自給肥料の対策 農林省農政局長 岸偉一

 牒が絨つては革が伯楽叫とは、古くから謂ひならされてゐるところ
であろ。架に戦中に勝つ馬めには食紐が極めて正大であることほ、故
に十分お判りのことと思ふ9
一口に鼻規といつても、それには米、奔、鵠及び豆軒のやうな頻産
物、牛肉、腐肉盈び牛乳、卵のやうな帯解物、及び肴煩のやうな水窪
物等一同々あつて、何れも茸頭である。
 併し何と云つても米や歩等は主要食撫であつて、最も大切なもので
ある。而して之等の漫産物を埼虐する摘めには。肥料は極めて大切な
材料である。肥料の大切なことは、弟村の人々は既に痛感せられて
おられるところであらう。
 邦倉の人々も、最近桝組楓払等で、肥料の必牢なることを粗放せら
れてゐることと思ふ。碓つて烏産物の増産に対しては先づ以て肥料の
供給を些官にしなければならない。肥料には、市頓に販貸せられてゐ
るいはゆる金肥、即ち敗軍肥料と、肥料を使ふ人が自分で製法†¢。
いはゆる手間肥、釦ち自給肥料とがあろ。良く話に滞く硫安即ち銑放
アンモエア、石水盤架、過輝購右凍、硫酸題化カリ。大豆油粕汲び魚
粕噂はすヾて定率な金肥、すなはち版発肥料である。そして政府に於
きましては、之等の壬葬肥料の供給増加に射して几ゆる努力を沸つて
ゐる。
 併し種々な拭に日むを得ない事情の積め、その供給は思ふやうに行
かない。特に過鱗酸右荻のやうにその壷な原料の大部分が、外開か
ら輸入せられてゐたもの。及び硫願カリや盤化カリ等の加里肥料のや
ぅに、そのものが外閥から供給せられてゐたものは。その供給が非常
に熊屈になつて釆たことは、管勿にお剃りのことと思ふ。このやうに
肥料の供給が淡づて兆たのを、そのまま放つて使いたのでは・之が直
ちに農売物の生態に響いてくるから、績も見逃すことが川死ない正大
な山岡顛である。

    ×

そこでこの肥料不足掛旅が東平な開放となる押である。而して肥料
くユ&)

不嬉野鎌は先づ鵠一が士頴を改良して、その生産力を増挙することで
ある。
 飢二諒凡ゆる吸物を活用して、手間肥軌ち山給肥料の生琵影檜加†
ることである。
撃こは肥料の使ひ方にl段とエ犬を兆らし、注意を沸つて。その能
率を埠渡して糾衆ハだけ少い肥料を以て、出来るだけ野山な澄産物を
生箆†るやうに努力することである。郎ち土壌生産力の檜準自給肥
料の替恵及び施肥の故事の三つが潰大事件である。
 従つて政府に於いてほ之等の事項に射し、和営な綽贅を似て種々な
施設を払じてゐる。すなはち鰊肥什物の種子の生能及び配給の助成、
線肥作物の娘盾菌の堵養配付助成。堆肥製造場の設渾助成、鹿家の夜
滑稽の設定助成、畜舎の蹄の改造助成、都市蕪尿の貯溜糟の建設助成
施肥の標準の調査、施肥の遁準の設定、指給肥料の改良相蕨及び施肥
法の改善に粥する試験研究及び指導督励、並びに典同‡故地毀の助成
等が之である。
 之噂の施設は、ただいま的係各方面の協力によつて、順調に奨行せ
られてゐるが、さらに今後一層の協力を帝濯する。ところが食枕の岡
題ほ名主東大を加へてきた9然るに桝にらず肥料の見透は紫汲を許さ
れない。そこで薮の播付を間近に掟へてここに肥料不足封鮫として、
象帆虻〓;の浬劫が行ほれんとしてゐる。

    ×
 その一は酸性土礎の解消である。大浜の巣作物、特に赤は酸性土為
に不適営である。ところが我が国の桝地には拙者酸性土捷があつて、
兵作物の生育が啓ほれて、糖焦が行はれ得るに拘はらず、糖産が抑へ
られてをるものが砂くない。昔」でこの酸性士革む改良することは、
盤売物の増産に極めて大切なことである。
 訊して酸性士境の改良にほ、前夜ん維m†ることがぜ弊∈あるから
盤に帝国鼻骨と金印購買敗禁絶合聯合歯が連携主唱Lて、ポ叔の合州
的確用に上る酸性土壌の幌消在勤が行ほれんとしてゐる。各位の榊協
力を跡望する次蹄である。

    ×
 もうてりは、全国の市や呵の皆さんの家庭で出水る木次を集めて、
農村に渡して放きたいといふ在勤である。前に述ヾたやうに硫酸加里
や建化加里等の加鼻肥料ほ、大部分濁漁、フランス。アメリカから輪
入せられてゐたが、最近之が怜入は穐望となつた。ところが各家庭の
七輸や火鉢や穏や焚火噂の木狭ほ、非常に有数な加泉肥料である。典
簸では既に∵生懸命集めて利用してゐるが、さらに都合の之時の木次
を集めて・鐘村に渡して食欝椅産に一役賞つて戚きたい触官を似て去
る十月一日から帝岡島骨が主催し、大政翼賛骨、壷莱帆合、大日本青
少年甲愛甲挿入曾、大日本覿防婦人禽及び肥料協曾が協力し、農林
省・余輩院、情報局、内教省、文部省及び厚妓省の後捷を得て全図の
帯と町に於いて木狭供出堀化運軌が架行せられてゐる。やがて市や町
の常局から町内曾や隣保封を通じて、種々榊相鋲があろことゝ苧る。
 どうかその指摘に従つ芋一人換らず貿行して、この湿勤が甘期の成
績を収め得るやう御協力蹄ふ次第であろ。夜を扱いて植木に花を嘆か
せたのは、正直爺さんのお伽噺であろ。いま木衣を集めて集村に決し
て、食捉の繋を緒ぼせるのは、時局下閑民の汝教鞭い拘革公である。
                       (十月二日放逸)