文化政策講話
思想対策 (その二) 情報局総裁 伊藤述史
現在のやうな世界の情勢では、外国からの流入思想特に流入と申し
ますのは流れ入る即ち自然に入つて来ることで、輸入思想とはちがふ
のであります。輸入と云へばこちらから特に輸入することで流入思想
と申しますのは自然に入つてくると云ふいみであります。斯様に外国
から入つて来る思想に対しましては検閲取締をしなければならないと
云ふことを申上げたのであります、之が思想対策の一面であります。
之れは外国から入りまする思想ばかりで無く、国内に発生しまする思
想に付ても同様である云ふとことは申し上げる必要はありません。
思想対策の此方面の措置につきましては世間で相当誤解もあります
るし又反対もあるのであります。先づ誤解の方面を見ますと思想対策
を以て恰も思想弾圧と同視してゐる向きがある様であります。然し之
れは妥当な見解と申されないのであります。思想対策は此前も申しま
した通り検討からはじめまして批判に進み夫れから取締と云ふ順序で
ありまして、何も初めから弾圧すると云ふのが目的ではありません。
思想の中でも良いもの、有益なもの、或は無害なものなどは禁止、弾
圧をしないのであります。只それが有害であるとか、更に危険とか云
ふ程度になりますと放任して置く訳には行かないので焚止或は弾圧と
云ふ手段に出るのでありまして、之れは不得止に出づるので、斯様な
措置を講じなくとも良い様になるのが一国思想界の理想であります。
第二は反対の方面であります。反対者の立場から申しますと、第一
には思想は各人の脳裡にあるもので、之れを取締るなどと云ふことは
出来ないことだから斯かる措置には反対だと云ふものがあります。
第二には思想は各人の自由であることは我憲法で保障されてゐる、其
れを取締るなどと云ふことは宜敷くない。第三には思想は自由にして
置くことによつて発達するものでありまして、其の発達により国民の
知識見界が広くなり発展するのが常であるのに、之れを取締ることは
取りも直さず国民文化の発展を妨害するものであると云つて反対す
るのであります。右の様に三段に区別して観察しましたが要するに反
対者の立場は法律論などは別にして思想と云ふものは各人の自由に創
造し研究するものであり、之れを束縛することは不都合だと云ふ理論
の上に立脚してゐるものであります。之れを歴史的に観察致しまする
と西洋の歴史家が云ひまする所謂近世の姶めから漸次ヨーロツパ各国
にひろがりました考へ万であります。歴史的根拠を有するだけに相当
根強く支配してゐる理論であり又物の考へ方であります。
思想は申す迄もなく人間の頭脳から出るものでありますが此の頭脳
の裡にあります間は外部へ出ないのでありますからして之れは検討の
仕様も無ければ取締る方法も無いのであります。検討や取締は之れが
何等かの形式で外部へ出た時から始まるのであります。人に説教をす
るとか或は又公衆の前で講演をするとか雑誌に書いたり書物を出版す
るとか、云ふことになつて始めて思想は外部との接触を保つことにな
ります。其の外にも或る思想は直ちに行動となつて外部に現はれるこ
ともありますが、之れは稀な例でありまして普通一般は今申した様な
経路で外部との交渉を持つ様になるのであります。外部との交渉を持
つことになりますれば思想は既に各人即ち個人のものであると云ふ理
論上の根拠は無くなるのであります。勿論其の起源は或特定の個人で
ありましても之れが一定数の他の人間と交渉を持ち始めますと之れが
社会的乃至は国家的と云ふ形容詞のつく一面をもつことになりまして
社会学者のよく申しますやうに所謂社会的現象になつて来るのであり
ます。でありますから之れに対して政府が交渉を持つ即ち関心を示す
と云ふことは当然なことであります。斯かる場合にも国家は何も為す
べきでないと云ふことを主張するのは其れは個人が中心であるとか、
乃至は個人至上主義とでも申すものでありまして、人間が国家規律の
下に生活をなすことを否定するものでありますと同時に国家は社会的
影響を持ちまする現象に対して関心を持てはならないと云ふ理論であ
りまして之は理論上不正確なばかりでなく人間性とは一致しない主張
であります。
更に此の思想取締の妥当性を理論上は容認しても実際上、取締と云
へば極端になり弾圧になる、斯くすると国民の思想発展を停止せしめ
