国民演劇、国民映画 情報局第五部第二課長 不破祐俊
いま我が国が長期戦を闘ひ抜き、東亜に於て輝かしい新秩序建設の
大使命を達成するためには何よりも先づ揺ぐことのない強い国民精神
を培ふことを必要とすることは申す迄もありません。そのためには何
として文化政策を確立し、その上に文化のあらゆる部門を動員するに
都合のよい仕組を整へ、真の国民文化財としての働きを十分に発揮す
べきであります。さうしてこそ、情報局本来の使命の一つとしての啓発
宣伝政策の目的が完全に達せられるのであります。それ故、情報局とし
ては、関係官庁と力を協せて国民文化の発揚を図り、啓発宣伝政策を完
全に実施するため種々な方策を樹て、且つ又、実行してゐるのでありま
す。演劇や映画も亦、当然、この考への上に立つべきでありまして、情
報局第五部に於きましては真の日本的な、立派な演劇、映画が次ぎ次ぎ
と現はれることを希ひ、いふ所の国民演劇、国民映画の樹立、促進に対
します計画を順次具体的に実行に移さうとしつつあるのであります。
先づ演劇に就て考へますならば、我が国演劇の源をなす古代の演劇
的な種々な営みは、日本国有の国民生活を反映したものであつて、其
処には大らかな、そしてすこやかな国民感情が写し出されてをりまし
た。然るにその後のみちすじを顧みますと次第にいろいろな事情のた
めにこのやうな傾きがそのまま伸びて行けない結果になつたやうであ
ります。
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例へば歌舞伎は我が国伝統芸術の最もすぐれたものの一つではあり
ますが、国民生活が時代につれて変つて行き、殊に明治維新以後の社
会情勢の急激な変化に即応することが十分でなかつたのであります。
つまり国民生活が急激に進みつつあるにもかかはらず、演劇の取扱ふ
中味がそれから取残されたために、その演劇はいはば表現の形のみが
残されてゐるに過ぎないやうになつてをります。従つてそのやうな演
劇の表現の形を理解することの出来る特別な教養や趣味を具へてゐる
ものでなければ楽しみ得ないものになつてしまつたのであります。
新派劇も今日では大体これと同じやうな姿を示してゐるとしか思へ
ないのであります。新劇も亦今日まで相当永い経験を経て、技術的に
も可成り優れたものを示すには至りましたが、新劇は元来、ヨーロッ
パの近代思想に育くまれて発達したものであります為に、ややもすれ
ば我が国固有の国民精神と相容れないやうな思想のあたたまる場所と
なつたものもありましたことは私の深く惜しむ所であります。
次ぎに映画はどうかと申しますと、映画は外来のものであることは
御承知の通りであります。我が国で映画が製作されるやうになりまし
た最初の頃はただ単に芝居の舞台そのままを写し、いはば芝居の代用
品といふやうなすがたを呈してゐたのであります。その後外国映画の
刺戟による映画技術の発達によりまして次第に演劇とが別に、映画独
自の世界を拓いて参りました。然しながら映画は尚その歴史が浅く、
短い時間にめまぐるしい発達を遂げ、又常に外国映画の影響、刺戟を
受けつつありますために、その形に於いても、取扱ふ中味に於いても
未だ既の日本的性格を持ち得ない実状に在ります。映画が徒らに大衆
の好む所に迎合する感覚的刺戟に過ぎないといふ風に考へられやすい
ことの原因もこのやうな点に存するのではないかと考へます。
然も従来国家は演劇にせよ映画にせよ、その弊害をおさへようとす
る消極的行政の面に対しては相当取締つて参りましたが、併しより積
極的にこれらの文化財をよく育てあげてこれを国家目的のために活用
するといふやうな面に於いては甚だ不十分な憾みがあつたのでありま
す。それがために、我が国の演劇映画界に於いてこれを革めようとし
て涙ぐましい努力を払はれた人々が少くなかつたにもかかはらず、そ
れらの人々の折角の努力も強い一般の動きに押し流されて「悪貨が良
貨を駆逐する」やうな結果に終つたことは残念な次第であります。
ききに政府か映画法を制定して、映画の質的向上と映画事業の健全
なる発達とを積極的に図らんとする映画政策に乗り出したのも全くこ
の点に鑑みた結果であります。然らば今日、国歌は演劇・映画につい
てどういふことを要求しようとしてをりますかといふことについてみ
ますと、今日の我が国の演劇、映画は先づ第一には、国民的性格を持
つてゐなければなりません。即ち日本人の伝統的性格を正しく反映し
たものでなければなりません。いかなる題材、いかなる形式によつて
もそれは常にわれわれの歴史、われわれの国士が培ひ育てた日本人の
生活感情、日本人のほんたうの心の美しさを深く掘り下げたものでな
ければならないのであります。それはやがてそれを観る人々に対して、
日本人としての正しい自覚を呼び覚まし、その自覚を我々の毎日の生
活の上にあらはすための努力と精進とを力づけるものとなるでありま
せう。かくてこそ演劇、映画は常に高い国民理想を具体的にあらはし、
国民文化の健全な進展を意図する指導性を持つことが出来ると思ふの
であります。
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さう申しましても、それは決して無味乾燥なお説教のやうなもので
あつてはならないのであります。指導的なものが、芸術として立派に
こなされてゐることが必要であります。さうあつてこそ第二に「国民
のために」といふ性格が生れ出て来るべきであります。それには国民
すべてに愛され、理解され、国民すべてに深い感銘を与へ、国民すべ
てに如何なる逆境にも堪へ、如何なる艱難にも打克ち得る希望と力と
を与へるものとなるでありませう。
これを要しますに、国民演劇、国民映画とは真の生活に根ざし、
然も日本国民としての希望、輝きある生活がとり上げられ、国民すべ
てに健全な思想感情が育まれるものでなければなりません。演劇、映
画のもつ高い指導的な働きと深い芸術味とは、国民の生活に深みを与
へ、豊かならしめることによつて揺ぎなき国民的自覚を培ふものであ
ります。
先程も申し上げました通り、現在我が国は非常に難しい国際情勢の
裡にあつて東亜新秩序の建設といふ重大使命の遂行に国力のすべてを
挙げて邁進しなければならない時であります。われわれはこの重大時
局下に於ける国民の士気を鼓舞し、その生活に歓びと潤ひと力とを与
へ、日本民族の発展に寄与すべき真の国民演劇、国民映画の出現を図
ることが最も必要であると信じます。
この国民演劇、国民映画の確立を促進するために、情報局は色々と
具体的に計画を進めてをりますが、その一つとして、先に十幾つかの
演劇団に委嘱して、われわれの理想とする国民演劇を目指すやうな優
れた上演の行はれることを期待し、六大映画会社にも委嘱して、国民
映画のよき見本を得るの道を拓いたのであります。
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更に今回、国民演劇、国民映画のための脚本を一般から募集するこ
とになりまして週報二四一号及び数日前の諸新聞に発表致した次第
であります。どうか振つてこれに参加されまして、真の国民演劇、国
民映画の樹立に力を協せられますことを期待して止まないのでありま
す。 (五月二十日放送)