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文化政策講話

 思想対策 (その四) 情報局総裁 伊藤述史

 前回には思想対策は積極面を必要とする、我が国に於ては結局「國
體明徴」と云ふことで尽きると云ふことを申し上げたのであります。
 多分聴かれた方の多くはそれは当然のことで、そんなことは言はな
くとも明瞭である且つそんなことでは不十分だ、いま少し思想対策の
積極面を工夫する必要があるといふふうに考へられてをられるだらう
と想像してゐるのであります。一応は誰れでも左様に考へるのであり
ます。この考へ方も或る意味に於て当然なのであります。それは我が
国内で生を営む者には国の立つ所以は到るところに表はしてをります
るし、また到るところでそれに関する伝説や、現在のこととの連繋を
見るのでありますから、余程変んな見方をしない以上、日本全国到る
処で「國體明徴」であることは明瞭であります。でありますから思想
対策の積極面は國體明徴に外ならないと申しますと、何んだか余り明
白すぎることを今更のやうに云ふのは変だと云ふ風に聞えるのだと解
釈出来るのであります。
 ところが内地にばかりゐないものには思想対策の積極面は國體明徴
に外ならないと云ふことがピンと来るのであります。外国にゐたもの
は皆同様の経験を待つのでありますが、私共のことを申上げますと、
外国にゐて仕事をする(仕事をしなくとも同様でありますが)と云ふ
場合、特に其れが文化宣伝とか、外交とか云ふ方面の仕事であります
と尚更でありますが、兎に角仕事をする場合には外国人と接触する、
交渉する、関係をもつ或は外国人に説明する。説得すると云ふやうな
場合、必ず起つて来る問題は彼此の相違、御互の比較と云ふことであ
ります。之れは人間誰れしもがやることで別に珍奇なことでも無いの
であります。この彼此の比較を致しますと相当、差異があると云ふこ
とが明瞭になります。顔の色だとか、身長だとか云ふやうな外形のこ
とは別にしまして思想方面や制度の上を見ましても相当の差異を認め
るのであります。其の差異は時代によつて程度の別があります。例へ
て見ますと、徳川末期に米国へ行つた使節と明治初年欧米視察をされ
た岩倉使節との観察を比較しますと、外国と我が国との相違点の見方
に差異があるのであります。其れが大正、昭和の連中となりますと余
程違つてくるのであります。で差異の点を見出しては之れを研究して
見ますと、制度とか藝術とかには外見、全然異なるやうに見えまして
も存外類似点はあるのでありますが、之れを段々進めますと結局亦、
日本と外国との差異は我が國體であると云ふ結論に達するのでありま
す。我が国が外国で無く我国である所以が國體でありますから、之れ
は当然なことなのであります。併し永らくの時間を費して研究した結
果、其処に到達しました時には其の結論は只人から聞かされたのとは
違ひまして確信を持つ理論になつてくるのであります。
 右様の理由で我が国としましては我が国存立の理由、即ち國體と云
ふことが国民に徹底すると云ふこと以上に良い思想対策は無いのであ
ります。國體明徴が我が国に於きまする思想政策の最高のものであり
ます。数年来起りました國體明徴運動なるものは此点を高唱せられた
と云ふ点で誠に有意義なものであります。私共海外に居りまして時宜
を得た運動だと大に感銘してゐたのであります。この御蔭で我が国に
於きまする憲法論が一定し、間違つた政治理論が出る余地が無くなり
まして、我が國體を政治の形勢に実際適用することを容易にされた功
は多大なものがあるのであります。併し慾を申すやうでありますが、私
共は此の運動を今一層おし深めて行かなくてはならぬと考へてゐるも
のであります。政治方面に限らないで経済方面から文化方面と我々の
日常生活に迄及びます、国民生活の全舵に亙りまして國體明徴と云ふ
ことをやつて行くことが絶対必要なことであると云ふ点を特に申上げ
