産業再編成の意義 商工省総務局総務課長 美濃部洋次
今日迦搬の五周年紀念に官り「独特経済盤賄講演の夕」といふ飽し
がある。この他しに懲り「頻発の荊輌戌」といふ和也に就いて、少し
く御許を小上げてみたいと思ふ.
自主的経済建設へ
世間で怖に「居候二亡杯日にはそつと出し」といふ川柳がある0これ
は他人の厄介になつてゐる人が、封鮨をする様を現はしたものだが、
匝に於いてもその逸りであつて、他の夙に依存しなければ著して行け
ない、その坪河が動いて行かない圃は、どうtても他の園に封Lて抗
免をしなければならない。自分の信ずるととを思ひ滴りに行つてゆく
ことはM楽ないのである.由分の侶ずるところを行ひ、自分の民族を
匂展さLで参る摘めには、自分で臼分の哨ひの付く、掛酌む持たなけ
ればならないことは、御存じの泡むである。
ところが日本は御承知のやうに、徳川≡百年の閉鎖潤をして、この
間はいはゆる臼紛白地の樫済を紹けて氷たのではあるが、これは水仙
荘五†三次を歩く時代の自給自足の経済であつて、これが難船がやつ
てきて、外幽の文明といふもむが、日本の文刷上りも如何に程姥の耗
いものであるかといふことむ初めて知つて、日本の民放は力か合せて
いはゆる維新の大熊を成し姪げて、開閉を致したのである.
爾来我々の陀先駆は、外勤の文明を探り入れることに労力されたの
である0
しかし、土壱の自給首足の耗済といふものが、庵めて壌耗の低い樫
済であるので、この上に照和文明を探り入れて参るので、だから、欠
頼り潜吻を筋、女物を簸べるといふ工業が、鼓となつて発出せぎるを
得なかつた。而も機械文明に附き吻であるところの簸であるとか、銅
であるとかいふものが、日本に乏しかつた馬めに、どうしてもこれを
外駒から買つて来なければならなかつか.
外掛からこわを賢つてくる積めには、光づ自分で作つたものを外凶
に繋つて、さうして之を買つて氷なければならなかつたのである。従
って日本の今までの経済は、貿易振興、緑川桝興を瑚如に出水た撫済
であつて、外鋭から吻な貝ひ、外聞に物む繁るといふことが、建前と
なつてゐた軽済であろ。それで外酌から物左硬つて脹れない。また日
本の物な貿つて興れないといふことになれば、日本の桝折は動いて行
かないことになるのである。そこで「居候三杯付にはそつと出L。」の
苦労を、今まで、鹿火なめてまゐつたことほ、皆様も約款知山泡むで
あ】る。
*
そごで、どうLても日本として、木簡に自分の山で持分山陥ひのつ
く27)
く、確済霊てなければならないといふ盤惰をもつて、浦望輿裟
耗変の自給自足樫済の建設に進んで葬ったのであるこかし何といつ
ても、明治維新以東外地E物象繁り、物を兄つて来るといふ軽済が立
つてゐて、仕組もせたかぅいふふうに出来てゐる。
殊に外酪との鴨休に於いて、いろいろな営業を誉んでをられる方人
の故も多い0そこでこれを日哲日足の経済に建直して自分のカで自分
の鵬が付いて行かなければ、日本の醍防の安全も糊し得られない.自
分の恩ふことも繁行が出来ないといふことは、能く憐つてゐても、さ
てなか〈これが1うまく思ひ洩りに行ほれて来なかつたのである.
ところが欧州に取乱が起って、しかもドイツとソ研が取申を始めて
欺洲だけに止すつてゐた戦火が、他界中に楓がつて参り、今日に於い
ては、世界の河鹿の囲も根でも感でも、どちらかの側に付かなければ
ならないやぅな状態になつてきた0日本もその御多分に洩れないので
あつて、そこで最近では御存じのやうに、日本の周囲は全〈塀b固ま
れてしまって、外的から物を貫ひたくても貫へない。覚りたくても繁
れないゥ本音に自分の力だけでやつて行かなければならない経済に浪
込甘れたのである.
こゝにど〜しても日本の今までの椰済を再絢成致し、也直しを致さ
なければならない時代になつて来たのである。その馬めに皆様方にい
ろいろな御苦労もして戦かなけばならないし、また今季での商繋を艶
へて敷かなければならない、御臓立を襲へて敷かなければならないや
うなことが、包つて来たのである.
†へて申せば、今享で温から材薦を貰つて、それから生まれる利子
でど〜やらか〜やら生活を掛けてセつた者が、薫失点で居た間は宜
しかつたが、子供の敷もだんだん琴享氷ると、たうてい利子だけで
は写って行くわけには行かない・さうなつたら、自分でも何か仕蛸を
始めて、収入を増し、一家の生活をたてゝ行かなければならない、と
云ふ#首心を超しで来るが、阜て何か伊卒をする虐めには元手が歩る.
