今次開戦と世界の動き(三) 情報局第三部長 堀公一



今日は主として敵閑最近の動向について頓に申上げまナ.
 ハワイ敗戦に衣ぐグァム、ウエーク粥島の失陥、又最近はマ三フの
損落、舶来牛島に放ける弟縫糸敢むる・邑軒の急袈背馳況破く彼等に不
利である広め、普初我が軍の取梨をひたかくしに饉してゐた米英督局
も斯女中蝕の爪榊を致襲せぎるを樽なくなり、共同に於いてほ、アトレ
1首和代和が∧日鎖骨に於いては更地批繰に於いて我々ほ莫大な兵力
と武器と輸送能力を罫したのであるが、たとへ我々が生轟能力を最大
限に常挿したとしても・我々ほ日本の勢力に勤抗し栂る程の武器、兵
力を怠る能力はなかつたであらうと、苦るしい痔解を行つてをb、ル
大銃憐の和ぎもその六日の菅沢祝に拾いて、ウエ丁クを救ふことも
出来す、フィリッビンに援軍を逸ることも出来なかつたのはまことに
汲修整睡であると明かに放散を勧めてをりま†。又これ戦敗暇の爪和
が解ろにつれ、新聞紙等の中にも米炎鴻耶の迂闊さにたいし話せな非
耕を加へるものもでてきて、又英が米に、米が共に各故地の辞めむな
すbつけあふといふ醜態もあらはれ、馬に全般の士常が不秒恭純1つ
つあることほ拝の餅地なきところでありま†。併しながらこれむ以て
一般の我が方に刺する抗敬意紡が鼓へつつあゎと見るのは勿論中計に
樹ダーます.
 繋留岱局に放いては十二月七日を妊珠滑デーと定め「忘るる勿れ丸
 顔′い竹の原形七作り、必死となつて申民の愛用丁心を拍つてをり、況
に従来軌牢反封政の首齢であつたジyド.ハ1〆が、昨年浪ひ出された
米酌残琳に特に意麒をして技師を許され、又これも反戦沢であつたメ
ソヂスト教その他の宗教艶抄も一汗に野度を喫しル大桃悌支持を饗明
し、国内の四輸は最上強まりつつあるやうであります.又馳牢に封す
る特那摘旺にっいてもあるひほ平和泰共の軍儒工敷への輔換、あるひ
は平時米嗣に於いては夢感だも出ポませんでした)一週間七日丁旦)
十川時間労働別の採用、あろひほ漑革桑負を≡十哉上わ五十鈍に榊払
する実の淡雪あるひはアラスカ盤宰基地の職鰯等瀬蒔きながら、持
久戦蛙形を進めてをbます.又六8ル大銃伽の鎖骨殉教智に上ります
と、本年の生轟R襟として軍用飛行樺四孤五千革、タ/ク由駈琴、縄
射地l→革門、商鮫新造八百盤嘲と教義し、又来年度徴‡として五官九
十発といふ瓦封の故事を教辞してをゎます.
 勿論これ等の敬字や計怒は今のところ糾の上の針蟹であつて、これ
を貰†ろ馬めには、祭払の粥係や、人巧工租の閲係やらその聞に
いろ〈な矛盾もあb、又モに板木粥な和睦とLてほ今次の吸申に封
して米軌人が、梨して智々日本人が感じてゐる程のつき試めた決心徽
悟をもつてゐるかど与かといふ瓢等上りして、根等がこの大鞄牢を独
行するに足ろだけの、挿紳的血に物質的区内址糾を確立し得るかどう
かが頼る妹開なのであります.
 又仮令前地の均働が出来上つたとしても、亡れを有数に動か†糾増
\ノ

