文化政策と演劇・映画 情報局総裁 伊藤述史

第一周の土確放逸で.情報局の増榊と役目を御話した特に申したヰ
ぅに、情報局では園策の宜伸せ及をなすのであるが、その形式は席々
あつて、女化といふ方面にも常然師係†るといふことを楷した。
 ここでは文化一般に関することを詳論するのではないが、文化の留
寮生活に於ける悪事性に蝕みて、文化に対しても】宅の方向づけが必
黎であきしとはいふまでもなく明白なことである.−定の方向を定め

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ると、この方向によつて招魂ナる.すなはち決澄した方向に咤封nる
やうなものはこれをやめて聴き.方向に従つてゐるものほ輿伽すると
いふふうに文化に掛しても働きかけるのである.これほ一所り政拍で
あつて、近来文化政策といはれてゐるも∽である。政府柑常に又化政
策を行つてゐるのであるが、情報局では.鴨にこれを罪祀して、性行
の一入に嘗るのである.
 文化政雄ほ、南米の普及架行といふガ面から放てられるのであつて、
国難はその紬日についてほ、時とともに襲化するが、大木は鍵巾無い
のである.我が酌に於いては、この賄を特に申さなくともよいほど明
腑である.すなはち「同饅の明敏と戦機」である。これが時と物とに
上り、種々な形式で現はれてゐるのが飯米である.酌策はかくあらね
ばならないである.徒つて文化政策といつても、その板木を見ろと、
簡単に申ナことができるのである.
 併し、架隙に潜ると非常に複蛾で、簡早にはさらないのである.そ
の理由は、第一には文化ほ非常に庚い髄朗に亙つて、園民生暗に牌係
をもつから、その全般に古つて政雄の甥行は、♯洋上なかなか閃難が
あるのである.第二には文化は常に払漁化された形式で常々に接俄†
るのであろが、その具浄化された常後には、恩想感情があろじ具浄化
と抽象、表現と背後、常にこの間囲む考へなければならないので、文
化政策といつても、甥瞭は箪なものでないのである.
 蕗椎について見ると、これがよく腺解されるのである.酵術は特に
具椎化された形式で、青々に捷桝を悍つのであるが、その表現された
形式の背枚には、感情な巾盈Wなりが存在するのである∨サ瞭一曲の
藁を聴く場合にも、これ拝辞白いとか面白くないとかいふことは、
各人比較圏e易にいへるが、これが宜しいとか、宜しくないといふ刺
濯を下†ヱとほ、なかなか容易ではない0 この兜しいとか宜しく無い
といふことは・もちろん文化政報で填めた方向から見山上∈のことで
ある。演劇について考へ丁も同様である、域・心芝鰐を促て、その】碁
または全部ハ背後には如何なる思想があるかといふことの判断は、非
常に銅難な場合が生ヂるのである.稚九かが申しましたやうに、息想
は恰も察罵りやうなもので、どこへでも浸入つて行つて、そのものの
薮を不知不評のうちに好へるものである.上く任意して怜討すると、
一幕の劇り中にも非常ド危瞼な思想が巧妙に繊巾込まれてゐることあ
がろのである.
 右のやうに文化政絶として一定の方向を食めて・も、その甘行といふ
ことはなかなか容易ならないといふのが七億である。併し符易ならな
いといつて放つておくhけにはさちない.特に我が軒の現下には.是
非文化政策の確立と、これが架行を必要とするのである.土曜枚蓮で
度々繰返して申しましたやうに、我々は今開槻以氷の難局に檻庇して
ゐるのであつて、南民挿紳の帯揚と同氏の緒束といふことが、粗野に
必宰な秋である。而も長期戦をやつてゐると、所叫生活の上に種々艶
化を生ずろので、その暗に乗じて、紺iも丁る′思想の混乱が生じた
ウI甘たは一寸日に見えない生活方面、すなほち鍵味や席生活の分
野に面白くないやうな規凛起ることもないとは限らない.また他方
非常時丘倒下で.各人が大いに勤労奉仕をやる.それに伴つて多くの
樹賓を求めるといふのが人別一般の頼向であるので、自懲悪仰や坂似
の万両の宰求が堵してくるといふこともあるのであろ.之坤の理由に
よつて、萱我か何で杜文化簸といふものが、非甘に長平な態昧を
(川)
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lち、−q大な役山切をなナのである.