挽から貰つ七財産を泣込んでも、なほ足bないといつた場合には生活
も我へてまゐらう・今まで革枚に行つて居られた子供さんも、或ひは勤
口を探して動めに出るといふや〜な彗口も垣る。すた今軍で寛潜めら
れたいろいろな上そ行の薄物も費つて、鰍を買ひ、域を翼ひ、肥料を
買つて田を排し、仕革をして行くといふ必好も転つてくるであらう.
日本の現状が全くその洩りなのである。今まで外印に物を契り、物
を貫ひ、それで立つてまゐつた挺済であつたが、駄々放でも時でも、
自分の力だけでやつて行かなればならない状態に追込まれるとなると
今まで日本が貯へたいろいろなカを吐き出しても、とれを作つて行か
なければならない。
ニ例をあげれば、今まで外酵に辞山出し一点つた綿鵡とか、生糸と
か、かういふものを作る設解、機械といふものを、繁り沸つても捜を
作む、鈎な作り、またいろいろな機械を作る撫槻を挿へなければなら
ない、といふ時代になつて水たのである。
またもヱつ間厨がある・現在の馳革は、資材の馳だといはれてゐ
る0いま戦零するのには、いろいろな兵許が準えてゐるので、】人の
兵醸さんを、取壊で敵に負けないだけの北沢な仕貯写さして肉はせる
盗めに、軌ち色々な篠砲を供放したり、剣を供給したり、押秦を供払
したりする環めに、l韓銃後に何人の人手が必好かといふと、これは
彗に依つていろいろ彊ふが、現在ドイツあたqでいはれてゐるので
は二人の兵士を立故に製腑さして、閑はせる虎めには、銃後に十人
の人が、その卓めに働かなければならないといはれてゐる.
(渉ヽ
今ドイツとソ研が同つてゐるが、これに四盲謁、五官薫といふ兵顔
を軌貞したとすれば、その兵膝を北沢に装備して、敵に負けないだけ
の仕舵をさして伺はせる馬めには、四千哉、五千拡の人手が葬るので
あるゥ
それだけの人が、本普にその馬めにだけ働かなければ、允沢に戦争
は出来ないのである。而してこの泄の中には、子供さんもお年寄もゐ
る.従つて→覿の中で、木薗に働ける方といはれるのは、人口の半分
であるといはれてゐる。さ与すると、四千萬の人手が要ると†れば、
八千宅の人が要る。五千萬の人手が#るとすると、−億の人が凝る.
殆ど働ける人の全部が御国の馬めに働いて頂かなければ、やつて行け
ないやうになつて来てゐるのである。
御簾放で麒召されてゐる方A、また親戚友人の万が鹿召されてゐる
方々、この万々に勤して、皆様方も只管御心配になり、或ひは慰同点
を作つて逸られたれ、樹同文を甘いて幾られたりなさつて屠られると
とと思ふ¢これが銃後の我火の務めであると信じてゐる。しかし、載
ら慰閏文を母日幾b、敬朗袋を母日伽逸りになつたとしても、押丸が
逸れない、剥が逸れない、瓜砲が逸れないとしたら、どう一式ふことに
ならう.芝厨を併せ、映斑も期せるが、その代り飯は受はせないと同
じことになると思ふ。
徒つて何上りも光づ、立沢にZ申がやれるやうに、物を供給する鳥
めに、銃後の全憶が働かなければならないのである.
ところが不断から、経済がかぅいふ仕出に出来て居るところは先.つ
ない。殊に日本の桝済は先ほども申上げたやうに、女物、潜吻と云つ
たものを作ることを中心として出水てゐて、大砲を作わ、銀砲を作り
創を作ると云ふやうな、工業を中心とした輔河には出水てゐない.
その意味からいっても、繹済の作り換へむし、働かれる万々の歯き
方も鍵へて行かなければならないのである.さ与しなければいま申上
げたやうに、教学は逸行が出来ない状態になりて衆てゐるのである.
さういふふうに、第一には園の安全を期し、また民族の教展を担る
馬めには、自分で自分の賄ひの付く軽済を立てなければならないとい
ふことが」つと、またいま申上げたやうに、規在の取申が資材取と官
はれるや与に、いろいろな武器が野り、兵器が野る.それを十分に供
給してゆく薦めには、矢張きういふものが出来るやうな、竃業の仕岨
にしなければならない。それでなければ取革の独行が出来ぬ.その賃
めには、いまいろいろな御仕事に俊はれてゐる人のカ、これを組替を
し、放き方を蓬へて行かなければならない、といふことがもう}つ.
それから丁庶−家でも同じやうに、必罫の額合には今までの貯へなり
を全部吐出して、必要なものに向けて行くと云ふ行き方をしなければ
ならない、といふことから、樫済の建前を欒へてさらなければならな
いことがもう一つ。
それらの理由に依つて、どうしても日本の従来の樽済の逮直しをし
てさらなければならないのである。これが、産業の再拍成を必要とす
る理由である。
しかし、先ほども申上げたやうに、今までの繹済がさちエ式ふ形で出
来てをらないのだから、その搾済の中に働いてをられた方々、いろい
ろな御仕群をして居られた方々は、今までの御仕事を斬らしい御仕群
に換へてやらなければならない場合もあり、その環♯に、いろいろな
間騒が生じて参ることは勿豹である。さ〜ほいつても、これはなかな
か恩ふや〜にきらない。しかしいま申上げたやうに、日本がこの際戦
中に膵つて、日本民族と云ふものが本営に生きてまゐる馬めには、さ
(が)
う崩丁小組称を断行しで参らなければいけないのである.
