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南支那の建設を語る
 支那も北と葡では、気疾風土は
もちろん、人情風俗の粘でも、お
互ひに非常に央つた憤激を持つて
をります。亡の北と稀の相毎につ
いてはある革渚の木に、つぎのヰ
ぅに犬挺面白く_かれてをります
かち、瀬介して見せせう。
二つの支那は北部にある。ここ
は雨が少い、苧ちな土地は獲いが
しばしば刑虐に鼻はれろ。南の
方の米と水巧の農常に掛Lて、こ
の北部の牧背は、稗やら帯柴、三
等が本位である。南部は草本が上
く哉って秋色であるのに比ヾて、
北の方は茶褐色であり、一年中朱
色い土ほ−J勺を敬る。郡河の筋や
薯カの代々に、荷意髄Tや駄梧、牛
が承る。人口は多いが稲都ほどむ
ちが¢鵜つてはゐないし、狩も輝
い。人の背丈推古く、有事も戟→
さ九てゐる。此の北支那こそ孔子
やその他の曹の奉書たちの出た憐
であり、者典爪粥である」
「もTつの安部は南部にある雨の
多い土地である。丘が多くて少し
でも平なところは放すところなく
耕されてゐる。報河と瀬田と楷と
竹敷と慈の炊い瀧特に群らがつて
ゐる人々の土地である。ここでは
甘の低い人たちが多くの地方粁を
使つてゐる。北部が保守的なのに
くらヾて、この鞘支那ほ象進的で
あり、革命的である。】
といふことが♯かれてをります。
 かやうに安郡も北と頼では大器
藤つてゐるのであのま†が、北支
那の北方人に「北方人の思想」が
あるとすれば、南安部には南方人
の思想があるのであります9南箕
郷の庶末が、耕文を中心と†る同
氏港の卑生地であることはよく和
られてゐるところであります。
 で拭この籍支郷はいまどういふ
ふうに虚即祝されてゐるか、席末や
正門、糾頭、海南島を中心にして
申し上げること仁政Lます。
  斬らLい舟東
 この内先づ群丈から申し上げま
すと、昨年の五月に席末省政府が
南京の軒民政府の地方政府として
生れ出ましたが、次いで賦州〔こ
の贋州といふのは鯖瀬の別名であ
りまナが)鹿州官公舗は。市政府
の名のもとに。師8を}新して栂
表し、共に斬らしい席末の地位に
向つて進んでをります¢
 現在席末で仕ヰをしてゐるエ♯
は、製紙とか、布や砂糖の製弘、
またガラス敏也、氷をつくる】砕氷
飲料水の樫也、睦草や遊などの工
場であ勺まして、この殆んどが♯
鍵の前⊥りも帝山の生鉄石を挙げ
てゐる状態であります。
 また手工菜の復興も大熊な弊ひ
で、竹細工とか衝突や鮒の打直葵
などは特に盛んで、石地や電気雑
兵の製法なども、攻酌に以前のや
ぅに盛んになりました。楕耗もせ
た括澄になり、大きな鴻店がつぎ
つぎと描むひらき、現在稚店の欺
(亡き)

は一堵戸以上をかぞへ、殆んど以
前に難らない脹かさに立ちかへり
ました。また昨年の十l月には席
末省銀行が出来地元金触の復興と
費屁に衰厳してをります。さらに
また文化の方面でほ、席末大畢が
復招致しましたが、日本据の教育
槻陥も魔州日照畢枚噂を中心とし
て活濠な活動を続けてをり、宗教
方面でも国瞭併数協甘辛南安部が
設けられて民衆に呼び掛けてをり
ます。
  竣展する屁円
 つぎは羅門でありま†が、眈門
ほ御衆知のやうに董沖と向ひ骨つ
て・姦瀬海映に摘む招鹿省の都甘
であります。この正門が斬らしい
秩序の逸設に拘つてから既に四年
繰ちましたが、現在産紫や商業は
以前をほるかに凌ぐ程の苧畏振り
 であ¢ます。正門市だけで、米粉
 製造業が〓十三、印刷粟が同じく
