土曜放送 文化政策講話

    楽壇に望む   情報局総裁 伊 藤 述 史

 情報局として考へ実行してをります文化政策につき御話致したので
ありますが、その続きとして今晩は音楽に関することを御話しします。
 洋楽が日本に輸入されましてから七十余年になります。その間学校
用の唱歌として採用せられ、また奨励せられた以外に於きまして、政
府としては音楽自体に対しまして特別な政策を考へたといふことを聴
かないのであります。従ひまして、我が国の洋楽は殆んど「野生」と
云ふ形で発達して、現在の状態にまでなつたのであります。もちろん
その間音楽学校や陸海軍の軍楽隊などで後援奨励された功績は、見逃
すことのできないと云ふことを茲に申上げます。しかし、ともかく政
府としては、音楽に対しては政策を考へないで「無干渉」「やり放し」
と云ふ態度で、終始一貫したことだけは事実であります。勿愉無干渉
と云ふ態度はやさしいことであります。何もしないのですから、一番
容易でありますが、果してそれで宜敷いのでありましようか、研究を
要する点だと思ひます。

       ×       ×

 第一に皆さん御自身で御経験の通り、我々日本人は音楽を好む人間
であります。之れは我々自身で知つてゐるばかりで無く、日本を訪問
した外国の音楽家も、異口同音に申すことであります。この点では日
支両国民は相当相違があるやうです。支那では左ほど喜ばれない音楽
が日本人には大いに愛好されると云ふのが事実であります。然らば政
府としては国民の好む音楽に対しては、無関心でゐるわけには行かな
いのであります。国民を指導致します立場から見ましても、また国民
を教育します立場から見ましても、国民の好む音楽に対しては、是非
とも之れを取り上げて考へなければならないと思ひます。

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 第二に音楽の影響性、少々変な文字でありますが、詳言致しますと、
音楽の国民に与へる影響と云ふものが非常に大であると云ふ点であり
ます。茲に音楽の芸術として占むる地位とか、特性とかを申す必要は
ありませんが、音楽は芸術の内でも一種独特の影響を民心に与へるも
のであります。音楽は国民情操の涵養に貢献することが大であるとよ
く申しますが、それも尤もなことで、皆さんの御承知のことであ
りますが、さらに音楽は国民精神の昂揚と云ふ方面にも非常な働きを
なすのであります。国歌を国民が挙つて唱和してをります時は、国民
斉しく皇室に対しまする尽忠の精神に燃えてゐるのを感得するのであ
ります。誠に荘厳な国民の心と心との唱和であります。さらに進軍の
歌を合唱しますれば、一同進軍の気持になるのであります。音楽は歌
の形式によりましただけでも、このやうな効果を民心に与へるのであ
ります。国民精神昂揚といふことを論ずる時にも、音楽に対して無関
心であり得ないことは之れだけでも明瞭かと思ひます。

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 第三に洋楽と申しますが、今は世界一般に行き亙りまして、その始
めが西洋で[あ]つたといふだけで、実は各国民の等しく理解鑑賞すると云
ふのが特長であります。楽器だとか作曲のやり方だとか、特に或る国
でなければ出来ないといふことは無いのであります。日本人が作つた
曲でも、印度人にもわかれば、安南人にもわかる、欧州でも賞賛され
るといつたふうのものです。でありますから、我が国民の気持なり、
考へ方や、物に対する態度、感情等を音楽で表現しますと、之れは世
界如何なるところでも再顕できるのであります。映画同様、日本人が
ゐなくとも我々日本人の感情気持を表現できるのであります。而も外
国人の手でやるのであります。この特色は音楽がいはゆる宣伝、即ち
啓蒙運動の方法として非常に有力なものであるといふことになるので
あります。「ワグナー」の音楽ほど近代ドイツ人の考へ方を世界に普
及したものは少ないでせう。ボオリス・グトノフを見た人はほ、誰れも
露西亜の国民性の一端に考へを及ぼすでせう。イタリアが最近自国の
オペラを海外に送つてゐるのもかやうな見解に基づくものです。宣伝
が下手だといはれてゐます我々日本人は、かかる有力なる武器に無関
心ではあり得ないのであります・

