侵略されたイ一ノン
 去る二十五日イギリス笹とyゲ
イエート軍が一緒になつてイラン
に残入したことは皆様新聞やラジ
オで卸乗知の通りでありま†.
 イランは最混までペルシャと呼
ばれてゐたところで、文ほアフガ
エスタyと印度、西はトルコとイ
ラク、北はyヴイエート聯邦、南
はベルyヤ発とオー†y稚に臨ん
でをります.
 このイヲyの頭株は、約百六†
四古平方粁といはれてゐますから
我が国壷の二倍牛に上つてをり
ますが.人口は僅かに千五官井態
度に渦ぎません.
 団の殆んど大部分は砂漠と満席
でありますが、今日の教学に泡封
に必中な石油が浄山とれますため
イランの尭築は極めて食8されて
をります。この石油はイランでは
年に八百酋トyから一千鳥トン革
もとれアメリカやソゲイユー†、
グエオネモ’等に次いで他界第五
位を占めてを々ますが、この石油
嘉川り出bてゐるのは、イギリス
のアン〆P・イラン石油甘批であ
(渉】)

巾まして、イギリス山資本は既に
早くからこのイランで−番人切な
石油といふ敷革に喰ひ入つてゐる
のであります.
 この石油の外に、イヲyにほ戎
や石浜、銅、錯、†ソガン、一;
ケル等が相歯あろといはれてをり
ますが、鍵山策は石油を除くと未
だ教義してをりません.その他農
産物として蓼斯や綿花、阿片.墟
草専を重してをりますが、織物栗
は青から名高く、とりわけペルシ
ャ観毯の名は世界中に知られてゐ
るところです.
 イランは、かやうに石油といふ
犬♯な蕎仰を持つてゐるばかりで
なく、地魂の上から見ましても大
野正夢な場所にあります.と申し
ますのは、このイ’ソぱイギリス
にとづては、インドへの漁り賂に
普つてむりますが、またツゲイエ
ートにとっては、印度洋への出口
 にあろからであります.
 樅りてイギリスやソブイエート
 の虎略ほ決して今治まったことで
はないのであ巾まして、今からざ
つと二百年樺前に、ロシアと取つ
て敗れてからといふものは次節に
ロシアとイギリスの努力がイラン
に入つて来たものであります.
 常時ロシアの有名なピークー大
帝は、
「ペルシャへつまり現存のイラン
のことですが)このペルシャを盛
んにすることは、ロシアむ亡ば†
ものだjとさへいつて、穣端な駈
迫を行つたことがあります.ちや
うどこの頃ほ我が国でほ櫨川入代
牌軍の青宗時代に常り、洋‡を輸
入することが漸く一部許された輿
であります。
 第一次世界大戦常時も.イギリ
スとbyアほ、このイランの中立
を度して軍漁を逸りイ’ソを占領
したものであります.そして大戦
後イギリスは益1イランを脈迫し
 ましたが、このときに常つて、一
 兵卒から上つた一士官がペルシャ
 民族の濁立を目指して立ち、首府
 のテヘヲyを繰りとりて政府をつ
くり、イギリスとロシアの勢力を
巧みに利用して、洩に泣代イラン
の恭磯を開いたのであります。こ
の一士官こそ誰あらう、現在のイ
ラy園王パーラゲイ良帝でありま
す。
 パーラブイ畠帝は、英傑の聞え
が高く、イランの復興、イラン民
族の讃置にカ穀注ぎ、その政治に
は見るペきものがあつたのであり
まして、昭和十三年にほイランを
南北に堆く成通が態けられました
が∵」の絶造はペルシャ雅から北
の讃海に題するもので、その妊長
は≡苫五†盟に上つてを〜ます.
 また外交上は、昭和†二年には
トルコやイラク、アフガ一】スタy
と末万四簡南国盟を緒び同数捷の
同と親巷を周り、アジア人のアジ
アを作るために大きな足取をす†
 めて衆ました.    ヽ
