文化政策講話
思想対策 (その五) 情報局総裁 伊藤述史
国内に於きましては思想対策は消極面だけでもやつて行けないこと
はありませんが、外国との関係に於きましては思想対策即ち思想宣伝
は積極性を伴はなければ絶対に無効果的でありますと云ふことは既に
申上げた所であります。
アンチコミンテルンの弱点は正に茲にあつたのであります。共産主
義は駄目だ弾圧すべきだと云ふ消極面を理解する人は相当に多いので
す。アンチコミンテルンは此の消極宣伝でやつて来たのでありますが、
或る手迄行くと困難を感じた、即ち或人に対しまして共産主義はこれ
これの理由でいけないと云ふことを説得しましたとして、この人が然
らば共産主義はやめますが、如何なる主義信念を立つべきでせうかと
反問された時に、従来のアンチコミンテルンは確定的な返答が六ケ敷
かつたと云ふ所に活動の範囲が狭かつたので、徹底しなかつたと云ふ
理由があるのであります。即ち共産主義反対と云ふ対外思想戦に於い
て消極面のみしか言はず、積極面を有しなかつた為めに思はしき効果
を挙げ得なかつたと云ふことになるのであります。
由来我々日本人は対外宣伝が下手であると云ふ評判でありまするし
日本人の中にも左様信じてゐる人も相当あるのであります。之れは碩
々の事柄を混汚してゐる尊から衆る考へ方であります。先づ普通に対
外宣伝と云へば何んでもかでも我々のやることが第一宜敷いのである
と云ふ風に思はしめるのが的切である様に考へ、宣伝はうそでも何ん
でも良いと云ふ様に思つて思る人がある様ですが之れは間違ひであり
ます。現在の様な交通、通信機関の発達した時世で国内で知られて居
る事を外国に知られないで居るなどと云ふことは絶対に出来ないので
あります。ですから虚偽の事実又は考へ方の宣伝と云ふことはあり得
ません。国家の政策に関しまして一寸はだまされるかも知れませんが
すぐ明瞭になります。それで宣伝の巧拙は存在する事柄を如何に上手
に知らしめるかと云ふこと即ち説明の巧拙如何と云ふことになるので
あります。それには説明の対象が明白であることが非常に必要となる
のであります。即ち何を世界に知らしめるかと云ふことが決定されて
居なければならないのであります。此手で従来我国の対外宣伝は方針
が動揺して居つた様に見えるのであります。何か事変があると急に対
外宜伝を始める、平素何もして無いから万事を一時に初めると云つた
風で頗る妙なことになるのであります。平時は何をやつて良いか知ら
ないと云ふ調子ですから、海外へは活け花の道とか茶の湯の道とか云
つたことを恰も我が文化の代表であるかの様に宣伝するなどと言ふこ
とになつて来るのであります。是はつまり世界に対しては何を宣伝す
るかと云ふ根本方針が定まつて居ない事から来る拙劣さであります。
茲で私共は対外思想対策の根本義を考へる段取りになつて来たので
あります。元来我々日本人は昔から「言挙げせぬJと云ふ風に自己吹
聴をすることを嫌ふ性格を持つて居るのであります。でありますから
何か事件でも起らないと宣伝はやらぬ、即ち必要に迫らなければ宣伝
と云ふことを考へないと云ふのが従来のやり方だつたのであります。
だから対外宣伝方針などと云ふやうなものは無く、宣伝に関しては無
活動と云ふのが実際であつたのであります。何も之れで悪いと云ふ訳
では無いですが、現代の様に世界の政治経済は勿論文化迄対立し其れ
が武力戦に迄なると云つた様な時世では対外宣伝と云ふことも考慮し
なけれげならぬと云ふことになつて来るのであります。
対外宣伝の必要が了解されますと問題は第一、一体何を宣伝するの
かと云ふことと第二には如何にしてやるのかと云ふ二つの問題がすぐ
出てくるのであります。之等の問題を検討するに当りまして常に念頭
