今次開戦と世界の動き (二) 情報局第三部長 堀公一
私は去る十二月十日大東亜戦争勃発直後の国際情勢につき、お話し
致しましたが今回は前同に引続き其後の国際政局の動きを簡単に説明
致します。先づ最初に敵国たる米英両国の動きでありますが、諸種の
情報を綜合しますと、開戦劈頭の予想外なる敗戦に、呆然としてをり
ました米英両国は、最近に至つて、漸くその陣営の再建に着手したや
うに、見受けられるのであります。即ち、米国におきましては、軍事
関係産業に頻発してをりました罷業も、最近に至つて影を潜め、リン
ドバーグ一派の孤立派や、従来わが方にたいして、比較的穏当なる言
葉を弄してゐたハースト系諸新聞も、その論調を一変するに至り、国
内は徐々に、挙国一致の体制に向ひつゝあります。
更に、ハワイの視察より帰米せる、ノックス海軍長官の報告を基礎
として、ル大統領は、責任者たる太平洋艦隊司令長官、ハワイ防衛司
令官、及びハワイ空軍司令官の罷免を断行し、また査問委員会を設置
したのであります。
すでに皆様が、新聞その他で御承知と思ひますので、詳しくは説明
しませんが、今回敗戦の責任を問はれたキンメル太平洋艦隊司令長官
は、米国海軍中でも対日最強硬論者として知られ、昨年一月、十人の
先人将校を追ひ抜いて、太平洋艦隊司令長官に抜擢された人物なので
ありますが、今や開戦劈頭、わが海軍の猛襲を受け、もろくも一敗地
に塗れたことは、敵を知らざる強硬論者の末路として、憐むべき限り
であります。
マレー沖の海戦により、極東における主力艦二隻を一時に失ひたる
英国は、太平洋における今後の作戦計画を、根本的に変更せざを得な
くなり、昨年十二月十九日、シンガポールにおいて、ダフクーバーを
中心として、軍事会議を開催し、前後措置に没頭してゐるのでありま
すが、英国は、米英対日共同作戦樹立のため、ワシントンにおいて、
米英軍事最高会議を開催すべく、計画を進めて来まして、情報により
ますと、英国よりはチャーチル首相、ビーバーブルック軍需相が、す
でに華府に到着し、同月二十二日よりいよ/\会議が開催された模様
であります。
米英両国は、以上のやうな軍事的措置を講じてゐる一方、国内にお
いては、諸種の戦時的経済措置を、採りはじめてをります。
英国は一昨昨年の欧州戦争勃発以来、食糧その他に、切符制度を
採用してまゐつたのでありますが、最近に至つては、屑鉄、屑紙の回
収に着手してをります。チャーチル首相が、嘗てルーズヴルト[ママ]大統領
の書簡の中で、「英米両国を合して年額八千万噸以上の鋼鉄にたいし、
日本の生産はせい/"\でその十分の一にしか達しない、これで米英両国
を相手に近代戦が出来るか」と豪語してゐるのを思ひ起し、彼等が屑
鉄のみならず、屑紙までをも回収しはじめたことは、如何に彼等が物
資不足に悩みつゝあるかを示すとともに、今次戦争を深刻に感じてゐ
るかを証するものであります。
米国は今まで、物が余り過ぎて、寧ろ困つてゐたやうな国柄なので
ありますが、太平洋戦争が勃発するや、航空用の石油の国家統制を開
始し、更にタイヤ、ゴルフ・ボール、テニス・ボールの生産中止を命
令し、錫の配給及び輸入を、国家管理となすに至つたのであります。
米国はいはゆる民主主義国家の武器庫と自ら称し、昨年三月成立の
武器貸与法に基き、枢軸国家と抗争中の諸国に、軍需品の援助をつゞ
けて来たのでありますが、最近に至つては、これも自国の国防のため
に、一時中止しようと言ふ議論も現はれてまゐりまして、政府当局は
継続を声明してをりますが、将来、従来のごとき援助をなし得ざるこ
とは明かであります。
こゝで皆様とともに考へたいのでありますが、これ等敵国、殊に米
