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敵側の謀略宣伝の一端 情報局第二部長 吉積正雄

ハュ)日本の執」三富職兆をその倫淀川して恰も米英側が大概果を挙
げたやうに宜伸してゐるととハ2)日本が非人通約手段をとつてゐると
の虚構の宜侍なしてゐることで、その中で最折二寸両白い謀解‡侍が
あつた。
      ‥X   )ハ
 去る≡月十日共賦のイ・サン外相代下院において倍槻サバき日♯者
の辣とし〆表口触における接木叫の共闘人椰庚ならびにム叔和紀に封ナ
る虐待振りにつき次のことく述べた.
 英将兵五十名は捕りつけられて銃創で突き殺され、また捧伏後十日
を呼過してもその色憺巧は何等の粗糖もなされず死骸も糠戟されない
といIル釈簡であつた。筍恥純ならぴにその近郊に仏む箕郷人は皆非鵡

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_【的であるといはれてゐるが−般市民に粥する日本軍の行馬もそれに
劣らザ、またアジヤ人、欺榊人を間はず、柿人は暴行な加へられて後
現され、病人は斐も粥へられず粂糠といへば僅かな米と水だけで、し
かも中火この待遇は改脅されさうにも見えない、中立国の領域も赤十
字社貞も伏流鶴穀を許されない。か1る虐待ぶりは日本式士潰が口先
だけのものに過ぎないことを示すものである。
 以上がイーデyの構説の襲旨である。また環髄放禎局も「日本革が
香槻の捕虜お上び住民を虐待してゐる昏」イーデンの椀孜内容と大豊
ない欲遠かエコ月十一日に待つた.なほ英国赤十字敢はジ声ネープ山南
煎赤十字秋本部を観じて日本赤十字批に欺願出を浪¢日本に捕虜の騒
遇を弊求したといふ宜倖も侍へられてゐるL、米園、横軸・叫イーデン
の頼線に口を欄へて同じやうむ斑侍にこれ努めてゐる9
      )ハ   ×
 以上が靴倒潰侍抜鴨の繁柏であるが、何故英閲政府はそんな白々し
い謀略をしなければならねのか、これは私が最初に申し上げたやうに
東歪における徹底的敗放と、これに伴ふ客職的情勢が印定、礁洲をL
て英同上り離れしめざるな得なくなつたことを最早英本則お上びその
鹿領民衆の前に懐硬することができなくなつたため、これが挽周知と
して、日本お上び日本節をあるひは日本人を人遇的に非難するととに
上り英用民と弊政府との離間を食止めんと†る鞘肉の策に出たもので
ある。さらに何故イーデy外相は弼禽といふ公の場所で堂々と亡んな
デマ済艶を待つたのかといへば、彼イーデソは英国で最も人窯のある
政治家といほれてゐる鮎と、この虚構の宜停を鞘埋らしく印象づける
ために野水∽梓む和いたものであつて、こゝに英駒】桃山老穐;が鵜
ほれるとともに、その反間これほと誉でにしなけれげむらむくむつた
のは大h葵帝国の崩雄の迫つてゐることを巫柑し<ゐるものである.
 この種の新党侍は今新しく考へられたものではな〈鮪一次麻洲大駈
においてもドイツ仁射し奨印が路んに使つた手であつた。しかし今日
では短波無線が殊遇しでをるので、米英側がいかに虎縛の者停をトて
も、性界各陶は公正なる一こ−スを待てをるのでその理非幽渾を判断
することが出来、樅つてこの械デマ宜侍に殖ぜられることも少いので
あ▲る9
 日本が敢闘の捕虜を如何に柁放つてゐるかは渦去の日頭取牢、第}
次欧州大敵に放て周知の抑甥であり、また今次大瀬亜独学においても
捕虜そのものが現地において鞘史の意た袈してを心のみならず、大木
正職申後嘗て米閉の研際赤十字融委員命代表†−ク・ピークーは「日
本は米人捕厳に射して貯遇を粥へてゐる」といつてゐるし、また米姐
は「スイス官漆の粥伶に上れば日本の占領した上海、購東、淡口、天
津、北京における米外交官お上び一般米国人は−厳的に満足すべき状
態におかれてゐる」昏具惟的瑠照を琴げて】月三十一日辛夷してをる
噂の串甘からいつても今更許しく飴明反駁するの必弊を馳めないので
・ある●

