第三次近衛内閣の成立と国際情勢 情報局総裁 伊藤述史
第二次近衛内閣は去る十六日午後六時半臨時閣議を開きまして其席
上、総理から自分は骸骨を乞ふ決意をしたと云ふ表明がありまして各
閣僚も同意見でありましたので、総理は各閣僚の辞表を取纏めて、九
時葉山の御用邸に伺候し、御前に辞表を捧呈されました。何分の沙汰
ある迄国務を視よとの優諚がありましたので総理は恐懼御前を退下し
まして、帰京、待機中の各閣僚に報告を致しました。午後十一時であ
りました。
内閣が総辞戦[ママ]を決行するに至りました理由は当夜の政府発表に明記
してありまする通りであります。即ち変転極りない世界の情勢に善処
しまして国策の遂行を益々活溌ならしめんが為めには、先づ国内の態
勢を急速に整備し且つ強化することが必要でありまして、その関係上
内閣も亦当然大刷新を見るべきであると云ふことを痛感致しました為
めに引退を決行することとなつたのであります。.
即ち変転極りない国際状勢に対応して機宜の措置講じまする為め
には、直ちに必要な方途を急速に講じ得るやうな国内態勢になつてゐ
ると云ふことが絶対必要な条件であります。
かかる国内態勢をとる為めには各方面に必要な刷新や強化をやらな
なればならないと考へます。この刷新や強化は自ら国民各層にも相当
の決意と犠牲をしてもらはなければならぬことになります。この現下
緊急の要求を実現します為めには、それに適応するやうな内閣が出て
その任に当るのが順当でありますから、内閣は比の際引退して適当な
後継内閣の出現を容易にしようと云ふことに決定したのであります。
之れが内閣総辞職の理由であります。
翌十七日には重臣会議が開かれたことは新聞紙で承知して居るので
あります。而して同日午後、宮中より近衛公爵に御召の電話があり、
近衛公は参内致しまして拝謁仰せ付けられました 近衛公に対し内閣
組織の大命が降つたのであります。
以来近衛公は組閣に取りかかられまして十八日午後九時親任式行は
せられ、現内閣が成立した次第であります。直ちに初閣議が開かれま
した。
閣議席上で陸相が陸海軍大臣を代表して発言されたのであります。
軍部大臣は「現下の国際状勢に処すべき国策の大綱に就ては既に聖断
を仰ぎたる所でありまして内閣更迭致しましても右国策は微動だもす
べきものではありません」から「政府全機関が一致して所謂戦時内閣
の本領を発揮しなければならぬ。斯くして「戦時体制の飛躍的強化
を促進しまして政戦一致の実を挙ぐるやう」閣僚の協力を煩はし度い
と云ふ申出でがあつたのであります。之れに対しましては閣僚は勿論
賛意を表したのであります。それから総理大臣から組閣に関する談話
を発表したいと云ふので相談がありましたが其通りきまりました。
「近衛総理大臣談」として新聞紙に掲載されたものであります。
この談で首相は第一には三度大命を拝されて組閣されました首相の
心構へ決心を述べられたものでありまして、要は「聖旨を奉行し、以
て聖恩の万一に報ひ奉る」と云ふことであります。而して第二には現
内閣の施政方針とも云ふべき点が示されてをります。即ち「現世局に
処しまする皇国不動の国策は確立せられて居るので、今は只其の急速
果断の実行のみでありまして、之れを遂行する途は一に國體の本義に
則る国内諸態勢の整備強化に在ると云ふのであります。この方針で進
むのであるから国民の熱誠なる協力を得たいと云ふのが総理の希望で
ありまして、それはこの難局を突破する為めであり、肇國の大理想を
実現する為めであります。
右のやうな状況で第三次近衛内閣が成立しまして、又右のやうな方
針で進んで行くことになつたのであります。現内閣の性格は如何かと
云ふ御質問も受けましたが、之れは私から申上る性質の事柄でありま
せんから略して置きます。
× ×
この機会に於きまして内閣更迭の一動機となりました変転極りなき
現下の国際状勢に関しまして一言申上げたいと存じます。
現在の国際状勢を一言で申しますと、丁度世界がどちらかへひつく
りかへるかと云ふ境目であるとでも言へば宜敷しいでせう。「英仏対独
伊戦争」が仏の降伏で「英対独伊戦争」と云ふことになり昨年夏から天
下の視目を集めて居りまして、ギリシヤ「クリート」島占領で独逸は
英本土攻撃をやるのかと思はせるやうな状勢に迄なりました時に急に
独ソ開戦となつた訳であります。丁度昨年仏軍降服と略々同時期であ
ります。独ソ開戦で世界の状勢は非常に重大な変化を見た訳でありま
す。世間では之れで英米ソの三国が一団となつて日独伊に当つて来る
のだ、愈々イデオロギー戦が始まるのだと云ふ風に簡単に且つ単純に
結論を得て、之れを主張する人もあるやうですが、形勢は左程簡単で
はありません。早計の結論をやると危険だと思ひます。成程英ソ同盟
条約と云ふものが発表されました、英国の軍事委員もモスコーへ行つ
たやうです.而し欧州戦争直前の様子を考へて見ますと英国政府は独
逸に対抗する為めにソ聯と同盟と申すか相互援助と云ふか、特殊関係
を結ぶやうに数箇月に亙り交渉努力したのが駄目になつて独ソ不可侵
条約が突如発表せられ天下の耳目を驚ろかし、以来英ソ関係は非常に
悪化してゐたのであります。之れが又独ソ戦争で急に合帯するとしま
しても人の想像するやうな鞏固な同盟ですか少々疑問の余地がありま
す。次は米ソ関係でありますが、米国が独逸反対であり面も其れが強
いことは周知の事実でありますから其の独逸と戦ふソ聯に同情するの
は容易に想像されますが、併し米国とソ連程、国情や国民心理の反し
てゐる国は少ないことは明瞭であります。共産主義と資本主義、仲
々友人にはなれないやうな国柄であります。でありますから英米は完
全に一致してゐるとも言へますが、英米ソ三国となると左様に簡単に
行くかどうかが問題となる訳であります。
この状勢から見ますと欧州戦争前には独伊に対する為め英ソ交渉し
てゐたのが、独ソ友交となり、之れが独ソ戦となりそれにつれて英ソ
接近と云ふ風に変化して来たことを思ひますと、世界状勢の変転極り
なきことは多言を要しないのであります。只人は当にならぬ、他国は
たのむに足らぬと云ふのが現在唯一の現実であります。
かかる国際状勢下に於きまして我国は肇國の大理想の実現に向つて
進んでゐるのであります。政府が何をしなければならぬか、国民は如
何にして御奉公すべきかは多言を要せずして明瞭だらうと存じます。
(七月十九日放送)