国が、いよ/\消費制限、及び生産統制を断行したといふことは、物
質的には世界無敵を誇つてゐた今までの豪語振りから見て、われ/\
として、いさゝか胸のすく思ひを感ずるのであります。しかしながら
反面から考へますならば、敵国はいよ/\長期戦の態勢をとつて来た
とも見られるのでありまして、わわ/\としては、絶対に油断の出来
ぬ点であります。
一体米国は、従来「浪費の経済」ともいふべき経済組織の国であつ
たのでありまして、私が滞米中聞いた話でありますが、ある日本人が、
一生懸命苦心して、普通の電球を三倍も長く持つ電球を作り、市場に
売り出したのですが、一向に売れない、いろ/\原因を探ねて見ます
と、余り長く持ちすぎるので、小売商が、商品の循環の遅さを嫌つて
売らないのだといふことが、判明したさうであります。つまり、早く
売れる方が、多く売れてよいといふ、誠に馬鹿々々しい話でありま
す。アメリカの従来の経済恐慌といふものも、結局、物の生産が余つ
て、消費がこれに伴はないといふのが、その原因であつたと考へられ
るのであります。
この米国が、今や、「浪費の経済」より「節約の経済」へ入つたとい
ふことは、換言すれば、米国が自由主義的経済組織より、高度国防国
家の体制へ転換せんとしてゐるといふことなのでありまして、われわ
れとしては、開戦初頭の戦果と、彼等の狼狽混乱振りとに酔ふこと無
く、更に兜の緒をしめて、長期持久の態勢を確立していかなけかはな
らないのであります。
しかしながら、帝国の南方進出により、ゴム・錫・クローム・タン
グステン・麻等の重要なる物資については、彼の死命を制することが
出来るのでありまして、彼等の恃みとする、経済封鎖による長期戦の
計画も、今や望み薄となつて来てゐるのであります。
敵国の情勢はこのくらゐにして、次はわれ/\の味方である、独・
伊その他の枢軸国、及び東亜の情勢について申し述べます。前回の講
演で申しました様に独逸並びに伊太利は、今次の戦争に関しては、全
面的に帝国の立場を支持してゐるのでありまして、帝国は、この理想
を同じうする両国と、去る十二月†r日、亀費弘弼和、及ひ職繁り新
秩序鶏設に協力方を約束せる條杓を締綽し、また同日、南酵は米声に
たいし、宜取したのであります。ゲツべルス丑柑柏は、同十∧日、〆
ス・ライヒ紙上に一論文を掲げまして、「米英南囲は、日本の武カと政
治カとを、過少評償せる緒果、今同のごとき全両的敗北を喫するに至
りたるが、日本軍の払々たる敬巣は、8本舛民の拷紳力を如モに控明
せるものと言ふべし」と、速べてをりまナ。
伊太利の有名な、ジヨルナーレ・デ・イタリアの主筆ガイタ戌も、
「日本軍の米葵持漁にたい†る制転は、シンガポールにその海革を頚
緒せんとする、米団の行動を挫折せしめたり.日本海軍の僅弊は、今
後ま†′1柑大の一路を辿るべく、英軌は野利の窯みなL」と漁じて
ゐるのであ。まナ●
ここに一言つけ加へたいのは、瑞ソの取況でありま†。ソ令棚は、
この教8来、盛んにその西部敬線における大々的職果を、籍つてゐる
のであり嘗すが、諸種。構報上わ見ますに、モスコIを申心とする地
方の寒さは、今や零下三〇衣にも達してをり、事軍上、.大境横の作取
行動は不可髄のやうであわま†。これ上り先、珂大本誉は、入日革明
を蒙しまして、封モスコト作敬は、一時取線を宅理するも、明春を期
して、徹底的徴汝取を敢行する旨を、速べてゐるのであわます。租y
戦争は、いはゞ多眠状態に入つたといふことが出衆ると思ひますが、
ソ塀の大々的に款逸してをりますやうに、掬琴が甥挺に負けて浪却し
たといふやうなことは、粂く触いのであbます.
