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青年教育の振興 文部大臣 橋田邦彦

 大東櫨[軍の勅盤以来未だ首日を出でないのでありま†が、忠烈勇
武御地果敢むる扱が患軍は階史始まって以来、骨て見ない絶大む作職
朽仙Hド‥臓大なる咄蛾に於いて臼にHに糾・〕ところ、抜かしい帖鵜
を収めて、既に那好なろ敢の択址地を遠くその箪の中に振りまして、
明十二日ジヤ▼ハ陥落な機曾に肋竺〓久軌秒祀駕を催すことになりました
のは誠に確賀に堪へないところであります。かくて我が包囲の成渉は
中外に向つて将かLく武投され、大盤墟地域の詣民族代、媒∽海上り
昇り出る朝日の光を仰ぐ如く斬らしい光明と希考とに包まれて、現地
の到る所に於いて皇軍に封し心からなる感謝と地力とを挿げづつある
のであ巾まLて−大北盛研秩序姐設は慈上礁頃不敵の態葬を収誉h壷
つたので」爪りま†.これ佃に 拒威の然らしむ・勺ところであh顎し
て、我々は今さらの如くに感激にむせび微音に荘れるのでありま十が
それと同時に思功なろ畠笹将士の懲頗と労苦に射して月々感謝の外は
ないのでもりま寸.
 抑ヱ大水犯職耶は我が確伺の大柄押に翔祓するものであゎまして、
大木頭の天地に史閉を核心とすろ道上攣卜基く炎簗の新株悍を確立して
世頻の平和に察輿し、人相の絢弛む珊ら革んとサるものであることは
皆さんの御′裸矧り泊りでありま†◇併しここで駕へて見なけれげなら
ないのは共発といふととでありま†。火照とは将に物質的なるものを
意味するものと堵へ誤まられる傾向があbはしないかと恩・ムのであゎ
ま†が、そうではないのでふりま十.共穎とは物心一如に放ける共茂
でな〈てはなりません。掬黙的なろと同時に、或は寧ろそれ上りも、
柑抑的女化的なる兆琴ヒそが我々の企軌するものでありまナ.
 媒並の天地は過去久しきに亙つて券英領閤の任鴨と鮎迫に上つて、
 その水木の両目を央つでをつたのでありました。併しその閃光埠ある
倦桃を持つ我が観が、釆墟の一角に辟燃として存在して、破埠の巳む
ところなき眺出な押し切つて覗等山非鸞を抑二Jをつたが故に、収虚
し架た山で∵ま■・じ今ヤ衣汁桝が付紙北つて・l山出
命に新しき息吹を吹き出させて、水脈本来の両日をむ印更新せんと†
る大業に満竜してをろのであります.我が囲内のことを回廊いたしま
しても、明治以来噴速は年と共に瞳員に払いたのでありま†が、そり
間往々我が西本来り両日り、めるところが忘れbれたかの如〈思ほれる
時代もあつたのでありました。
 奉にして揃州草鞋以来、大和民族の原生命はむくむくと盛り上つて
参りまLて、その本来の両用を現はし温に準他の大精紳を朋現する馬
の今次山梨槻となつたのでありま†.これ−に次が革板なる醒蛤の触
らしむるところであ勺まトて、我が国に生れてこの五大時局に棋合し
てゐる我々の光柴と敬びは言斐洩り撫上のものであります。
 か〈て我々の常に心†べきことは如何にしてこの光欒ある8本人と
して生き抜いて、君閑の恩に強ゆるかにあろのであります.その根本
は我々が戌捜に柁噸ナることにあるのでありまして、我々の踏むべき
増は、いほゆる世界的な人道でもなく又概念的な規拒でもなく平に、
我が閉山購史として斯現してゐる虫閑の超であります。頸にH本人た
ることは星威の鵡仁則り、臣民としての彪を行ずることでありまγ。
我が醜に於いては、革附●思想、政治、紆済、商梁、平群等あらゆる
ものごとが皇閉山道に淵瀦1、欠これに師入すべきでありまLて、也
殴り招こそが大東破軒秩帯地殻の原動力としての大和妃族の本然”道
でありま†。大東墟斯秩坪は箪に我々が患簡山延に偽噸して、緊閲柵
紳に則ることに於いてのみ壌現せられるのでありま∵.即ち大宅亜馳
軍は畠閣の菰、幣駒の大接辞を根我として大常亜を杜旺†ととを弓的

