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時局と皇道経済 国務大臣 小倉正恒
 
 聖戦満四ケ年を迎へ、皇軍将兵の勇戦奮闘と、銃後国民の熱誠奉公
とにより、蒋政権は愈々窮地に陥りつつあるとは申しながら、東亜共
栄圏確立の大業は、前途尚遼遠であります。然も、独ソ開戦を繞つて、
国際の政局は、益々複雑微妙になつて参りました。いまや吾国は何ん
時、国運の興廃を賭すべき、重大なる事態に、直面するやも知れない
のであります。真に、有史以来、未曾有の非常時でありまして、吾々
国民の責任は、極めて重且つ第であります。
 扨て然らば、この重大なる責任を全うする為めに、吾々が為すペき
ことは何であるかと申しますると、要するに、国の内を堅めること
であります。就中、国防国家建設の基礎たる、銃後経済力の充実こそ
は正に急務中の急務であります。ここにいはゆる新体制が叫ばれ、新
経済体制が、要請せらるる所以があるのであります。
 然らば新体制とは何か、曰く革新であります。行詰れる旧体制の殻
を打破つて、新しき生き生きとした、国家的生命を発揮することであ
ります。大化の改新と言ひ、建武の中興と言ひ、さらにまた明治の維
新と言ひ、吾国の革新は常に、國體本然の姿へ、復帰することに依つ
て、行はれて来たものであります。昭和の維新もまた、それでなけれ
ばならないと恩ひます。いはゆる新経済体制も、要するに、吾大和民
族本然の姿に立脚する、経済に帰れと言ふことに外ならないのであ
ります。
 然らば、大和民族本然の姿に立脚する経済とは何か、それを述べる
前に、先づ、その本然の姿を失つた経済、旧体制の経済、いはゆる自
由主義の経済に付いて、述べねばならないと思ひます。
 自由主義の経済と言ふのは、要するに、経済活動の源を、人間の利
己心と物慾、六ケ敷く言へば、個人主義と、唯物主義に置いて居るの
であります。マルクスは、この自由主義経済は、次第に弱肉強食とな
つて、大資本の発生から、階級闘争が起り、遂に社会主義革命になる
と言つて居りますが、その社会主義も、根底は矢張り、物慾本位、利
己心から出発して居るのであります。また自由主義から発生する、色
色な弊害を除去すると共に、社会主義からくる、国力の減退を避ける
為に、独逸や伊太利に於きましては、全体主義の経済が生れて来たの
であります。之は全体の利益の為に、個々の利益を犠牲にすると言ふ
のが、建前でありますが、その根底は、欠張り個人主義でありまして、
個人の利益を守る為に、止むを得ず、或程度迄、個人の利益を犠牲に
して、全体の利益を守るのであります。
 私は、経済思想等と言ふものは、一つの民族に、固有のものがある
べきであると思ひます。個人主義国家には、個人主義経済があり、全
体主義国家には、全体主義経済があるが如く、吾日本には、大和民族
の個性に即したる独自の経済があるべきであると思ひます。然るに、
明治以来の吾国に於きましては、西欧の個人主義、唯物主義に立脚す
る経済思想を、その儘輸入致しました為に、この経済思想は、次第に
西欧諸国に於けると同様な、いろいろな弊害を生じてきたのでありま
す。加ふるに、今日の如く、国家全体として、最大の経済力を、発揮
せねばならぬ時代に於きましては、最早かうした、経済思想を以てし
ては、到底その目的を達し得ない状態に、立ち到つたのであります。
此処に新しき経済体制が、要請せらるる、原因があるのであります。
 申す迄もなく、吾国には、君臣の分が自ら定まり、上(かみ)には、万世一
系の皇室を仰ぎ奉り、下(しも)には、一億の蒼生之を宗家と仰ぎ、義は君臣
にして、情は父子なる、一大道義国家、一大家族国家、即ち皇道国家
をなして居るのでありますから、国情は、全く西欧諸国と異つて居り
ます。従つて民族の精神も、又その民族精神に立脚する経済も、全く
異つてをるべきであります。それは自由主義でもなく、社会主義でも
なく、又全体主義でもない、吾国独自の経済、即ち皇道経済でありま
す。
 扨てそれでは、大和民族と西欧民族とは、何う違ふかと申しまする
と、先づ第一に、個人に対する考へが違ひます。西欧の個人は絶対的
存在であります。個人以上の何物もなく、国家と雖も要するに、個人
の利益を擁護する手段に過ざないのであります。然るに吾国の個人は、
絶対的存在ではありません。例へば、家族の一員として、国民の一人
として、家・国家と言ふ一つの全体の一部として、個人の為でなく、
家の為、国家の為に存在するのであります。それが又同時に、個人の
為でもあるのであります。従つて現世には、家族、国民に対し、過去
には祖先に対し、未来には後裔に対し、相互に繁栄を計るべき、責任
を負はされたる、一つの相対的存在であります。最近西洋でも、全体
主義の発展を見ましたが、之は究極のところ、個人のための全体主義
であることは、前に申し述べた通りであります。
 扨て、この個人に対する考へ方が、経済に何う現れて来るかと申し
ますると、先づ、経済に於ける国家主義であります。即ち吾国では、
