聖戦第四週年を迎へて  上海在勤海軍武官海軍少将 藤田利三郎

 事変後こゝに四周年、私はこの間いろいろの仕事に従つてまひりま
した。昭和十二年度には上海海軍陸戦隊にあつて、抗日意識に燃へた
支那兵と戦ひ、敵性外国人の干渉に抗して我居留民同胞の保護にあた
りました。
 十三年には、親日華人連と手を携へ、復興建設に努力致しました。
又十三年には、遠洋航海に出て在外華僑の根強い生活力を見ました。
さうして十四年度、十五年度には再び上海に来て新東亜建設のために
南京政府とともに、外国の援助の下にある重慶政権潰滅に努力してゐ
るのであります。その間に支那四億の民は親日、抗日、中立の三色あ
るのであります。而して真に抗日意識を有する人々は極く僅かである
にもかゝはらず、外国の援助を頼りとして第三国の傀儡となり、目的
と手段を混同し、彼等の極東政策を第一としてゐるため和平克服は長
引き、両民族が今次戦争で苦しんでゐることは洵に歎かはしい次第で
あります。即ち重慶政権は東亜に国際的聯合戦線を張り、抗戦してを
りますので、我々に課せられた責務は大なるものであります。我々の
当面の重点は、その抗戦力を徹底的に破壊するにあります。
 帝国海軍は開戦劈頭上海に戦果を拡大し、皇軍進撃の拠点をつくり、
海洋の交流を確保して、随所に陸兵揚陸を援助し、支那沿岸三千浬の
航行遮断をなして、経済封鎖を以て抗日支那を枯渇せしめ、海鷲は二
千の敵機を撃墜し、重慶を爆砕しつつあります。而して今は世界を挙
げて混乱の渦中にあり、事態容易ならざるものがあります。この時に
当り、帝国海軍は十分なる準備をもつて東亜の安定を要望する重大な
る使命を完遂すべく、日夜我海軍独特の猛訓練に従事しつつあるので
あります。思ふに宣伝駈引のみをもつてし、真心によつて運命を開拓
する意気込みなきものは亡びるのであります。他国を恃み自信なくし
て亡び行くものを我等は眼前に見つゝあるのであります。
 我々は又、太平洋への心構へも常に備へ、何時にてもイザとなれば
確乎たる信念をもつて、国家の全力をあげて君国のために頑張らなけ
ればならぬと思ひます。今や世界を挙げて戦禍に包まれてゐる時、聖
戦四年の我が国を遙か現地より顧みる時私は大なる希望を持つのであ
ります。それは何であるか、我が国民はよく政府の指導の下に着々と
して、東亜の盟主たるべき国家の威力発揮に従事しつつある姿を見る
のであります。ここ上海は二十数箇国の国民の集る国際都市でありま
す。私は各国の人々とよく会ふのでありますが、何処の国の人の話も
戦争の話ばかりであります。然るに我が国はどうか、一発の爆弾も受
けず、一隻の船も沈められず全く幸福の話であります。聞くところに
よると、日用物資は幾分不足してゐるが、これは支那事変によつて消
耗された結果ではなくして、一路国力を膨脹させるための国防力に大
部分を使はれてゐるのであります。日清戦争も、日露戦争も我々の先
輩は悲壮なる覚悟をもつて起ち、国民一致協力の結果かくの如く国力
の伸長を見たのであります。我が国民の真面目さは世界にその比を見
ないのであります。悠久二千六百年の歴史は、世界に冠たるものであ
ります。この四年の聖戦によつて日本は、非常に強大なる国力となつ
た姿を私は見るのであります。国際関係複雑の上海に四年に瓦つて勤
務する私は、事変当時第三国より現地の我々に対する干渉は甚だしき
ものがありまして、大に憤概したのでありますが、かかる勢力は漸次
我が国力に追はれて今や、我が日本に国際的実権は握られてゐるので
あります。即ちこれこそ我が国力の反映を雄弁に物語るものでありま
す。かくの如く日本の実力は、国民の努力によつて東亜の盟主たるの
貫禄を示し、国際変転に対応して内に大なる惨禍を惹起することなく、
支那事変への処理をなし遂げ得るものと信じます。
 ここに聖戦四年護国の英霊に対し、その冥福を祈るとともにいつも
変らぬ銃後国民の御後援を深謝して私の講演を終ります。
                       (七月七月放送)