 併し軍備の鶴では大した妙力は
 なく、兵力は†書から二十萬程度、
軍用執は二冒助からlニ宵機転正に
 姐ぎないと見られてをり盲†.
イギリ広とソゲイエートの商事
は去る二卜瓦Hの欄、全く不意打
にイランに桜入したものでありま
†。イランは唯今申しましたやう
に鐸汲も少く、武浄も†分だとは
申されませんから、到底、イギリ
ス堪やソゲイエート革に太刀討す
ることは出来ないのであります.
イランだけの力で傑入して衆たイ
ギリスとソゲイエートの宰除を防
ぐことはまつ留まれないことであ
りまして、早くもイヲyは中学中
止を申入れたと報ぜられてをりま
す。
 さきにイラクを血境に上げたイ
ギリスは今またソグイエートと呼
膿して撃一無二イランに度入し、
最後まで中立の楚を守つて東た
イランの拘立をふみにじらうとし
てゐるのであります。これがイギ
リスのチャーチル首相がいも「民
主ホ我のための鞄ひ」であ巾、ま
たルーズグエルト大統慣のいふ、
 〔正鼓の取ひJであゎま†.これ
(きсm
だけを見ミしても、英、米のいふ
民主主♯とは、英米だけの民主主
義であり、英米の正我といふもの
は、英米だけの利盆であることが
ハツキyとなるのでありまして、
かういふ考へは、私共の到底撫餅
することの出水ないものでありま
す.
 ともあれ、さきのイラクといひ
今度のイヲンといひ、末洋人の東
洋を作るため.民族の野属、岡の
掬立む長い間叫び、一歩一歩その
翔想に近づいて衆たにも拘らず、
イギリス、yゲイエート雨閤の侵
入に上つて、再びその堆冊を挫か
れたのでありま†.
 放火は今や全く西南アジアに及
び、ヲーPツパ取申の舞峯は、い
ょい上似て犬仕掛になつて衆まし
たが、このことは私共としていは
ゆる向ふ浄の火‡として見てゐる
ことは出来ないものがあります.
 これらの‡椚が教へることは、
折角正しい考へ方をもつてゐまし
ても.その甲に士カがなかつたな
らば、その正しい考へを溌現する
ことは出来ないといふことであり
ます、そればかりではなく、溌力
のない串さのために押しつぶされ
てしまふといふことです.
 古くからの歴史を見ましてもカ
のない閥、備へのない閑がカのあ
る同の前には朝の虜のやうに姦し
く敗れ去つてしまったことは一々
数へたてることが出来ないほどで
す.
 私鵜は堵柄の有繊さのため、一
度も外留に侵されたことはありま
せん.併し私共は、今文雄に新し
い秩序を立て、長い間西洋の安魔
の下に嘲いで来た茶托の民族を解
放するといふ大きな役朝をつとめ
てをります.それだけにその仕事
はたやすいものではなく、外から
の凪替りも強いことは申す績もあ
りません.
 今更のことでありますが、‡カ
のない閑々の有様を見るにつけま
しても私共はい上い上まナま†我
が革の資力を軍+の上でも、政治
や緒済の上でも、さうしてまた思
想の上でも、強く強くしなければ

 軟 来

 九月の瀬をきいたせゐか、朝夕
ほめつきり涼しく.†だく虫の曹
にも、一しほ秋の散れが感ぜられ
ます。戴づかはれてゐた二百十日
の袈も、どうやら平揺細事らしく
お米の出来もまつ大丈夫、だが併
L時局の平行きほ容易に熊取を許
さないものがあります.何時一息
来ろかも知れない蛮襖橡です.
       ∨り
 けふはちやうど、鼓川戦争が勃
重してからまる二年です.珂伊の
飲料新秩序の義は成功したもの
の、去る六月以来つひに狗y開放
となつて戦火の鍵毛は更に大きく
何時けりがつくかち上つと戦意も
ならないと浮く感じる東鶉であり
ます. ハ入月二†入甘放迭)