そこをしっかり抽んで戴いて、この裡河の再相械、転業れ再輪硫と
苧音のに、喜んで弛んで御地カを闘はなければならないと考へるの
である。
日本は古米衆碗制舵と云ふものを基にして放つてゐるから、とれを
表のこととしてお考へを叔いたら御耶りになると思ふ。子供等の馬
めに、子孫り岱めにと云ふことになれば青んでいろいろな椀牲を沸つ
て行くところが、日本の家族制度の艶はしいところである。日本の国
費弛もまた;の大きな家族であると■式ふことは、古来我々の信念と
して拍ゑ付けられてゐるところである・然らば執全経ぜた民族全捜が
その賭衆の雄攣り琉めに犠牲を桃はなければならないとしたならば、
堵んでその較牲に参酌して敷かなければならない、と信ずるのであ
る。
しかし家族に於いても、家族の=の犠牲には、粂馳がこれにカ包
含せて行くことは勿崩である0従つて日本の醜全魁が、その教展の績
めに、裔恥山由揃を毀行敢差ければたらない場合に、その馬めに談
つて鞋ずる不*を−大家族であるといはれる日本空地が、これを敏雄
してゐると云ふことも、また許されないのである。日本の】人力火の
御代桝は−日本史飽をむかして行〈馬めの仕堺でなくてはならないの
である0樅つてこの産業再相成に依つて生じる転地、或ひは負抱と云
ふものは、また日水生扱がこれを背負つて行くべきものだと考へてゐ
る0
これに対しては、政府としても、いろいろな方法な考へてゐる.
最近の漸附でも御存じのやうに、この英の臨時讃禽には、これに俵
つて生ザるいろいろな犠牲負抱を、政府としても領極的〃鹿蹴御環助
を敢†べく、決心をしてゐるやうな次鵠である¢坤り苧写うにして
政府ばかりでな〈、域ひは同業者の方々、成ひほ仲間の方々、これら
が矢張り臼分の身内の彗家族の−人であると云ふ御鮎持で虚栄界の
馬めに御手樽を畝つてこそ、この塊直しが甥行出琴るのだと、私共は
考へてゐる次鉱である・和も、今申上げたやうに、ますます定大にな
つて参る時和に際禽して、またその上、自分の力だけしか掬りになら
ない時代になつてき」、日本は持分の力で、良分山梓折を鵜つて行か
なければならない0それに依つて締靖を動かして行かなければならな
さうした時代になつて参つたPそこで一言も早くさういふ樫河を
作b上げなければならないことになつて来たのである、従つて皆様方
全部の力、日本国民全部の力が、このことに向つて媚小されなければ
ならないのであつて、その庶めにいろいろ犠牲に準芳火だけが、
牲を亀へば宜しい、と云ふのではなからうと思つてゐるのである。
の犠牲斗負ひ、負拍を員はれる方々も、酌の荒め、自分等山子供、
捕と云ふものを本常に教廃せしむる、光沢に生かして行く積めに、
憐
そ
千
白−
(紛)
分は苺んで意禁の再桐成に協力†ると云ふ−御斌持になつてやつて職
かなけかばならないとともに、またd本金膣山方乍も、その馬めに弛
んで、意渠再編成に協力される方々を、助けて行かむけれげならな
また両全絶としてもこれをお助けする決心をもつてゐる。かういふ
形になつて、初あて日本の醒防の安全、この時局を魂切る力が出て
来ることと存ずる0時局はだんだん切治して革つた。職場に働かれる
方々ばかヶで社く、いまも申↓げたやうに、l人の兵士を女流に製舶
をして粥はせる馬めにほ、十人の方々が1その環めに働かなけれはな
らないのが、今の晩学である●
確つて銃後に敬いて鍬を持ち、和を桝される方々も、また工機に於
いてハンマーを摂つてをられる方々も、お店でいろいろな品物を配給
tてをられる方々も、それぞれ柏手の閉の良夫、職工、渦人と毎日闘
ってをられると云ふことを、自梵して敷きたい.
侶令和丸の輩今に餅つても、我が閲の農夫の鍬の一振りが、柏手の
駒の農夫山鍬の一握りに負けたならば、欠媚り負けるのである。また
柏手の閉の噸エのハy寸−の一頻りに負けたなら、欠娼り放けるので
ある。それが現在の教学で怠る。
捉つてこ口も早く8本の全部の力を緒施政して、日本が本営に自分
の力で自分を馳つて行ける輔済を作つてやらなければならない、とい
ふことを、出現して軒ぎ、これの薦めに進んで努力するといふ和束持
になつて、この再編成が完成し得るや〜にして帝きたいと考へるむで
ぁる。 ハ十一月十二日放遜)