次に、東亜の博労を申L沈べますP帝方、奉覿との間に、日泰攻守
同盟憮杓が締姑せられたことは、皆挽も御承知のこと1恩ひま†。泰
開は、卑次敬寧閲始蔽後ビプソ首柑の勇断に上り「わが宰像の泰囲海
過穀承許d次で十二月十一日、呼⊥大位とビプン筍柑との間に、臼
泰同盟価約締緒に撃キる意見の一敢を見、氷でこ十一日、正式侮約の
網印を見たのでありまして、審凶は今や、帝駒と渉網を丁にして、恵
亜共河の敵たる、半英撃減の鶴職に邁湛することになつたのであゎま
†。大求亜研秩序建設のために、まことに御同慶にたへないと存ずる
のであります●
由来泰醍民ほ、自由、燭立の常象に富み、泉竜における掲立申とし
て、古くから存在し・てゐたのでありまず。不革にして、過去一世紀に
わたり、葵醐の政治的、樫済的挺迫の封象となり、その蒙展を阻睾せ
られて水たのでありますが、こゝにビプy嘗柏の弟断と明智により、
帝園と全面的に協カすることに至りまLたことは、驚に東亜の興瞳期
における、申期的出来帯かりと信ずるのであります。
圃民政府は、前国でも申しました様に今次の吸学勃襲するや、江童
席は自ら挿珂に立つて、洩倒且つ全而的に、わが方へ協カするの決意
を定められまして、大東魂馳学は、嬰仁8本−国のための馳争にあら
ずして、支琳希地の租界固収がすでに示せるがごとく、中革民斡を初
め東嘘儲囲が、米英帝園ま義の礎櫓上り耽却せんとする僻故戦なb、
と喝破せられてゐるであります。まことにこの趨りでありまして、今
までの瀬地における祀軋も、混乳も、淋を正せば、†べて、米英の、
東鵡の機牲において、塾零せんと†る、嘗愁且つ利己的なを熊諜の椿
果でありま†。今こそ東亜のために、全兼寵が立ち上らなけわばなら
ぬ秋であbます。
この姐民政府の速眼遠大なる理想にたいし、封昧的なコソトチスト
をなすものは、不率今なほ英米依存の速夢上り党めず、現に一地方政
槻に鴨落背悶する、電匪政拍であゎます。電慶政地ほ、大丈亜戦争勃
革直後ほ、英米のカを過信し、日本の敗北を確期し、盲んでゐたので
あゎますが、帝閑の砿飼的なる職果の前に、今や非常なる椴揖と混軋
とを来し、瀧て上り宜侍してゐた反革に出づる勇覇も耳カもなく、ひ
たすら米英に飼り、ソ聯の引込みに狂弊してゐるのであります。
捕報に上りま†と、‡慶側ほビルマ公賂鵜晰に上り、蜜碇軍主カの
姦を惧れ「日本は米英と決戦の餐倍を定め士東樋めて晶換しをり、
今後六ケ月にして日本の士気依然我へぎるにおいては、大東亜取学併
敗の救は逆渚し雌し」等と拐菅をはき、一都には瑞逸等を仲介として
封日和苧を囲らうとする戯論すら出てゐる横棟であゎまして、取局の
進展につれ、かゝる内紛が、い上〈表面に現れて来ることほ、必蓋
と考へられま†。しかしながら、これに上巾まして、軍慶政抽が今荘
ちに瓦壊するとか、或ひほ、支那における全席的和平が、早急に讐現
されるとか邦晰いたしますのは、正鴇を失Lてゐると思ふのでありま
す0
以上申誠べましたやうに、帝囲は、速くは欺榊における盟邦珂伊そ
の他とともに、近く東墟においては、北は満州囲上b、帝は泰印に竃
るまで、相ともに手を墟つて、こ1に立上つたのでありまして_これ
に上りて見まするに、今次の大丈亜取学は、一に帝匝の自存と自瓶の
