婦人のつとめ
  輝く「埼遭の章曙」へ
(9丁)
 御村人方の何秒ほ普伐でも敬節
の鮫でも、非常に大切なことはい
まさら申しとげるまでもないこと
でありま†が、未曾有の卯常時局
の今日、この戦中を職ひ接〈ため
には、軌婦人方のおカに挟つとと
が。いよい⊥必黎となつて多々ま
した。
 多くの御家庭では、抑主人が出
征されてゐるとか、お兄さんが出
征されてゐるとか、またお子さん
が出征されて第一線に立つてをら

れることと存じます。
かうした場合に、第一線に立つ
てをられる方々が、後裔のうれひ
俊の心配がなく立故に活申するこ
との出来るのほ、柴に御席人方の
力によるのであります。
 或ひは榊主人に代つて職業吸線
に立つとか、または兄さんに代つ
て一家の枚杜ともなつて働いてを
られろ方々も、相普をられること
と存じます。中にほ手井となつて
第一線に立つてをられる方々瑞少
くなく、女性として塀闘紳故にま
つられてゐる万々もあるのであ¢
ます。

       )へ
 また大換の故地で御由のため撃
と散られた勇士の漣族の方々の中
には、或を守¢、子供さん方を育
て上げるために、一生を働く衆惜
 で新たに出費された郷帝人方が多
 いめであります。
 革艶がほじまりまして以来、か
 ウした笹の桝挿入のはたらきに
は・頭の下るものが故取りなくあ
ります。
 またひとり帖征軍人の御家族ば
かりでなく、一般御家庭の御節人
も、銃後の御革公のま・Jとを譲し
てをられるのでありまして、かう
して非常時になればなるほど、甘
木婦人の舛偲を頚押してをられる
ことは・まことに掛母しい東鶉で
あ勺ます。

       址H
 挙結スのやうに今日の政争では
前線も銃後もまた職坤も家産も檻
別はないのでありまして、故争が
長くなればなるほど、そして時局
が東大になればなるほど、この銃
後のつとめは大きくなろものであ
 りまして、ことにその中心になつ
 てゐる御挿入のカに上ることが、
 大へん大きいと申さなければなり
 ません。
 御衆知のやうに、さき雫、愛嗣
 帝人骨と餉防腑人骨、それに斬倉
 持人†その他の狩人馳睦が、−掩
になつて大日本婦人争が生れでま
したが、これは蚕するに、この非
常時に普つて、会頭の御挿入方が
うつて}丸となつて銃後の御奉公
に毛して行かうといふに外なりま
せん。

