨及び七月中下旬におきま
ナる東北、関東地方の水巻並びに北陸、東北地方に於ける璃熱病の教
生等があわました。これ等の故事に勤しましては額刀その板賦に努め
ますと共に八月中旬に放ける天候の回復に因りまして相の生育は和普
挽回致したのであります。然るに九月に入りまして再び撒して温度低
く雨多く、日照り藁い天候が拭きましたので九月〓十日現在に於きま
する敬一囲礁想は五千丸首十三屯四千石となりました.その後も天候
不憫でありまして北海道及び東北の一部地方の冷藷は益上探卿となb
又中国、四閑及び九州地方に於きましては十月一日の鶴見に因る被額
があつたのみならず一般に稔賓不良仕るものがあつた馬め十月≡十一
日現在に放ける集二囲確想は鉱一回稚想に比し一二召六十七駄石即ち大
分二度賦少したのであります.而してその後は長野以丈の地方に放き
ましては繋分の増加をみたのでありますが、妓阜以西の地方に於きま
しては刈塀粥製の緒集結賀不良でありせして、拍局せ収商は前に申し
た逸り五千五官入試七千石と確定し、弟二珂瑚想に比し三十七萬四千
飯石械少となつたのであります。
 以上の如き天候不良の籍、昨年非常な瀬収を見たととは油に漁協で
ありずすが、農村の掩君が竣々の恐條件と呪ひ非常な努力を沸はれた
ととに上つて減収もこの程度に止め得たのでありまして、鹿村の勢力
に封しましては衷心感謝に堪え地衣妨であります。
 内地の作柄は以上の如くでありますが、革にして朝鮮、玉津の作況
は良好でありこれ等彦米の移入は勿論外観米の輸入に対しても耗全
の措悸が講ぜられてをわますから、今後の絹統には少しも不安はない
 のやあゎます.
 甑みまするに昭和十}年から十四年に繁る凶ケ年の内坪井作は非常
に高まれた状況であつて、十≡年迄はサ収囁か六千六、七首籠右式を
措辞し十四年に壮大千九曹電石といふ大盤作をみ菅してl宮なる持趨
と和倹つて食枕事情は大地安定を得てをりました.然るに】壷に
魚て十四年の大草卓に凶わ、約〓丁舐右の犬減収が教生したのを端緒
として、事無の洩大に伴ひ照嬰の漸増する算もありまして米霊m絵
が安定を蛛くに至つたととほ榊衆知の通りでありますが、爾来内地の
墳収高は十五牢には約六千筒石に減じ十六年に松前申した濁り約五千
五官筒石に減少致し食粗の帝姶は依然として窮屈なる事情教鞭府して
ゐるのであります。然し乍ら自然価件の制約な受くることの樋竺J大
なる烏発生蛮に於きましては、天候の如何に上り米の牧捗が年に上り
まして教官萬右塩梵の泉動あるは小す迄もなく、時には一千筒石以上
の増減な来たすことは、全く免れ桝き自然の努でありまして、昭和†
】年からの四ケ年の如きは轡ろ撒布なる拳闘の年椚であつたのであり
ます。近い例としても昭和十年の甥収は五千七苫萬石であつて十一年
に比すれば一千高石の澱であり更に昭和九年の辛牧は五千召砥石であ
つて前年の大鞋作に比して約二千筑石に近い減収牽ボしたのでありま
す。昨年の繁政商が平年作に比して】千耗石の減少となつたことは♯
村の努力を考へまして絢に激撼繋槌でありまナが、天候の拡において
は昭和九年以上の懇條件沌ありましたから国民はこの程度の減収に村
し特に落帰したb、悲和し一たりすることは普らぬのであります.自然
を柏手とする為栗に放て生尭の鮭凶磯なら拍ことは、常に梵惰をして
おかねばならんのであります。
 われ〈比良叱竺ニニ年来の食柑に鯛する切句なる梅島に基き、との
苦い然し乍ら敢器む鍵換を鮎かして、特来永く穐封に救拘の食埼熊輸
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を賓埠せしむもの必革を滞鹿するのでもりまして、この町蒙存立の正
本糊顔に勤し根本的な解決毀ほかるやうに開拭ほ】致して形力しなけ
ればたりません。而してこれが精には農産物の生産は如何に努力して
も甚しい不作となることがあり、次の収壌迄には一年の日子を待たね
ばならず、しかも次の甚旺必ずしも費なることを約束されてはおら
犯と青ふ平凡な然し厳格な革質をはつきりと馳紬して串に普り、食樺
のことぼ他の物資とは男り特に周到なる弛藤と肘意とな車することを
銘記しなければならんと存ずるのであります.食粗の封撫は如何なる
事態の艶化にも封應し得る如き十分なる安全性を有するものでなけれ
ばなわません。こゝに食糧貯楢の必奔も盤ヂるのでありまして、熊偵
なる食研の坪梅を弘一義と†る如き功祁的な態度や、時々の事情に願
じ最も便利なる地域上り食増を碓悌せんとする如き安易なる態洋が絶
対に排すべきものなることは申すまでもありません。かやうむ穣旨か
ら考へまして今径の食指封矩が閤内に頂ける食瑠臼漁度を強化ナると
いふ根本原則に立押すべきは多言を辞しません。食拶の生産力を頓洞
して日給腔桝を棉☆することほ研就存先の基本を籍す堺桁でありぜ