経済に於ても、国家は、常に個人に優先するのであります。最近いは
ゆる公益優先の原則が、主張されて居りますが、之は吾国では当然の
ことであります。吾国では昔から、国家とか、お上とか言ふ概念は、
先天的に個人に優先するのであります。
 また吾国では、公益が私益に優先するのは素よりのこと、さらに進
んで、公益の為めに私益を没却することに、人間最高の生甲斐を感じ、
最大の使命を発見するのであります。之がいはゆる滅私奉公でありま
して、吾軍将兵の盡忠報國が、その最高の発露であります。然しそれ
は独り軍人に限りません。国民誰しもの胸底に燃ゆる赤誠であります。
それが日常の生活に現はれたのが、いはゆる。[ママ]職域奉公であります。
 尤も経済は、軍事や政治、或ひは教育等と異つて、一応個人の責任
に於いて営まれます。之はさうする事が、最もよく個人の創意を発揚
し、最も能率的に、物資の生産配給を営ましむる所以でありまして、
国家の為に、最も有利であるからであります。その意味で形こそこと
なれ、経済人も亦、直接国家に対して責任を負つて居るのでありま
す。またさう考へねば。吾れと吾身に後めたさを覚え、自信を以て、
事業に魂を打込んで行けないのが、日本人であります。
 国家と個人の関係に限らず、事業とその従業員の関係、家とその家
族、或はまた夫婦の関係等に至る迄、吾国の社会制度は皆、この全体
と個人の考へ方から、出来て居るのであります。
 次に西欧の個人主義からは、当然に自由主義が生れて参ります。個
人以上の何物もないところでは、個人は何をしてもよい筈であります。
只お互ひの自由が、衝突せぬ様に、法律が制限を附して居るに過ぎな
いのであります。然し、吾国では、さう言ふ自由は存在致しません。
個人の自由には、常に全体の利益と言ふ枠が嵌められてあります。嘗
て自由主義が旺んな頃に、吾国でも、国家や民族の利害と、無関係な、
自由があるかの様に、考へられたことがありましたが、然し、個人そ
のものが、国家や民族の一部として、その分に感じて、国家や民族の
安危を背負つて居るのに、個人の経済的活動だけが、国家や民族の利
益に、反してもよいと言ふ筈がないのであります。吾国の個人の活動
は、究極に於て、常に国家の興隆、民族の繁栄に向つて方向付けられ
たる、宿命的活動であります。
 最後に物慾本位、即ち、唯物主義も亦、吾国民性と相容れないと思
ひます。例へば、人を雇ふにしましても、単に物質的待遇をよくすれ
ば、よいと言ふ訳ではありませぬ。先づ第一に、人間らしい気持を以
て、接することが肝要であります。良い製品を作るにしても、単に機
械の精巧だけでは、出来ないのであります。良い品は結局それを作る
人の誠心誠意の現れであります。事業に対する信用も、その経営に当
る人の、人格の発露であります。また経済活動も、単なる利益の追求
とは見て居ないのであります。経済活動も亦、人間の活動である以上、
常に倫理道徳に則つて、行はれねばならないことは、申す迄もないの
であります。むしろ私は、経済こそ、真に、道徳を、実践する道であ
ると考へて居るのであります。従つて吾国の経済活動の自由には常に
全体の利益と言ふ制限の外に倫理道徳と言ふ、制限が付いて居るので
あります。例へて見れば、公益を器として、倫理道徳を水として、棲ん
で居る、魚の如き自由であります。
 扨て吾国の経済は、かうした独自の、尊いものであるべきであつた
のであります。それは金甌無欠の吾國體の一面であります。然るに明
治以来の西欧思潮の氾濫の結果、何時しか、この尊き本然の姿が失は
れ、大正から、昭和の初めにかけての、様々な出来事は、真に吾々の
心を責むるものがあります。然も、その余弊は、今尚聖戦下に存在し。
前線将兵の勇戦奮闘を他所に、銃後の経済戦線の、足並みが乱れ勝ち
なことは、絢に以て遺憾の極であります。如斯は要するに、西欧から、
承け継いだ、自由主義経済の、借り衣に幻惑され、その内に包む、民
族本来の心が、その光を覆はれて了つたからであります。然し今こそ、
その借衣を潔く脱ぎ捨てて、新しく民族の心に即したる、経済の衣を
織り出すことが必要であります。
 吾民族本然の姿に立ち還れば。その心の底から、盛り上つて来る、
滅私奉公、道徳の経済的実践等の、精神が、自ら公益優先となり、経
済の倫理化となるのであります。新しき経済の理念は、古き民族の胸
底に存在する。そうしてこの理念に相応しき、新しき、機構、[ママ]宏く世
界に求むることによつて、真に、世界無比なる、独自の経済を確立し
うるのであります。之こそ真の、新経済体制でなければならないと思
ひます。
 今や、吾国経済の前途は、極めて多事多難でありまして、従来の観
念や、従来の機構を以てしては、到底負ひ切れぬ程の、大きな負担を
負うて、進まねばならないのであります。然し私は、国民全体が、真
に、皇道経済の精神に徹し、新経済体制の下に、一糸乱れぬ結束を以
て、職域奉公の誠を尽すならば、断じて、この国難は突破し得るもの
と、確信する次第であります。

                       (七月一日放送)