に居いて居なければならぬことは対外宣伝は我が国民に対しなす場合
とは異なり、歴史も言語も異なり、感情も異なつて居る人間に向つて
為すのであると云ことであります。我国では往々外国人の宣伝は日本
語でやればよいなどと云ふ連中があります。全然無意味のことを云つ
て居るので、日本語でやるのなら宣伝にはならぬ、宣伝をやるなら外
国人が理解する様にしなければならぬ、どちらか一つである、対外宣
伝の性質すら知らないと云ふこととなる訳であります。
対外宣伝に関して指摘しました二つの問題の内で茲では第一の方を
申上げることに致します。一体何を世界に宣伝するかと云ふ点であり
ます。何人も之れに対しまして我が立場を理解せしめるのだ、之れに
対する認識を正しくせしむるのだと云ふ風に考へるのでありまして、
大体間違ひは無いのです。併し此の「立場」とか「我に対する認識」
とか云ふ考へが判然としないことが多いのであります。即ち我国のよ
つて以て立つ所以、即ち國體と、其の國體の精神が時代と場所により
表現される時々の政策との二者何れかを指す場合と、両者を指す場合
がある為めに対外宣伝の目的が明瞭を欠くことになるのであります。
或る事件が起り世界がさわがしくなりますとが方では其の事件に対
処する政策と云ふものを世間に知らしめる、各国をして理解せしめる
と云ふことの必要乃至利益を生ずるのであります。之れが普通政治宣
伝と称せられてゐるものであります。之れは事件が起るとか、問題が
起りますとか又は争議が生じたり、戦争になつたり致します場合にや
ることになるのでありますが、斯かる宣伝は何れの国も御互ひにやる
事でありまして相当に微妙なものがあります。即ち宣伝の効果と云ふ
点になりますと此の種の宣伝は価値が屡々疑問とせらるるのでありま
して相当問題でもありまするし、注意を要することであります。
併し海外宣伝は事件が起るとか問題が生じた時にやる為めの宣伝だ
けでは不十分なことは申す迄も無いのであります。事件が起つた時に
なしまする政治宣伝が了解されまする為めには其の国の立場と云ふも
のが平素から明瞭になつて居ると云ふことが前提であります。世間で
は外国に宣伝などしなくともよい、我々は大国だから小国は来り学ぶ
べしなどと云ふ方もあります。覚悟の程誠に感心に堪へませんが、宣
伝は何も必要が無ければ、やらなくとも良いものであります。併しや
る以上効果のある様にやらなければ駄目だと思はれます。其れで事件
が起つてやるやうな政治宣伝が良く世界に了解される為めには平素か
ら我国の立場を良く知らしめて置くことが前提であると思ふのであり
ます。この我国の立場と申しますものは我国永久の姿、我国の我国た
る所以、我が肇國出来の精神と云ふものでなければならないのであり
ます。即ち我が国に関しまする偶発性を除去した永久性を意味するの
であります。之かは度々申します様に「國體」の二語でつきるのであ
ります、で此の國體を宣明すると云ふことは國體明徴でありますから、
平時我々のやりまする対外宣伝即ち亦國體明徴と云ふこと以外にないと
云ふ結論に達するのでありまして、国内と同様であります。今日然る
如く今後も亦然りと信じます。之れ古今に通じて謬まらず、中外に施
して悖らずと云ふ我が国の真の姿であります。
この対外宣伝は思想対策であります、而も積極面であります。之れ
が今迄不十分であつたと云ふことが、いけないのであります。我が対
外宣伝は思想宣伝であつて其方針は明々白々のものであると云へるの
であります。従来は此の点を良く考へないで対外宣伝が不徹底であつ
たことは遺憾でありますが。今後は之れを改め一層努力致しまして世
界に我が国の厳たる姿を見せる様に努力しなければならぬ、私共は大
いにやるつもりであります。 (八月九日放送)