たいのであります。前回にも一寸申上げましたが國體明徴は政治のこ
とで経済や財政には関係が無いやうに考へる人が多いのであります。
私有財産制限論と云ふ説をなして世間を騒がした連中があります。あ
る人は我が国家の本義に則り之れを説きます。聞く人は共産主義だと
云つて攻撃します。此の点など学者が真面目に研究して、いけない議論
は断然いけないと云ふ風に致すことが理論上望ましいのであります。
 我が國體とは全然別な北米合衆国でも私有財産徴用令が議会で議論
されてゐると云ふことは新聞紙の報ずる所であります。又文化方面に
於きましても藝術の為めの藝術などと申すことは如何でせう。何んだ
か前世紀の仏国の一部で行はれました思想の直輸入のやうな気がしま
す。音楽なども左様であります。「ベートーヴエン」や「ワグナー」も
のなら何んでも良いと云ふやうな考へ方も如何でせうか、藝術の方面
に於きましても我肇國の精神と云ふものから考へなほす必要が無いで
せうか、之れが國體明徴の精神と云ふとを国民生活に徹底さすと云ふこと
になるのであります。
 之等の点は先づ民間の人によつて提議され、而して関係者の間に議
論される或る結論に達すると云ふ所に非常に重大な意味があるのであ
ります。政府としましてはかかる命令を出すなどと云ふことはしない
のが通常でありまして、先づ民間から、即ち国民の内からわき上がる
と云ふふうにならなければ駄目だと思ひます。この意味で私は万民翼
賛運動と云ふことが実際の意義を持つことになりまするし、翼賛会の
活動、必死の活動も続けなければならぬと云ふ結論になつて来るので
あります。前回から我が国に於きまする思想対策の積極面は國體明徴
であると申しましたが、之れを我々臣民の方から云ひますと臣道実践
であります。大政翼賛であります。でありますから我が国では大政翼
賛運動が思想対策の積極面を表現するものなのであります。此の意味
で翼賛会は政府と表裏一体とも云へまするし、又翼賛運動は高度の政
治性を有するものであると云へるのであります。現下の状勢に於き
まして翼賛会の使命は非常に重大であると云ふことは以上の意味であ
ります。只翼賛運動も斯様な意味で開始されましたが時間が短いので
すから、今申した意味で国民生活の各部門、あらゆる部面に浸透する
と云ふ処迄行つてゐないやうであります。又国民生活各部門に國體思
想を適用すると云ふ工夫も或は徹底してゐないかも知れません。併し
之等は将来、翼賛会のやる大きな仕事でありまして、茲に重要性があ
る訳です「万民翼賛」の運動は我か国の存在する限り天地と無窮に存
すべき大道でありまして、何時の時代でも大いに、常に起さなければ
ならぬ、万古不磨の大政治であります。この意味で、翼賛会の幹部が
今一層の御奮発あらんことを希望して止まない者であります。
 或る新聞の方が先頃独ソのやうな間柄でも新聞紙を見れば国内問題
に多くの紙面を費してゐるのに、我が国では内政問題は殆んど掲載を
禁止され、議論を許されないと云つて注意をされたことがありまし
た。私は答へたい。独ソの実際を良く研究されると其れは共産主義と
「ナチズム」の国民生活に対する適用を書きたててゐるのであります
此の点から見て私は日本の新聞紙が今少し国内各般の問題を我が国建
国の理想、肇國の精神と云ふ点から研究をし、記事をのせては如何か
と云ふことを考へてゐる一人であります。内政問題と云へば何も政策
に関係あるやうなこととは限らない、否大所高所から見ますと我が国
の内政問題も今少す右申しましたやうな思想方面から考へられ、又そ
れ等の意見が沢山出なければいけないのではないかと思つてゐる次第
であります。大政翼賛会も活溌にやられるし、新聞界も今一層その高
度の政治性を高唱されることが現下の思想対策として必要であるやう
に感ずるのであります。

                                (八月二日放送)