ための馳学なるのみならず、桂いては蛮亜の聯故取であり、吏に申し
ますならば、性界における新秩序と壱秩序との、一大衝突にほかなら
ぬのであります。
次にこの敬申にたいして、中立的放床を保つてゐる同々について話
Lま†。現在までのところ、帝米のアルゼソチy・プラジル・チリー
ベルd及び欺洲のポルトガル・スベイソ、並びにソ聯が、帝圃にた
いして申立的態鹿を探ってゐる国の中の、童黎なる駒でありますが、
先づ農初に、南米帝囲の勅向、次でスベイy・ポルトガル術匪、最後
ヽノ
八V
(
にソ伽の.憫勢につき、申祖べたいと思ひます●
先嘩も申しましたやうに、泄界が新秩序と巧秩渾のこ大陸菅に分れ
まLた今日、−口に「中立」と申しましても、徒氷の意義における
「中女」とは、験程意味を奥にし、孝を異にしてきてゐるのでありま
して、例へば、桶米詣鞠の中允と申トまトても、後に評しく述べます
一
るやうに、米閥にたいしては、これを非交職園と零倣し、申立法幾を
洩用せず、といづれも一懐に宮明してゐるのでありまして、班に日英
取にたいしてのみ′いほゆる阿際法上の中立を意味するものに過ぎな
いのであります。
しかLながら、南米籍閑のこの態度は、耳にやむを得ぎるものとい
ふことが出米ます。
米駒はその閉鮨として、汎米壷義といふものを持つてをわま†。ル
失統領が政槻をとるや、拳粥政雑を強綱し、従来の捕骨なやりかたは
改めましたが、その棋本は、米圃の桝謂ドル外交の魔カむ極腔に碓揮
し、共の金カと箪革力とに物をいはせ、中帝米諸はにたいし、潜々地
歩を喝むることにあゎまLて、・杜来と累なるところほ餌いのであゎま
す。
一昨年欺洲馳雫が勃葎するや、米開はバナマに汎米外相禽礪を閂催
し、茫に昨年、約二同をキユdハ節の笥都ハパナに閑催して、この紡
〓珂の禽穎で、いはゆる米棚共同妨領宜言なるものを作り上げたので
あh・ます。この宜雷は、正礫に申−ますと、ハ.ハナ禽溝における最終
萌定藩餌十五紙といふのであゎまして、米開が交戦園となれる場合、
申南米紹憐は、米閥とともに参職するの欝は触いが、米図む非敬哺と
帝倣し、駒隈法上の中瀬法規努適用Lないといふ決靖であゎます。
国際扶⊥の吋鰍といふの暗、交職園双方にたいL、甲革に威る転の
義務を負ふのでありますが、申南米詩酵は右の宜宮に上り、米囲にた
いしては、参敬に至らぎる耗周において、革斬的竣助をなし得るが〔
日本にたいしては、厳正中立を守る1といふのであゎます。
一見8本にたいLまして非常な費別待遇のやうに息はれるのであわ
ますが、前にも申したやうに、南米謂簡としましては、米国にたい†
る斌がねからして、やむを得ないのでありまして、また米酔は、破ん
に柏伊並びに日本が、璃米にたいして領土的野心がある、今のうちに
囲転しないと飛んでもないことになるぞ、と登侍をLてゐるのであわ
ま†。
アルゼyチソは、いはゆる紬米の▲出C謂団の第珂でありますが、
敢学と同時に、ハ.ハナ宜冒に基せ、米濁音非変敬帥と看倣す官の畔明
をしたほか、今日までのところ、帝固にたいして依然友好駒舶瞞を持
耕Lてゐるのであります。非常斡態に戚するため.報礪の坪増的非常