▲一

′lヽ
 さ九た毒を仲む穐るや否や、写」れを動かし得べき竜を快傑L得
 るや否や等の叫頓がありまして、何も今年の縫bには畑流速の軒榊拗
 が太平津を申乙て乗場すろと▲巧ふ翔では勿輸ありまけんから、教学を
 見て取くやうな日本人は−人もゐない昂でありま†が、併Lながらと
 に稗、敵均も亦、その汚bとする発漁を紐動良して、長和概に封ナる
構へを作わつつあるのであbまして、この鮎ほ我々と1て機租しては
ならないところでありま†。
 っいでにこ1に私が−宵したいのは、我が櫻晦皇叫の耗々たる職果
に鳩激†るの飴り、世間−部の人の聞には席方方卸の制海権も制塞摘
も全部我が手に尉し、米英は海鞋も基準も手を跳ねて果然傍桝してゐ
るといふふうに、迎晰するものもあるといふ野さを耳にしたことであ
りま†。けれども如耶は決して左様な碓ではないのであつて、我が牌海
軍の繋蹄なる協同作順に上る杭全の防遁手段が謝ぜられてゐるからこ
そ赦の〆リラ快もな址放盤を上げ得ないといふに止まり、組も残存痔
貝せ糾合して和力ながらも行動を桝けてゐることは勿論であわます・
 衣に器陸方南の外交閥頓につきましては、米英合作の髄化臥び全世
界に放ける反福軸[線の結成といふ二つの同額が最近の励何でありま
†.先づ筑叫に発将に於ける米英耶郷舘礪の閑催であむます・前同一
寸申しましたやうに昨年十二月の〓十〓8、チ,Iチル共首相は、睦
海軍首脳者を含め八十名にも麹†る随員を引き起れ、睾府に到帯致
し、ル大統領を中心として、米凶首脳者との閏に軍群像耗を開いたの
でありますが、謂憫報を綜合致しますと、この禽濁に拾いては、封偏
執暇率建行に拗し、全世界に放ける米英輔威その他の分拇すべき主審
分野を決定したことほ価堵であります。勿論その内容の許しいことは
僻むませんが、間晦の中心ほ封締粕兆向作戦の甥硯とりれに伴ふ指件
命令系統の統lといふ盤にあつたやうで、8本に沖件の辞い抑留とし
ては、
∧〇頭細拍に於ける劉8攻野三)硬度政府の封8或打虎助三〕
ビルマ公路の飢価額の郡椚が封男牡られたもりと純綿すhれます‘
 話禽胡の結果の或は九として本年】豊音に重り米担政府普局は、
英軌印度粥線司令官ウーーベル大浦を首班とする甜帝大平洋防衛最議
司令部の設昏を汲表しましたが、この司令部には米群雄革司令官タレ
,ト格軍が印司令官となり、英申†レー軍司令官バウナル措挙がさ眺
長となる外、海軍の指揮官として米国のハート、ナジャ絶勝司令官又
女邦怖印万両の指揮打として蒲介石が所崩することとなり−その管砲
粍嘲はマレd比良、間印、ビルマといふことになつてをります0
 又右と前後して緒介石、ウ▲−ベル粁半間に平群也繋が成立し、虫
酸将の叫部がビルマに準鞋Lウーーベル将軍の指揮下に入り、又六日
には窮段に於いて電撃、米、英、腑瀞合情報局の設牡が意表せられてを
ります。琴正は前銀の打為を契機として出来上りました〓十大ケ団
⊥りなる反椙軸陣営の緒成やあります。邸ち英、栄、瀦柑、加奈陀、
京筐故地、ソ聯撃一十六ケ困の間にハ〇共同して反絹軸取争の盤行
に労力ナるハ≡環掬では体験又は講和をしないことを均した共同宣
言を−月一日に項極めたのであります。・」れほ二十六と申しますと非
常な国家群を想像ナるのであゎますが、英領同の自治銅を各さこ同士
算定したり、更にオラン〆、ベルギdギyシヤ、ポェフソド等の亡
命題絢を「一敬へ立てたり致してをりまして、〓十大ケ団とはいひ
ますが、結局は米英及びソ聯聞の自己補足的定言に他ならぬのであむ
ます。又宜言であわまするから法律上の拘束力も海く、辛質を伴はぎ
る集成なる掛隙に止まるのであつて、呪下の政局上から見て左して拘