 とこJには文化政熊山般に鵜したことで撫〈、範師を鈷腑方面、特に
耽点映取に眼つて、その万両で情報局は如何なることをなす考へであ
る恥といふ搬計、簡単に逃ヾることとナる.
 洪劇や映士が酌民生活上にもつ定額牲については、いまさら申す必
零はない.昏々の内には映‡ほ女手と同等の五平性をもつやうになつ
た人もあるといふことを開いた佗であろ.左様な次第であるから、現
在のやうな難局に普つてほ、是非映車や済劇に射して窮策の扱に治つ
て進むペきであることを求めなければならないといふことも明瞭であ
る.堪紬は人憫の壊術的創治カを必撃とするから、決盤な統制むやる
と、亜術を準稲させろ成れがあるが、併し破術であるからといつて、
困難と無関係でやれるといふ理由ほ撫いのである.政府は映‡、済朋
に射して、一定の方向に進むことを要求するものである.すなはち映
‡桝劇に掛しても、】定の指縛を架行しなければならないのである.
指群統制は梢エもすると.消極的方面のみに考へられやすいのである
が、これだけでは†分で無いので、その反面には棟糎的に奨伸し、覚
捧するといふことが無ければならないと息ふのである.
 支那串誕以来文化政策も架行されてさったが、また同時に文化創造
者の方でも、その箕現に協力せられてゐることも明白であるD文化各
方面の分野に於いて、いはゆる閑雑物が流行してゐるといふ状況であ
る.酎策物の中にほ大いに緒構なものもあるが、中には瞭物と恩はる
るやうなものも見受けられる.かやうな現象教生ずるのは、努ひ防止
できないことかとも鳳はれるが、大いに考威しなければならない肺で
あるゥ映藷、済劇に封しても、夙に閉鮨に従ひ、而も鞍術的に☆昨な
もので無ければ、司民を引きまはしたり、著せしめたり、几の_費
を輿へたりすることはできないと息ふいであるPかかろ映血I、淋朋が
規はれ拙るやうにといふのが、文化政策りわらいどころであろ¢併し
換術難の方南から見ると、右のやうなことをいふことは容易でも、そ
の♯現は非常に六ケ敷い仕串であるといはれるのである.
 雪々としては、このカケ救い仕事をいくらかでも容易にしようとい
ふこと軒考へなければなムないのである.これが今岡先づ渦倒.映l
に射して助成麓の方法を舐ずることとなつた創出である.鮎単にい
ふと、滑劇については、代表的な劇敬を十放簡斬.映♯につきまして
は代衆的な製作所六簡桝を法定して、それぞれ作まと協力して、鹿の
意味に於ける粥民演劇、国民映尭を創つてもらうといふことを、針王
政したのである.而して、右に射する助成奨励の意味に放いて、等
なるものむ表彰することになつてゐるのである.また硯時沢舶映♯に
とつて課変なことは、脚本を得ることであるから、この万両の不振を
打開する広めに、一般から脚本を募集することにしたのである.之等
はその郵床評細を新和で襲表したから微乗知のことと卦ずるが、改め
て・甲上げておく。
 情報局がかや〜な軒丑を立てたのほ、文化政雄に⊥つて、開始を無
官のうちに正しい方向に銃】し、憲下に忙し〈働いてをられろ国民
の生活に洞ひと、市費とを輿へ、脚印以来の】挙局を突破し、我々の‡
大使命をカ独〈繁行せんが食めであることを、特に中瀬へる衣藩であ
る.                ハ五月ニ†四日放抵)