措はをとりぜした緒果.在留8本人の預金も、一都引畑制限を受ける
に至つたのでありま†が、これとても、米観が賓施した、いほゆる背
蛮械結などと災なり、周閑における邦人の樫済暗動に、不普なる鮎拍
を加へるといふ鎚紆亡はないのであります。デラジル・チリ1・ベル
Iもアルゼンチンと同じ〈、米糊共同防衝宜言に上り、米圃を非交馳
閥と宥敵Lてを・りま†が、右以外、現書ごのところ.特に封8嘲係
上、著・・しい判きほございません。たゞ偽姐は、九Hに全つて、英掲伊
西葡譜以外の固譜による桝糊電報、及び一般欄瑞の受付を停止Lてを
h・ます。同駒にはサンバウPを中心と1て、日本人が多激ゐるのであ
りま†が、なんら勅樵の兆なく、まに、なんらの幾椚待遇も受けてゐ
ないのであります。邦人はペルIにもまた多いのでありますが、同嘲
の政船鈷転ほ、こわに梨分の保払を加へてゐろヤうてあれぜす。
ヽノ
7
′ヽ
かやうに、府溌の大頑は、米由の宵に桶ら†、群戚的態溌を示もて
ゐるのであbますが、これにたいしまして米姐は、躍宅となつて封日
弗同職線に引込まうと鴇動トてゐるのであります.すなはち、この−
ヽ
月十五日に、伯同の首府りオヂジヤネPで、撃面の汎米外柏倉鼓が
開催される稚定なのでありますが、これに先じて、なんらかの駄成手
すを作り上げ上〜としてゐるのであります.
しかしながら、去月十九8、東稗外耕大臣の竜・伯・智・嘩、凹ケ
申の外耕大臣宛のメツセータにもありますやうに、帝国は、帝米ガ蝕
にたいして、なんらの野心も、悪倒もないことは、今や明々白々なの
であゎますから、再米籍申家も、米英の窓質なるヂマに惑はさるゝこ
とな←、帝担と友好拍係を持株するでありませうし、またかく†るこ
とこそ、嫡米緒酌の特来にたいし大なる利銭と繋発を珊サものと、侶
するのであります.
スペイyは、掟来欺糊取学において、鴇軸側にたいし好意的中七を
保つて来たのでありま†が、大泉虚取学の勃敦しまするや、】般官氏
は、牢つてわが方の措荘を黎務し、各新閲は、逮日わが陸海革の耗々
たる敬巣にたい†る構計を以て炊面を塊め、さながらトが方の斬娼な
るかのごとき峨を1鼻してをります●定に同駒政府は、換に陽に、廿
界の各地において、わが方のために協カをしてくれてをりまして、わ
れ〈として、賂謝に堪へないところであゎます。
ポルトガルに鵬し、私がお砧したい払は、雷十ヒ日、漢州・槻印
研合常が、チモール島を占汝トたといふことであ〜・ま†。先働、・わが
帝洋のバラオ上り、定期航尭路の閑設を見たチモール鳥であゎます。
同十九日の同酵首柏♯ヲザール舟の沢改に上りますに、英熊は前から
丈坪におけるポルトガル慣の?カオ放びチモール島を、臼本箪の伎略
上り保邸するため土いふ口甘のFに、ボ〜トガル政府との間に、共同
防俄の変妙を進め・つ1あつたのであむま†が、十七日に董り、日本の
蒋水桁が同鳥を骨成せんとしてゐるといふ埋由で、架仙これを占飯し
たのであ。ます。両由いのはこの琳件の少し前、日本軍が、†カオを
占領Lたとか、更にチモールをも占飯したといふデヤが、蓋累の池
信批から、盛んに放迭されてゐたのでありますが、これが彼等常套の
媒略手段であり、有りもしない日本のは好を溌樽しておいて、それを