                       ■l
(6)
と†るものでちりま†。−」れが目的完琴h向つてもちろん横々の方汝
方通が沌ぜられなければならないのでありまTが、その凡てセ滴じて
その棋鵜に堵ふものは噂に教育であります。いふまでもたく、犬凍領
地設の大業は演拗に亙り月つ永遠に魂堪せしめなけわばならないので
ありまして、この大業に寛梵し奉る光男を村つた我々は、我々の後憎沓
をして誤るところなく大業を雫梵し奉らLめたければむらないのであ
りま丁.即ち幻柑の大使命を結柑1、挺身して繋菜を翼繋L撃?足
る、果敢なろ気叔、雄大なる対宇、高邁なる隷見、儒罪なる技礎、旺
盛なるi力を救わ具へ、大東現に於ける指堵者として恥しからぎり心後
洞郷を訓背錬成†ることが現下我が関数背の日磨で)めbます。閃して
その根本は教育に閑十る軌語を稗叙して酬紐山本義に徹し、照明山犬
掃抑を捜得せしむるにあろのであります。我が畠箪の練かしい鞄果は
偶に 御棟威の触らしむるところでありますが、睦下の股肱たる皇
帝将士が濃に同値の本故に透徹Lてゐるに上るのでありまナ。彼のハ
ワイに於いてアメリカ太平洋憺像の撃滅に参加せる思烈無比なる鴨殊
耶航凝の耕土山如きは賓に日本梢仰の楢化でありまして、かゝろ構紳
の持主こそが耗に天領撫婦の 曳迩を妖来し奉ることができるのであ
bまT.銃後の述りを托されてゐろ我々ほ輝く思を撃トいたし濃に皇
同博士の心を以て心として 大綱心を筆意Lて一位∵心の積凍を細く
して発職目的究速卜涌兆しなけれはならないのであります0
 衣が関数育の股木或は上に述べる滴りでありまして、これは永連に
斉つて措ぎなきものであります.即ち我が肉教育の根本讃は「曳隈民
の蝕戌」といふことにW潤†るのであわます¢他の槻粛にも滅べまし
た過り、椚年衝撃ハ丸ました閑柁学校刑は珂にこれを目的としたもの
であゎ音して、こ∽茶碗教箭に於いて、我が駒少年にLつかり魂み由
ち込んで、花に川畑国民として、従つて又大財戌とし<の不」剃の頻一匹を
錬成せしめんとするものであります。か〈締柁礎接教習ほ甥仁求が繍
教育い賎鍵となろもので】めりますが、朗妃教育がこれで足りるといふ
のでは決してあ勺ません。少くとも閤托畢揆を修了した男子H怒く上
級の挙接に於いて更に仕上げを受けて邦家の将来を双肩に接ふペき青
年として錬成されなければなりません。女子腎年に庇いても同様の考
砥が沸代るべきでありま†が、今日はこの粘には偶れません。
 かくて男子青年は轟く上級拳枚に進むのでありま†が、その大部分
は青年撃根室経とLて教育せられるのであります.いふまでもなく背
年数背は邦家の将来に向つて極めて霜大であり、捷つて亦教育される
青年の諜祷はまことに寛大なのであります.かかる青年の大部分は青
年拳接に敬いて教育せられるのでありまナから、青年革枚数背が我が
殉教背に於いて如何に重大む地位を占めてゐるかは自ら明らでありず
す。然るに青年準校はその生ひ充ちに制約されて、他の拳校に比して
その費建が遅れてをりますことは甚だ敷憾なことでありまLて、文部
省としましてもその讃連に向つては特別なる拍心を挽ひ種々宅報しっ
つあるのでありまして、昨日来青年革枚数背揮輿の週間を設けて皆さ
んの御協力を求めてゐるのもこの主旨に外ならないのであります.
 以前塀接教育は主として教室に放いて邦頴を授けるだけで足りるだ
けで足りるかの如く考へられてをつた傾向があつたのでありま†が近
陣漸く慣瞭に印した、しかも訓様に上つて身につくものとして受けら
れ又受晴られなければならむいといふ教育の流の糞が斯く盛り上つて
容つたので小山わず†.これは淑に慶ばしいことでありまして、いふま
でもな〈時の知紬或は智慧は繁地の訓練に上らなければ得られるもの
ではあbません。殊に捕耐力繁韓力に到つては決して口から耳に侍へ
(7)

