技術院の使命 技術院総裁 井上匡四郎

 去る十二月入8準英に勤し塵取の大畝が換金せられまして以来、
珂は到る鹿に執々たる取果を収め和ましたるととは、これ偏へに

御竣成の然らしむるところでありまして、絢に藤棚描激に堪へない次
杭であります.
 然し世界最大の富強を搾る米英と致しましては、このやうな緒戦の
大敗にも凝りず、その強払なる鮎売力を鮎んで、執拗に我に勤托する
ことは穎像に轢くないのでありせして、必然の緒架として大東亜敵軍
は所謂長期戦となる亡とは普然牡倍数さねばならないのであります¢
従ひまして軒民は、盤故の貝的達成の馬にその総力を革げて止著しな
ければならないことは申す進もないことでありま†・
取申ほ勿翰前線将士故に銃後前朗の旺然たる攣団の繋偶にエつて膠
を刺し和ることは禽然でありまするが、淀代戦の山特赦である兵器和
差等各軽の取替資材の莫大な消耗に刺する補給力旺盛であるべき
ことも、亦極めて定野なる嬰件でありま†・東亜の拘防空身に引費
けて逸に立上りました以上、銃後的民と致しまして忠勇触比なる畠笹
井士の紆脚力に乾性の信頼をかけますると共に、儲秀にして埋富なる
兵柑の整椚補松に全力を傾注致しますることは何はさておいても必黎
なことに組成るのごありま†。
さて兵器の鍵雰招富は唯常に也兵能力、逸兵按術のみにJつて達成
せられるものではないのであり士す.兵#は抒にその声の挿づ#捕の
科革技術の綜ムロ的な結晶であるのでありまして−大鹿亜駅蓉は〆締ま
た耳に米英持前との科挙馳であると押しても虔支へなじのでありま
†◇
 茫にまた近代敬の他の;の特徴と致しましては−政争にすぐ別辞
いて速役が伴ふことでありま†9細々大東嘘教学なるものは賦大搬出
なる大発亜共紫朗の拉設を目頭と致してをります以上、今次の犬馳に
餅たねばならないと同時にこの大いなる建設を馬し簸げねばならない
のでありま†。故に放てかこの豊かなる人的物的資汰を基礎としまし
て新調大鹿亜の自給自足桝料を確立するには、堵に料皐と挟術のカに
侠たねばならないのであります9
 然るに日本の持つてゐる科革接柵は如何なる立場にあるかと申しま
†ると、今日竜の斡革技術ほ蕃乍ら海外俵存の弊Åがあつた♯は否
定することが出水ないのであゎます・個別的には可成り鐘雰なる拘革
揆衡が相資あるにはあつたのでありますが、而も全般的に見まして決
して世兇二沈と日惚れるわけにはまゐらなかつたのでありますPかや
ぅな戚へ世卵教学が者起致しまして、海外技術の輸入は全く杜招致し
ましたのであります。日に月に進歩して止まない科皐按締の外勤の有
捷を我々は全く知るに由ない状態に立ち彗つたのであります0
 こゝに於てか8本間民自らの労力精進に放つて日本的性拷の科拳を
穐立し外国の科挙技術に者に壊れたものたらtめなければならないの
でありまして、この事たるや頓に容易ならざる鱗串染なのでありま
す。この串ほ直盤には将に我同村筆者接価額の双有に昧せられた京大
なる諜躾であると共に我団民全捜の協力を厩ほねばならぬことは勿論
でありまするが、政府由らもこの耶に的して前々から貫大なる掬心を
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沸け、故に皆様も糾承畑の細く叩年式月二十七日「科挙竣締新地制柚
北弊納」を決定し、これにJつて科挙の捕縄、抹紹の捲進を凶聖」れ
等の基礎となるべき国民の科革拷紳の作興南養を致す−妄と柑成b、
これ等の移項を主として所笹しまする行政機関して、今回内観に技術
瞭の創設な見るに彗つたのでありま†.
 不肯私は按彿院の粗毅を拝命致しましたに拭きまして、その費任の
正大なるを琴ヽ鷲し、額骨砕身期待に添ふべく労刀招進致す性情を
有してをる大筋であります。
 息ふに従来科嘩は革糖の沓済に埋れ、綾衡ほ利潤追及の手段として
堅い個々の耗珂の叔の咋に庵めて従属的に潜んでゐたと考へられがち
であつたのでありますが、今や料革技術は隣家に封して間壊的なある
ひは従磯的な立墳から一物して、河東民放の最蛮好なる文化的箕撫で
ありエネルギーとしての立場に北つに華つたのであります。モに官業
女権めて申せば日本の杓単技術は改めて相自の性格を持ちその中から
鞠日の世界材を生み出し、日本及東亜の進むべき道に釈なからしめる
亀芯短めて定野なる役割を桝じねばならない允勒に立つてゐるのであ
ります。
 この意味に於きまして大々の榊革の摂興、技循の弼海を期すと同時
に科鞍と挟鋳の閉聯な従来上b一層緊照ならしめましてその効果女囚
家的に最大限に毅拝せしむるやうに違和される群が纏めて肝酵なこと
となるのであります。
 杓閑に所励サる収縮院の佗命ほ皆にこゝに#するのであります0杜
つて控椒院は自ら探い研究を放しぜする山つの研究槻撃ナほないので
 ありましで、改印の料参拝御免別に渉つてその弼確向上を凪わ、晶度
 日辞令酌む辿腱な柳し、供つて以て綜合図カ〃増曹致さん岱の行政
を行ふ凶状僧柏なのであります.
 この為に各賦に分散してをりまする科革校循行政を謂盤桃山すると
か、あるひは国家有用なる研究を租極的に助成相弔し、進んで科挙技
術水績を高める泌泉となる料率榊紳の滴養に穀する各般の九架を斑壌
致す等の林靖を釈尊致†のであります.
 捷ひまして技循院はエ梁や生蛮に直凄拗聯ある料率技術は勿論の餅
人的要素たろ生活科学、弟妹畜竜水産等あらゆる科革按術分野に削粥
致すととは普然であるのであります.
 たゞここに一首申し竣べたいことは、挫彿院の代金の一つとして、
板金に湘すろ科孝枝術の望鳩を周ろ寄を掲げてをりますが、航尭は政
治的にも確済的にも国防的にも最も繋審なるものでありますろが故に
先づ鮪山の正搬として塀bあげた次妨であります.
 夙に環海に於ては竣碓院の目的同珠の政策を探り莫大なる坪救を投
じつつ句に十年飴の年月を牲て光沢な成果む見たのでありますから、
我国に放て盤に竣術暁が創設汝られたからと云つて、允ちどころに攻
再科挙扶衝が一気に向上細進するわけにほまゐらないのでありまする
が、皇軌の直雨してをbま†る惟界粍史上もまわな難局に蝕みまし
て、出来るだけ速かに桝拗の成鵜を増さねばならぬものと琴\兇怖放
してゐる次鴇であゎます。従ひまして改めて技循院の使命の正大にし
て札開雄なること恕照く担民が畑博せられ碩極的、札建設約なる脱力
を切常して止まぬ次鮪でありますP       ハ=空最彗


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(二月二日放送)