      ×

 義る七月に厚生大臣がこの政府
の時間に「婦人圏憶の譜足」と額
して。つぎのやうにお話をされま
した。
 r研園鴎の目的といたしますとこ
ろほ、帰人をして、物心両面に亙
b家庭挿入としての篭鍛錬を虫
げしむろにあるのであわまして、
我が同伴統の樺潰に徹し、身を修
め蒙を舛へ、並んでほ威祭政甘に
東猷し、日本国民の中敷を占める
#人が、如何に時局が永びいても
左折からほ瀬野に蘇叫を血藷りない
だけの、心♯へと特赦の世鮨をl
 へしむるにある】
 と申されてをります。
 我が同の侭統とする頼温、つま
り婦人としての慈は曹も今も鍵り
のないものであります。
 ここに菅田徽除が妹に幾つた手
折の一節があります。これは枚険
が棟匝の中から妹に出した手紙で
情愛のこまやかな稔換の人となり
の}面が歩み出てゐる文章ですか
ら、前澄も一緒に申し上げて見ま
せう。
r†一月l一十七日と日づけ御座候
     タ ⊥小ソ一−
御手紙併に九年母みかん、かつを
ぶしいともに昨晩柏とゞき・かこ
ひ内はともしびくらく朕得共、犬
がい柑わかり條まゝそもじの心の
中をさつしや勺なみだが出てやみ
かね、夜者をかぷりてふせり畷得
共…・⊥などいふ前文がありまし
て、つぎに傭人としてふみ行ふ荘
をさとしてをります。
 「凡そ人の子のかしこきもおろか
なるも、上きもあしぎも大てい父
母のをしへに上ることなり。洗中
弟子は多くは父の教を、女子ほ母
 の数を受くること†た其れ太かい
 なり。さりながら、男子女子とl
(】持)
 に†才也下吐守の鞍を莞くる‡一
 し蛙多L。故性父扱おごそかに母
はしたはし、父は常に外に也てや
は甘に内にもればなり。爺ば予の
ギ女手芯へかしこきと点ろかなる
と、上きと払しきと)に材する斯
なれば、母の歌ゆるがせにす¶か
らず。併し英数といふも、†才以
下の小鼻の♯な九ば官業にてさと
すペさにあらす、只正しきを放て
かんずるの外あるヾからず・」
「糞を敬ひ、井鈷に‡ふるは大切
なる†にて鶴たる着の行、これに
過たる‡なし。」
「群粥を簸め卓ぶべし。大日本園
と申す軒は辞節と申革て、紳々様
の開きたまへる御節なりゃ捲れば
この食き御幽に生れたるものは・
発と鹿となく、紳々壕をおろそか
にしてはすまねことなり。」
十親族と膣くする♯大切なり。最
も犬てい人の心得たるヰなり。従
兄弟と申すもの、兄弟へさLつr
いて親しむヾき事なり。」
 かやうに非常に駆ろにをしへ、
 さとしてをり††が。これこそ、
我が鞠の仰紙とする痢濃でありま
 せう。

     *    *
 】雪丁¢時になりずしても、挿入
としての心熊へや、その任♯も・
この我が同の撫統とされる締費を
ふみ行ふことにありまLて・これ
上り出るものではありません。

   米
 衣磨を守る婦人は外に出て大切
な仕事に檻ふ柳生人や、お子ざん
をはげまし、元菊づけますととも
に、家にあるお子さんを立泥に育
て、快かい、粟しい家庵を築き上
げて行くことが、助時下の好人の
逼でありまナ。殊に哉研が長くな
りますと、鹿瀬大切なのは周民が
心の上でしつかりして緒びつき、
ガッチリと灘んで行くことであり
†すが、Z人のもつやさしさ落ち
っきこしそ、とも†ればけはしくな
るお互ひの心をやはらかにし・ま
たいらいら†る末寺を和やかにす
る翁むでありまして、幾珂の一著
大♯なとさは、かうした婦人の役
舶は、たいへん大官いのでありま

 それから教学になりますと、着
い男の人たちは第一線に立つて活
碑し、職堵の万は忙しくなつてく
るものであります。特に今日の取
替では曹のやうに普段貯へられた
武券や品物で助ふのではなく、銃
後の生蕉力に上つて勒ふものであ
りますから、戦時下でほ国内の人
手が大坪足りなくなつて来るもの
であります。それですから、人手
を補ふため、購入の方に職場で働
いて頂かなければならなくなるの
であります。この切掛弊報留の制
度がきめられ、十四裁から二十五
蔑までの帝人で珊身の方に働いて
頂くことになゎましたのも、また
用尺皆弊鵡肋として婦人のさ加を
呼びかけてをりますのも、これに
ょるものであります。家庭の勧用
軒勤める必黎のない方々は、革つ
て職者について破♯空苧してカー
に珂中盤をLて珂きたいのであり
まrす。

      )へ

 このやうにいまの聖Tでは、府
人のもたれる役目や地位は、非常
に大‡なものとなつたのでありま
す。
 皆♯も新和†ラクオなどでお舟
りになつてをられま†やうに、い
ま日本は一香大功なところに立つ
てゐるのでありせす。
      ¥
 職顎に幼く郷人の方も、家庵を
守る唐人の方も。この歯雑な時局
を策り切るために、
 日本婦人のもつ、心の葵し写と
領しさとその中に包まれた強さに
上って、心む協せカを協せその弛
めを十分に果されまして、銀のせ
になつて子孫から戚甜されるやう
に致したいと存じます。
      ハ十月四8放漫)