られるものではないのでありま†.
即ち増憫は榊に心セリて付けするだけでは本代の憫糊とは晰じては
ならむいのでんり革む樺粂心七川て何触†心と何岬・身む‖て倍
網†る・いひ襖へれば、陛和しなければならないものであります.か
かる沸から堵へまして、それぞれの職域に放いて繋公の畝を盗しっつ
あろ材年に向つて難業に修練に又訓練に於いて、皇糊妃としての錬成
を和してなる間呼辟校教育は、敵背り制度と1て港た意親洗いものが
ある飢であります0即ち骨年蝉柁は甥叔父は職染に従耕すろ青年に旦
に知触な獲けることを目的とLてゐるものではないのでありま†。
 勤労に上づて柁昭雄公の湖を粕しっつある潜年に向つてその梢押そ
の心粥へに於いて、鍵斡訓練な史け、革難訓秩が将ちにその梢耐力と
なり餌娼カとなるやうに、暗に掛行一触身心山如m教育な殉†ことが
青年準校教育の目指†ところでありまして、他の邸校と異なつて、脊
年樫枚はこれに何つて掟も郵ハ∩上き憮作を札dてゐろのであります。
この鮎に於いて俄年艶校教育ほW年数背のある〓ソの蟻抱を示してゐ
ろものといふことすらできると瑠へるのであります.近時他の中等準
校に於いても、勤鎗の和紳が頂糾され、大い■」技吹されて来たことは
蛭にこの閲m椚息を物漑るも山であります。背からいはれてをります
坤上鋏粁といふことは、甥に敢照に於いて穣めて大切なととであるに
拘はらヂ接雑我が岬教育に於いて十分に即行されてゐなかつたのであ
ります0腎年難接は尺今山ところでは多く山場合弊枚に於ける教育の
時間が憎かでありますから、こ‖沸からけ筒年数育として十分で払る
とほいへません0−し山賊J〕椎氷川卜堵究な弊サろところであり三,が
上細れ如上嫌潜が十分1い行∵山矧に於いて櫻讃の時先の不処を補つて
 除りあるものが卒じのであります0かやうな見合でありますから、官
年俸校の発鳩諸点もその教育に換ほる人々も又腎年準枚に子弟又は
捉溝貝斗■入解せしめる適鞍ある父兄その他の人々も、青年革枚数背が
如何に東大で‰ハニ見弊柁として越た地盤りむいや〜に思へても、甥
はその頓他欺兇には極めて大なるもののあることを上く考へて茸ひ庇
いのであります・女にl回の隆替はlに甘年の双局に態つてゐるので
あります・現下竜大なる時局に歯つて簡年数背は殊に重嬰なる忠義を
も−つのでありますが、全配五苛虹に近い博年の教育されてゐる腎年革
校の任務はこの粘からだけ考へて甥に五大なものであります。世に甘
年革枚数育が握興寸るか杏かは邦家の将来に向つて車大なる捗♯を甘
すものでありますから、全図の皆さんが侶接悦鐘にその振興に向つて
後協力下さるやう希托に機へまセん。
 最後に管年轡絞染捷謂宕に】宮中しまナ.謂意が邦家の正大時局に
際して各自の潰濁を大いに白兇し、駒に溢る‥0熟湖を以て機械奉公の
識な越して滞脱してゐることりH兇しいことを見聞して湖に朗もしく
叉音ばしく賂じてをるのであります。劫に鐘くも 大詣を軒して我が
国民は党惜と決満とを蔽上粗くし心を引きしめて、架駄目的完幾に邁
赦してなるのであbますが、梯よの敵禽的機桝、慣習等は未だ頚態に
止まつてゐる郡両も捗くないのであります.これらに直面して持古の
張れ出c八義憤を封切り、硝演の明朗な純悩む悩つけろやうに思はれ
る場合も秒くたいであら巧かと考へます.併し捕懲は雄大なる架字、
殊かなる心情を似て、あらゆる科椚を、苛につけ意につけ緒君に向つ
ての粥拙として受けとつておごることなく又いぢけることなく、些細
む滞椚に上つて従らに禍砦の紬憫を侮つけられるやうなことなく、飽
くまで和治の純にして熱あろ将帥を堅持して、正しくそして強く、礪
直にそして朗らかに、純粍衛椚して邦艶の楷架を双桁に地ふ光撃と賀

                         ■l
(S)
頓とを挫く自犯し、殊に花台専耶少年拳徒に向つてドし脇つた 御勅
軒の御地昏を上〈準赦して判明の柑めに大いに均されんことを希望し
て巳Åません● 

                  (三月十一日放送)