野菜物の配給統制
    諜l鮎朗西 村 彰一
 手頻以来・我々はいろいろの物資の憫組で稚々の確放を確てきまし
 たが・近輿でほ生活必帝晶ででもいろいろと苦労をしなければなら虫
 †Iになづた・魚や辞秦捗↓その偶に洩れない。魚や好薬物は我一の
日々血感活ばば←でぼなら拍ものであり、しかも腐巾易く永持ちのし
ない深めに・旬日管最入れをし・荷を為り出し、市場でも冬日毎日
聴引をし・一般の御家庭でも日々宰るものを苧言いふやぅ誉…物で
あろから、作る人も使ふ人も昔弊が大衆なわけであるご光来我が国性
急や野蕪物には大衆高まれ・魚や貯残物で困ろやうなことはないとい
ふやうに考へられて衆たものだから、孝艶が始まつてからも、昨年く
らゐまでは徐り一般の間罷にもならず、生蛮や配給についての野策も
非常に執れてゐたやうな有様であつたが、衝乗知の漁り昨年の春には
魚や野菜物の値段が高くて・同氏の消費強酒を革浪†ろといふ開祖が
な¢、また今年になつてからは−魚がない、野菜物がないといふ間薙
が菅・殊に野菜物にづいてほ・先月の上旬以東出娼りが非懲に≠く
入官昏り前に行列を作らなくては好薬物も貫へす、央い時佃をかけて
やり鳥子〓ツ、胡竺タといふやぅなことが、相曹長く丸いて、l
叔の甘仙毒にも大熊神速惑を掛けてゐる.野菜物の出廻りが‡泣かう
いふ事情になつてゐろことについては・いろいろの畔四があつて、稚
頑の憩い煉件が五なり合つたのであるご蛋七月輿は野菜物も果物t
貯叔舶で秒い時期である.野菜物では茄子、胡瓜、トてなど軟親議
蕪といふが・親いもめが大部分ですし・果物では桃とか西瓜くらゐの
ものである・七月七日から†物の公定恍格が少し下つて、中央と地方
の公定償格の調挙が多少手間どつてゐた鵬伴で、一寸出廻りが泣つて
ゐたところへ・あの長雨と時々のさ弘雨である.産地の水巻ほ相曹q
どいものだし・義い野菜材などは花が落ち、娘が成り相せの教官を柔
つた・このやぅな事情で出現りが意くなつてゐるところへ、渦女地の
料理店、小文商などで・ばらぽらに直耗蛮地へ呆出しに行くものがも
つたことヽ】投の家庭へ公平に野蕪吻の頼らなかつた;の取因で
く1さ)
もろ.また放逸の粥係加〕化んだん扶屈になつてゐることもまた大きな
席因である.
 典林省では窪地の府聯や共曾を督粕し、極力帖廻りを促し、滑費地
の甘果曾牡に共同して買出しをさせ、また際遜鵬係の協力を得るなど
いろいろ應急の措旺を探つたのであるが、茄子、胡瓜、ト▼ト、西瓜
などの封い甘物は雨で非常な被者を受けて、これまでのものは−寸見
込はないが、ジャガイモ、カボチャ、クマネギなどは十分なだけ出廻
るやうな手首をした.最近の事柄は以上の洩りであるから、一般の卸
家庭でも十分御領乗を厳つて、今月の下旬あたりから別の物が出担つ
てくるからここ営分はある物で我捜して職きたいと思ふ。
 併しながら今生のやぅな青果島野は出来るだけ避けなければならな
いし、天候その他の関係で出来の諜いときでも.少いながら公平に、
適正に配給山東るやうな制度をこの噂是非北てて硬くことが必黎なの
で、幾林省では先頃いろいろと研究してゐたが.生産の万両は滑毅の
閑巧璧の関係をも考へて生薩を計登的にする.すなはち鞋坪な野
菜、兵物の盤熊を抑へても、必葬就業などの弦醸を接付するとか・軟
解禁などは桝来るだけ消費地に近いところで蝕まを確保ナるとか、
いろいろの封簾を進めるとともに、この捺印紛の親正を嘲る侍め配給
の皇面駒統制を行ふてととしたのである.もつとも配給の統制といふ
ことについては、雑務とも凍る程度のことはやつて歩つたのであつて、
昨年の七月以来随時措辞法に識づく背架物柁約統制洩朋といふ沸別に
ょり、帝国典曾、荘府相集曾に六大都市などに対する出荷の倒営を行
はせて衆たので量るが、これは統制の品目も少く、唯囲も炊く、特に
統制のカ萌がかつたので、棉1もすると十分の赦果を琴げることが出
水ず.また挽鰍が部分的であつた馬めに.軌撒から執れた血芽から払
制が崩されて頻ろ】傾・ぎさへ見えた.
 然もこれは配給統制といつても出荷だけの統制であつて、油井地に
放ける荷受の万両、荷受をしてから一般の家庭などに配給される方面
については、全然統制が行はれてゐなかつた馬めに、箭給の♯偶に少
しでも鍵化が起ると、現紛が混乱し、配給が適正に行かないことがし
ばしばあつた.そこで今岡出荷及び配給を余所的に統制することとし
之が濡めに研に印家総動員汰に基づく生活必博物資統制令を棍嬢とし
て青果物配給統制親則といふ農林省合が制澄せられ、轟る八月八日の
官報で公布せられたのであるが、今後はこの洩別に上つて配給が親正
に行くやうにして参るのである8            ●
 親則の内容についてはいちいち速「ないが、農林省としては、地方
床のほか農曾、出滑囲飽などの意地万伽.市、市場学者、小繋商など
の消費地方南.錆鐙省などの除遠方街の協力み得て、権力呪紛の適正
卿滑を佃つてゆくつもりであるり
 歴戦物などの配給の悶係は、物が物であるし、何千京の生産者とl
偲の給費潜を結び付けろ仕串であり、関係薬老も大艶多くなかなか面
倒が多いと思ふ.親刷が州たからすぐ投首に桝廻るといふわけにほヰ
ちろん葬らないが、だんだんと併し背架に凧滑に行くやうにしてきり
たいと息つてゐる.併し何といつても労力、資材などの悶稀で作る人
は、大艶な背労をしてゐろ.天候とも蛾はなければならない.聴挽ひ
をする人も非常にやりにくくなつて苦労をしてゐる.一般の消費者も
さういふ事情も十分御考へ辟つて、一切れの野菜でも無駄にしないや
ぅに、生活に最少吸盤必野なだけほいついかなる時でも確保するつも
りであるから、あれやこれやの賛粋は我捜して破き、みんなl緒にな
り屯曇L℃行きたいと息ふ・  〔八月十二日淑撃
(lP)