 二十三、潤醸造業が二十〓、香料
 担鎧紫が十、ぜ油難治焦が七。余
箔や銀箔の製池業が九つを敗へて
をり、その外重態莱、皮革の
塾漁業、簸銅#兵の漑逸葉、化粧
品の製造業があり、日ぼしいもの
を給ひましても、ざつとこれくら
ゐの故に上つてをりますから、相
常の艶畏振りだと申さなければな
りません。
 併し、斬らしい直門の撞設は、
かうした商工業の整畏よりヰむし
ろ壷築霊園拳に霞きを狂いてをり
ますご刃米産門では背から経済上
は掬立出来ないで、華構、つまり
海外に出かせぎしてゐる支那人の
ことで†が、この華僑から幾つて
くるお金に上つて生活をたててゐ
たのでありますゃ併し、斬らしい
正門は、この華僑ばかりに演ろと
 いふやり方をすてて、稟を盛ん
 にし自給自足する政策を執つたの
 でありまして、先づさし営つてほ
 水尭策と農薬の鹿瀬をふやすこと
 になり、ニ山簡年計琵を立て、着々
 と賀行に移し、すでにその成約に
 ほ柏餅見るべきものがあるのであ
ります。
 地頭の仙礪興破り
 つぎにこの妓門から海岸に治つ
て帝に下りますと、やはり帝支那
海に随んで仙頭がありますゥ池萌
ほ既末省の東部の山中心地であり
新らたに生れ出た池頭市政府の下
にあつて、すでに十分な復興振り
を流してゐるのであります。
 擬済方面を見ますと、先づ商業
の祝典が逸♀く行はれ、日本の商
店も池出してをり、糾覇の商業は
注目に供するものがあります。工
業は商業にくらべま†と、少し出
足が遅かつたのでありますが、昨
年の下年期あたりから次鶉に盛ん
になり、手工粟が盛んで、特に扱
ぎかがり細工は、事典の舶よりも
伸び、毎月の怜出高は六十革刃以
上にも義してゐるのであり漣すゥ
 このほか、陶精や布。潜、氷。油
などの製造が行はれてをります。
準備が逸るお命も、昨年頃から役
 柄し、睨在では年月四封草花から
五宵革刃に治してヤりま†が、こ
のことは由洋の準備が仙祓の税制
をよく認めたために外たらないの
であります。
  伸びる海南為
 さてつぎは海南島について申上
げます。海南島が新秩序の捷滋に
向つて進んでから、早くも準一由
年中になりましたが、政治や耗済
文化の放牧工作は次第に弛められ
て衆ました。
 海南島は章物が大雄生かなとこ
ろでありせkす。餅添物としては戎
やタyクスチy、脇、金、水銀な
どがありまして、それぞれ鯛邑の
池鮨が進められてをり、その中に
はすでにもほや望に練り出した
ところがありずす。
 また共産助としてほ米やゴ▲、
甘蕉、汝、コーヒー、落花生、鹿
西瓜などを重し、特に米は頼も漣
頼もともに採れますが、相はこ年
 に三岡以上も換れるのであります
さらに林業や水蛮も有崇で、水
(ゴ4ヽ
兼としてはqが相叢山瀬れて
ゐ††が、近海からは魚がとれ、
特に州か群山撲れます。
 交通方面ではまだ銀護はありま
せんが、荘賂は転向鳥を一まはり
してをり、乗合自動写や挨馬手が
鹿つてをり††。こ¢牡馬羊は海
南島特有のものであります。洩付
槻舶も#熊前ほ海口に粗末なю」
があつたに池ぎませんでしたが、
現在では均際щC温付合敵の手に
上つて、斬らたに故紙を備へつけ


てをり、】昨年のよから仕‡をは
じめて活坤を炊けてゐるのであり
ます。
 かやうにして、清箕郷でも、北
箕郷や煮汁また中支那と並んで、
斬らしい秩庁の義、東亜新改序
の逮鞍が一日18と費に弛めら
れてるるのでありまして、†こと
に力強い限りであると申さなけれ
ばなりません。
     〔九月二十五日政義)