ナ。
 今や帝隣室軍は敵の軍曹繰粘む次々に攻略し大東務安定の大実は潜
漕として成らんとする時榊に傑骨致しましたが、山南においては慈上
これから長拙敬の態勢に入るのであります。かゝる状況において簸礎
常飴の安漣をはかることは、職侍樫拷迩薗上の絶劉弊件であつて、園
酎に於ける生野食椙の供給を遠く準で距つる地域に依存する如きは国
防上穣めて危晩なることは申す迄もなく、囲一円に砕ける女権生産の確
保は、泡に緊急の夢務でありまナ0殊に庸大なる地蛾に亙り雄大なる
作馳の捻行せられき心拐串態に於てほ鰐槻不兄等物資帰途榊難のi暗
に鑑みその必座は横めて射なるものがあるのせあ♭ます●
 大破洩職甥の巡搾に作ひ、梢小〃甜地域の僧官なる資ガは河水戎万の
支配に槻ナる情勢でJ的りまLが、丑野食糧関内日給の強化をはかるべ
き根本原則には革も欒化を来Jごないのであります。貪甜国内自給の舛
を怠り食糧接待に安易なる方法を探りたるが績に正大なる危局に曹画
したる劉求の幣例は帽か〈上に抄くありません。現在英国の嘗めつつあ
る苦悩が如何に深刻であるかは想様に放りあるのでありま†。簾半生
意力む維持培箋には不断の絶ゆることなき努力を必穿とするのであり
まLて、一度その減退を坐ずるに挙らばこれが挽周はまし昏易の巣で
はありません。かくて我緒の腱策放び放村ほ国民女頒自給の基地とし
てその使命は荘1穿きを加へるのでありますが、これと不可分の脾跡
において我醍阿児が健全なる挿木代務人ロの瀕泉たろの鍵惜に経き考
慮を抑ふことが往よ必弊となつてまゐつたのであ♭まナ.印ち帝野が
粛凍弗環園の中核として売場泊地佗に允ち、日本掛民が強執なる精勤
力穀葎挿すべき分野の鳩大するに作ひまして、その沖最たる農村人口
を培潰することが硝殉竣属の猶礎を悔むる朗切となるのでありまナ。
かくして民放派泉たる竪環むる放成人ロの維持堵義と主要食確言姶
充環とを日本放び沌粥園な鳩じて胡探することが繋奨となb、このこ
とは済浄その他に於て各大隈より艶々言明きれたところであわまし
て、滞園の不動の方針と申すべきものであります。
 今後凍椛共禁掛の粍瑞に椚りまして、我が醸の軍籍蓬栄が鳩充を静
ナるは勿論一般鉄工策坐飛力山臓光強化が益々必穿と放るは申ナ迄も
ありませんが、これが殊に酢内地派の生藷力の放下な招来し、人口の
酒泉たる漁村の棟碓を瀕するが如き静態は断じて生せしめてはならん
のであむまい`勿論鐙投の鎚符に竺しも祈祷臨に捗し改笥刷新を盈ね
(三野)

ベさは営然でありま†・か1る弥増から措衆に放ける加熱と工耕との
洩魯上の網盤は国家の大局的見地上り渦切なる解決の方漁を研ずべき
正大開祖でありずtて、眼前の急に戯ずるの触り帝世存禁梅本を臥
稀せしむることのないやうに周到なる琴線な沸はねばならんと#じま
サ。
 政府と致しては虫葬食糧の生琵稀保の湾には出来る限りの施策を講
じてをります0典林犬臼ほ食瑚管制沃を制定した竺の理由として漣
民の作つた米変ほ自家用のものな除き生鮮政府自ら過派側緒でX上げ
ろ、官ひ換へれば裁托の生意物は挙げて政府の繋任に於てこれが戚珊
に留りこれに上b農民に妥じて米雄な作つて革かためであると官明さ
れてゐるのでありまサ0政府の想の存するところについて良村の拍君
は既に十分御刑bのととと存じます。肥料売材等坐意の條件佗竜な
がら改沓されてはをりませんQ然しながら帝国は今や件大なる縛米の
馬に蝿に正大なる事業を敢行してゐる大切な時期であります。昨年漁
bの熱意を似て野力な倍加して発意日招の達成に努め、溌村の使命を
党費に急行して頂きたいと衷心から帝常数す次鶉であります.
八十愉議の壱租を擬して闘榊の打撃卜努めてゐる併絹西のベタて元
帥が南比に訴ふる言張には、切〜として人の心を〜つものがあむま†
が、その中に「土地は組醍そのものである、兼耕に頻する;の畑、
それは俳巨「の一片が死ぬことである、新しく耕された土地、それは
俳脱西の一片が復活したのである」とすふことを申してをbます。今
我が国は俳巨シとは全く鵜つた多串なる頂憫の下に誉り写するが】同
においてこのベタソ元柵の宮兆に含まれた丸甘を深く考へてみる飴裕
を持たねばむらねと存ヂるのでありま†。愚弟の生鶉力を破保し♯村
の健全なる常連を倒ることほ明土防衛の也二弟であり、日本を中核と
する東意樺済幽細允の兆本で払ります.農村の生産塘各位ほこの京大
む伐命に風教致し禰均たろ何念な以て典葉虫爺の椅強に屯進すると炎
に一般裡民は食粗耕偶について十分なる理解を持つと共に、兵薬放び
農村が国家存立上に有する大きな槻能について正確なる視線を持たれ
食領政熊の楓満なろ独行に協力せられんことを切崩に堪えないのであ
りまして、これが全開火山放して帝執水壌の賀宴の基硬を繁鞄ならし
むる所以の途と存ヂるのであります.ハ三月二十一日)