▲り

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頓とするには足ちないものであbます.
尺我が国として看過出来ない間馳ほ、米囚が来る十五日に鴎他の汎
米外叛大臣伊故を前に拶へ、鰭穏となつて堕不報国の拙守引き払みに
挿沌してゐる秘苧あります・米楓の由雑たる朗鞘汎米政簡が、中南
米共同捜桝立、背併政策でいふ襲名に定れたるドル外交の確乎に外な
らねといふことは、私がこ1に申上ぐるまでもありません。即ち米国
は今次、大東報取牢が勃硬致しまするや、その地朗的、経済的政び革
帯的に斗趨なる地位を利柏して、今庶の牡牢とは秩も由もない中南米
相国を封日共同戦線に糾合し上〜と労力し、眈に中南米諸岡中にほ故
に米国の魅海に拭し切れず、我が帆に定職し又は拘交を晰絶†るもの
も出てゐろのであbまして、米圃は来るべき‥卜鵠を利用し多勢を伺ん
で触埋失粥に封将塑且馳に迄持つて行かうとしてをります。
 この斡軌の鎖留は煮面上は西半球の肌漁と、米絶大陸の挺済迎稚と
いムことになつてをりま†が、すは何騨の正批ほ先にも述べましたや
与に、米洲沌匪の封絹軸凶共同食服布苧」れがどうしても勺ま〈行か
ない▲翌罠は、封絹軸報国との準父断絶噺行を企倒したものであるこ
とは明かであいますq既に珊酌は日米禽韻で、皆様御存知のウールズ
外域次官以下〓十名といふ大代封担が沢治せられてをります。又南米
の有力靖の官に上りますとドミ;政府が米削和国の光岡雀馳布告の
凝礁をなす手竿が蟻つてゐるといふことであゎまして、米南の噌拙が
巳に見ゆるやうでありま†。
 さてこの†為に封†ろ楕米各戸の弘虔であbますが、南米の大南中
最も扶繊鮮明なるは丁ルイソナソでありまして、同的外務大臣ルイ
 ス●ギナスは一月七日リオ何硫へ出弛の朽轡」ういってをりま†→丁
 ルゼyチ′は汎米単にけ忠甥であらう、併しそかは常にアルゼyチ
yの政治的樫済的財政的機構と合致したものでなけかばならぬ。何と
なればこれこそ国家主蛾の器翻だからである、令名で如何なることが
決求けらかやぅとも碩覿の規立に形苧を及ぽナが如き車中也定等ほ、
鎖骨の協壌を担すして受辞することは出来ない.鵠幽は米糊樫済駒払
圃こそ現在地に取扱に於ける者賄政策の基討となるべき」とを確信す
ろ】官を駆明致し、軍に多牧の中米領国が神前の用鋏もなく=品に
晩学に参加したことを戦く詐概してをりま†.
 亜閑外務大臣のこの富来はまことに意味珠l呈口蟻であbまして、堵
も南米に図をな†和光闘として他団の無理押しにJつて、槻休もなさ
取牢に捲き込まるることの慮さを率直に述べたものであbまして、大
同高成上り†るアルゼンチン外相の明断に射しては爽心頓焉な粥†る
ものであります.
 今回の敬帝は政府鞘明にもありますやうに米英の止まると−妄なき
暇迫に封し自存自穎と、文窪安定回復の籍めBむに巳まれヂ槻を沸つ
た扱邪の劇であります0従つて我が敵は鞄混も米英であbまして、米
英の甘首に蕪ぜられ又はその弘陛に已むなく現に敷向ふものに射して
は、日本上してもこれ又巳むを得ず阿蘇の手段を探らなければならな
いことは勿翰でありますが、米英を放と†る本きには甲bがない衣碓
でありま†0促つて過去軋十年に亙つて最も友好的な剛体を維持して
躾た南米和国に射し、何等の野心も意軋もないことは岬†遊もないこ
とでありまして、有馬の指堺者に上り統治せらるろ籍米汚開が、眼前
の准粥上りすろ押挿転迫等の焉め挽家首年の大別を喋るが如きことな
かるべきは1我々の堅く信じて耗はぎろところてあゎ†すPこの井に
つきまして、前述アルゼンチン外相の弊明は頼米指摘の湛むべき故地
を示喫†る−大審告と申さなけわはなりません。
ヽノ