口甘として、自ら伎略せんとしたのであります。
サラザール朝首柏は、十九日の演孜におきまして、投然たる態耗を
以て英閑側の非行を指楕し、チモール島上りの撤兵を弊求したのであ
りますが、この間、粥串笠飢には、愛覿幽蛙の示成雑肋が行はれ、執
場内上り拗半槻を以て幾られて水る、首柑の熱蛸にたいし、彗丁喝架
を幾つたのであります。私はこの葡囲の苦境にたいし、搾く同偶して
ゐるのであhますが、英匪が、か1る陰瞼、軒意なる手虐に上り、そ
の友声を架ひ、損らの基穴キ掴りつ1ある姿にたいトては、呼ろ息葵
を蕪じ待ないのであわます。
衆後に、ソ聯の近状について申し述べて私の弼桝を績りたいと思ひ
ます。ソ聯の新閲批は、帝囲の閑敬弊粥における牧巣を、振力油小鶴
せんと欲し、その漁網を璧口しますに、わが園の最初の成功は、撤直
的ならず、緒局、人的地びに物的費源の鞋富なる、米英鯛匝が聯利を
利するならんといぶやうに述べてをるのでありま†。
米英並びに正駐政触側上り見ますならば、ソ聯の去就は、‡にその
興般の分肢耗ともいへるのでありまして、彼等、殊に蛮慶のごとき住
必沌になつて自己の陣管にソ餅を引き入れJ与と、・餓動してゐるので
ありま†。
ヽノ
kリ
′ヽ
しかしながら、替棟も御承知の埼り、帝斡とソ聯との間には、一昨
年五島頓された申北犠約が存在してゐるのでありまして、ソ塀官韻
の意向も、封日中立政熊を宅持するものと解せられます。また、わが
方としても、北逮の守りか竪くすることは勿鎗でありま†が、他而、申
立憮約を逢守する方針に埠りのないことも、また雷ふまでありません。
米英側においても、最近に彗つて、漸くソ聯々封訂職緑に引き込む
ことを噺念したかのごとく、去る十二月二十日、英印の耕禽において、
外務夷官は、「現在瑞と死何を紙けつ1あるソ研にたいL、モに封日鞘
取を強ひるのほ苛酷なり」と速べて居りま†.
英拘としては、ソ斬をして専ら珊に普らLめんと⊥、8ソ閑取に上
るソ聯拭取カの抵下を、瓜れてゐるかのやうに見費けられるのであわ
ます。
以上をもちまして、大束亜戦学を為る泄界の何労を、簡革に申L速
べたのでありますが、これに上つてもわかるやうに、米英を敢として
決然立ち上つた帝坪の外安上の地位は、すととに瀧想外と申しまして
も上いほど、有利なのであります。
重ねて申しま†が、音慶政拍を除き全東亜の汚印は、帝坤とともに
立ち上つてゐるのであります。†レI牛鳥、ビル†ハ印度)及び南搾
籍島の東亜民狭もまた、澱の友人がどの酎であり、妓の赦がいづれに
あるかといふことを倍り、ともに立ち上るの日も速くない構労であわ
ます。
掲伊雨圃との堤挽は、今やます〈架密となり、帝前は東亜の解故
の盟主として、摘伊とともに、新秩序墟設を准界的親横において敢行
せんとlつゝあるのであゎます。
逮田〓千大習年」日本が輿るも亡びるも、秋は特に今であわます.
われ〈は日本臣民として、この正大なる秩に警したことに、無上
の光糞七巌汲とを琴えるものであり、これまで皆械とともに今次大東
並彗Tの世界史的意*に決く息ひを費し、この古今未甘有の大蕪幾行
のために、なほ】甘の御牢公を盤さんものと決心してゐるのでありま
†。ハ†ニ月〓十輯日放章)
ヽ′
▲uー
′ヽ