る或は国民思想は萎縮すると云ふ意味から反対する向もあります。然
し是は程度問題でありますからして純粋の理論では無くして相対的の
利害論であります。
問題は此の思想の発展が萎縮すると仮定いたしまして ― 之れは仮定
でありまして必ずしも事実ではありませんが ― 其仮定の下に於ても
思想対策は不都合なものであるか否かといふことを考へて見なければ
ならないと云ふことになるのであります。換言致しますれば、思想の
発展と云ふことと之に関係いたしまして国家の存立と云ふことと此の
両者が衝突するやうな場合何れが重きかと云ふことが問題になつて来
るのであります。理論上は私は間違無いと思ひます。然し実際に当り
ましては国家の存立が危険に瀕すると云ふやうなことは仲々無いので
ありますからして思想の発展は妨げなくてもよいとか取締は宜敷くな
いと云ふ議論が出るのであります。此問題に付きましては各国に於て
夫々その時代によりまして適当な解決を与へなければならないことで
あると考へるのであります。
最近の例を取つて見ますと此の前の欧州大戦直後の様に各国民は戦
争が終りますと共に直ちに又戦争をする様な形勢はなかつたのであり
ます。当分天下泰平と云ふ様な状況にありました時代には少々思想方
面にユルミが出たと致しましても国家の存立に危険を感じる様なこと
は無かつたのであります。斯かる時世には或は此の思想の厳重な取締
は此の発展を妨げる為めに為されたものであると云ふ様なことは言へ
る理くつもあるかもしれないのであります。これは国家存立の危険が
現実の問題となつて居ないからであります。反之まして、現在の様な
状況では事態は正反対になつて来るのであります。聖戦四年になりま
して国の内外に於て我々国民は相当重大なる犠牲を払ひつつあるので
あります。其処へ欧州戦争が始まりまして、之れが何時世界戦争になる
かわからないと云ふ様な形勢で、而も其時は我国も亦其の中に捲き込
まれる可能性が非常に多いと云ふ様な状況の下に在つては、国家の存
立と云ふことが前面に出てまゐるのであります。何も我が国が滅亡(ほろびる)な
どと云ふことは問題にならないのであります。之れはもう大丈夫であ
りますが、さう云うことを申すのではありません。問題は我国民が従
来長くかゝりましていたしました努力がその正当な果実を結ぶように
なるかどうかの瀬戸際になつて来てゐる時でありまするし、又我々は
度々申してをりますとほり大東亜共栄圏の樹立に依りまして人類の蒙
る禍患の拡大いたしますことを防止し、さうして世界平和の樹立に寄
与せんとしておる此際でありますからして、さういふ故に国家の存立
と云ふことが我々の考への第一線に出てくると云つても差支へないの
であります。斯かる秋には如何でありませう。思想の発展と云ふこと
は国家の存立と云ふ問題の相互性はあきらかになるのであります[?]。殆
ど其の間に私は疑ふ余地がないと信ずるのでありますで[ママ]ありますから
して、さう云ふ時には国家の必要上からやりまする此の思想対策も亦
自ら理解せられるであらうと思ふのであります。
此意味で私共は現在思想対策を考へてゐるのであります。之れが前
申しました様に実際には検閲、取締と云ふ形式で行はれるのでありま
すし、且し此節は相当其れが厳重になつて来たのであります。何も思
想発展を妨げる為めの取締でも無ければ又弾圧の為めの取締でもない
のであります。
然し国家の存立が我々の考への第一線に出て来ると云ふ時には有害
なる思想を禁止します。更に危険なものに至つては弾圧するのが当然
であります。取締をいたすとしましても其の取締をいたす方では之れ
を乱用しないと云ふ心懸が肝要でありまして、常々是等の点に付きま
しては留意をしてゐるのであります。
皆さんも此節は取締が厳重になつたなどと云つて徒に萎縮された
り、不平を云つたりしない様に御願致したいのであります。只是に関
しまして或はこの乱用や行き過ぎがありましたならば御注意をお願ひ
いたしまして、御注意ありましたら之れを研究して改める必要があれ
ば改めるに吝ではないのであります。
先づ大体さう云ふ私共の考へてをる思想取締のことをお話いたしま
した次第であります。之迄は取締の方面ばかりを申しましたが之に続
きまして、更に積極的方面のお話申したいと考へてをります。
(註:1941.6.28放送と推定)