血nV
 華府軒疎に熊ける鞄粗の続→化といふことほ、一見確等の足並みも
見壌に盤ひ、態1寧日独学に−柁となつて滑るといふふうに卑見るの
であらますが、囲埼を異にし、帆栂を災にし、更に訓練宮幣を泉にす
る敬ケ均の零騒を単一の指揮の絆におき、有機的な動きをさせること
の輌打なことは我々謡人にも胴ることであり、溌んや摘出太平洋に於
ける兵力出び革群姦地を失つた後の根幹の政弊なるものは、慮るるに
足るものではあbません。更に拳府舟娼出びモスコウに放ける英ソ禽
秩等を沌じ米英専が鰍州取琴及び太平陣取苧急行に均し、昇粘を何れ
におくやにつき完全なる意見の不山敢を兵籍したことは、特に興味の
ある河財hUあゎま†.英凶は革府坪胡に於いて日岨の北均上棟榊に放
ける掬籍打倒を敏l日照とする臓榊取申先決案を持ち出したやうであ
bまして、これは現在撞度の封ほ恐怖と封日冊態を囁いてをゎまする
米甜官民に反格を鞘へたことは推測に難くないところであつて、現に
チ†−チル美首相の米由下院に放ける頼鵡中、凡ては太西洋取に有る
といつた時には米田前月は全く沈猷し、拍手一も起らなかつたのであ
りま†が、チ†−チルが畢に太平洋曙弔に言及し、日本に濡態を吐い
た時には盛なる拍手を喝采を受けたといふことでありま†.
 この英本国の枚糊馳牢妨−鼓故に射し、虎も謂骨なる反感を示して
ゐるのは硬洲でありまして、客年末カーテン潔抑留柏ほ「僚州は血族
舶條に裁く英才園との樽桃的召腺上り脱却し、米闘いト址存杜ぎるべか
らデ」と、英本園に封する不信の意を表明してゐるのであります。是
に封し三十−日の英本閑の放鐘皆H取牢解説者フレーザーは「温く且
つ釣合の堀れたる日本海革に封してほ準団娠騒が賛作を有する次第に
して、現在の太平洋亀拇を蘭したる脱尉ほ切に史蛛澗の惨敗に外なら
ず、慄洲が英熊最高統伽に脳泣言るが如き」とあらんか、英帝開会距
殊に康洲、−こ−ジランドに取少て朗々しき紬輿を見るべし」と、太
苧沖の鹿措を米卯の賓任なゎと併ずろと非に、虐め′し打者に葡川首細
の演孜を反駁してゐるのであります。尤も英歯向は実線醐係の別材を
恐れチ首相上りカーチソに封し特別メタセーヂを建る等、あらゆる架
繊照りを行つて瀾係改率に努めてをります。
 客年未開かれましたモスコーに於ける共ソ軒錬の位具についてほ、
十二月〓十九日の倫敦放逸は、英ソの偶に反枢軸取争に閑し完全なる
意見の一致を見たと頻りに宜偉してゐるのであbます.
 併しながら、こゝにもソ塀の封日勤向を鶴り米英開痢の立塘の相違、
意見の不一致が認められるのであゎます。掛ち米幽は東蛮に於いて日
本を牽制し得る靖カを有する囲はソ聯以外になしといふ見地カら、重
臣政他と共に極力ソ聯の封晶学札的を鴇勤してゐるのでありまし
て、華府に放ける米英欝事骨柄にも、結束はソ聯のさ加を期待しゐる
昏を頃ヱ教義してをり、米国軍事評約家、上院満員中にも今なほy堺
の封8参戦を主張してゐる漕が妙くありません。これに反しまして美
顔は、ソ聯を濡つて前面的に細に昔らせやうと致してゐるのでありま
して、ソ聯の封日払牢突入は寧ろその封拘抗約力を河退軽しめやしな
いかといふ懸念から、最近はソ聯の容態には焚意な表はしてをらない
のでありま†。現にイーデソ外相のキスコI肋間に朗する英固政府普
局の護表に於いても、英ソ幹読を行ふといふことは大成鵡敬弔勃詔以
前に眈に決定せられてをつたこと、故び禽談は指劫轡鮎及び戦後の軟
抑褐毎に鵬するものであること等を持に断つてゐるのであゎます。
 か〈の如く、】口に米英合作の強化、堆いては全世界に放ける反柘
軸央同職線の緒成と申し苫しても、米英両国の問に埴々の♯均と柑剋
が存在してゐるのでありまして、この柄閥間の矛盾ほ昭等の武力馳が
敗北の−途を辿るに郷わ益よ激化†るであらうと槻刺されるのであわ
ます.

                       (一月十日放送)