      ×   )へ
 しかしこんなデマ潰悼をする前にイーヂンは考つ自らを潜みるべき
だと息ふ、酎ちマレーにおいてはクアラ・ルソプールの接奪お上び放
火に射し現地伴托はその稚慰を呪つてゐる斡耳、†レーに踏止まつた
日本人な我謎軍の攻継日機になるべき石油タソクのすぐ側に監蒸して
ゐたが如き、あるひは英団のために職つてゐる印度兵の足を鎖で挿つ
て鉱一繰に簸き去りにしたり、自己の敗Zを鈍†るためシンガポール
拾落直前ずで霜腱州飯郁の閥印への引掲を絶止し、しかJ、降伏∽抵釣
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にその意雪ポしながら、なほも何ら引換に払方せず、新瀦までも心封
Lてやらなかつたごとき、或はビル†方嘩べ〆1においては女子供を
含んだ有線名のビル†人に勤し恋虐無盈の響瀬行為をしたむ、今式簸
二次錬淵大取にhこてポーチソドにせよ併常にせエギyシヤにせ上相
即にせ上巧なる言聯を斉して日己防衝のため利用し表敬配不利とな
るや、これら糸醒を犠牲にして自己笹陳のみの安全を掛つた事弼から
いつてもその非人租粘りの態々を超してゐることを如何に琴へて象る
のか、日本に対するデヤ登捲をすろ前に自らを省みるべきであらう、
なほそ∽他過去においての和琴マレdアフyカ、アラビヤ等にお
ける輸武地政策上美醜のとつた確虚行岱は†でに世界に公然の串やと
して侍はつてゐるのである。
 然し蜘述つた英国政府接点早そんな紳士的態度は凝れないのである
といふこと代謎めてやつてもい1と思ふが、これに上つて粗伊を日本
上り引餓し或は中止騨に封し8本を誤解せしめんとしても、獅伊はそ
んな事に速はされることはない、現に穎伊の新和はこれに射し盛んに
嘲笑Lてゐるし、中水筒と雛も日本そのもの、楷に日本人の性格を上
く沖つてゐる勘者に対しては勿狼、一般民衆と椚も正耗なる日本の和
盈に上つて8本の叔協を兜耶してゐるので、雀効巣とそあれ盤侍の効
果は稟めないと抑信†る.
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 義る≡月十ニ汚水峨拡埋大抵は警において繁乍とその斬信をh彗
られた0即ち米共、和琴瀧削、訳駁故槻に封し訳ねて反省の鉄地を
野山るため武士盛的飯能を以て汲々として裁かれたのである。
 この細珊の糊祝ししイーデソの納税とを比較して見るとき役と我との
拍郡渚の性梢と搬既とに根本的尖鵜のあるのを痛感サる次酪である。
 私は食後に、朽びイーヂソに批岸たいととがあろ々すなはち朝虫ヤ
媒略に上つて桝界に椰力を轟ひ枯るといふ考へ方ほ最早過去の貴い考
へ方であつて、八紘〓千の大訓こ基く笠1たろわが鴇の天美に判Lて
ほ、今やいくら艶つてもこれに机し符ないといふことを好か仁熟考†
べきである0しかLて天意に上る頼鎚が稚抵触に米英専の現上に落ち
る前に自ち過破の罪行を清算して潜ろ仁耗償Lて然るべきでほないか
といふ亡とである一         芸与雷徴誉
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(三月十四日放送)