       ×       ×

 右のやうな理由で、音楽に対し関心を持たなければならぬ、政府の
文化政策の一部として音楽に対し政府としての方策を持つことが必要
であると考へまして研究して見ますと、音楽に対しましては、国なり
公共体団なりが、奨励保護してゐをしる[ママ]と云ふのが世界一般の現象で
あると云ふことが明瞭になつたのであります。
 すなはち欧米各国では、何れも首都には国家の補助してをります国
立オペラがあり、地方の大都市には市が援助してゐる市立オペラがあ
るといふ風になつてをります、我が国では従来そこまで行つてゐない
のであります。之れが我が国では音楽家は教職とか何か副業を持たな
ければ立行かんと云ふことの、大きな原因かと考へます。それで、こ
の方面の十分でないところをおぎなうことが第一点だと考へたのであ
ります。而しこの物的方面に対する政策だけでは十分とは申されませ
んので、心的方面にも工夫しなければならないのでありまして、音楽
の題材なり、構成なり精神なりを我が国の伝統に即したものにするや
うに仕向けるといふこと、すなはち音楽はいま一層御国風にしなけれ
ば、我が国の音楽としての特長が無いといふことに帰結するのであり
ます。
 かく物心両面から対音楽政策を考へて見て、愈々実行しようと思ひ
ますと、我が国の楽壇は大変な状況であります。何れの国でも大体同
様な状況でありますが、我が国のは野生だけに楽壇は無秩序です。群
雄割拠、戦国時代の有様です。作曲家はその群の内で別々、演奏家と
作曲家とは何等連繋なしといふふうであり、批評家は之れまた各人気
ままの立場で評論をやると云ふふうであり、教育家は多少系統がある
やうですが、而し他の部門には連絡が無い。オーケストラは漸くでき
かかつた体といふふうで、実に各派分立、無連絡、孤軍奮闘といふ状
態であります。私は之れでは駄目だと考へます。各方面一致団結して、
職域奉公に励まなければならない現時に、楽壇だけがかやうな状態で
は、対音楽政策も実行できないのであります。この方面にいま一層秩
序が立ち、組織が出来上りますと、我々と致しましては、交渉を持ち
奨励、助成といふ方向に進みたいと考へまして、楽壇や大政翼賛会な
どと御相談をして、先づ無理の自主的秩序化を計ることと、致してゐ
るのであります。なかなか議論百出、思ひがけ無いやうな意見などが
ありまして、遅々として進捗しないやうに聴いてをりまし。而し遅か
れ早かれできることだらうと思ひます。我が国で楽壇だけが外の芸術
部門に劣つて、自分の任務を自覚することができないとは考へません。
必ずや我が楽壇も秩序化され、組織せられ、我々と文化政策方面から
交渉を持つことの出来るやうになるだらうと存じます。

       ×       ×

 右申したやうに、我が国の楽壇が一定の秩序化されました頃には、
私どもとしては、この秩序化されました楽壇に対し、援助をするとい
ふ方向に進みたいと思つてをります。
 その方向は物的方面に於いてもやりますが、この方面は他国のやう
には急には参りませんから、第一歩から始めたいのであります。もち
ろん十分ではありませんが、何れにしろ始めます。第二には心的方面
に於きましても、いま以上楽壇内部に於いて相互に援助補助しまして、
我が国の楽壇が全体として進むやうになり、従来のやうに単に外国の
みを顧みないで、自分達から出るといふ方向に進んで行きたいと存じ
ます。
 右両方面に於きまする実際の対策は、何れその内申上げる機会があ
ると思ひますが、今晩は単に大体の方向、考へ方を一申上げまして終り
と致します。

                            (六月十四日放送)