人口問題と国土計画  情報局総裁 伊藤述史

前閻には時局の馬め軋が隣人的資源に生じた欒勤と∵しれに封†る
措放として、券激動良計幹.弊務移動防止、勤労桝捜制摘水準のこと
を検討したのである.綺緒として弊耕謂嫉にも、その棋抵をなすもの
ほ将帥カで而き」れは動野者自ら、舛の正しい軌弊晰を立て・蝶蹄
するより外に無いといふことを申したのである0

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 我が国の鵠状は右の理想すなはち常環の苅現にまで到らないで、労
務網脇は困搬であり、貰需要は供給を超過するといふことで、特に
‡離着地びに解放差者に於いて著しいのであるゥ盤発寒もまた老年
老癖人が代行してゐるのも事‡である.右のやうに要的考盤ほ別とし
ても、允的ほここでは土は数といふ方が通常であるから敗的方面のみ
を見ても、労務不足といふ現象が我が園の♯状であ勺花畑である・
 大漁照史から見て、事建とか取替がト琴Q場合に、大岡では労務不足
といふことは普通の現象である.ネ同の酢研に於いてドイツは約千束
を動員してゐるといふ。入千貰の人口に射して千萬といふ比例になる・
我が函では七千五官苗に封して教官富と云ふ比例になるから・次が囲
とドイツは閥構や繹済技術等が異なる忙しても、我が国の普ハ赦の姥
例は、非常な高率に適してゐるといふ状態で無いことだけは、ドイツ
の例と比較すれば、判明することである。而して現に我が威では・弊
教不足−接術者や熱線労務者は別として、堺教の紹封敷の不足といふ
現象に出合つてゐるのである.
 労務は人間の瀬供するものであるから、芸不足は人憫不足といふ
こととなるので、ここに人口問題七いふことが考赦せられなければな
らね賓情となつたのである.人口憫鳩は何も昨今のことで無い・背か
ら、且つ世界各地で研究され、激論された尚顧である一現に時最以前
でも、大開にはそれぞれの人口閃温があつたのであるゥ
悌園では人口は殆んど減少に近い状態にあつたので−人口滅少防止
と人口檜加といふことに非常に苦心努力してをつたのであるくで人口
問題といへば人口増加簾といふことになつてゐたのである・
芽園では人口液少とまで行かなくとも、人口構成に菱勅を充たしl
老年暦の青年庶に野する比例が増加して行く傾向にあつたので・人口
閉窟はこの粘から研究されてゐたのである.米園では移蛙民無くして
は、人口椅加が無いといふ状態で、移伴民間壌が人口胴馳の中心をな
してゐた0粍伊南麟では人口増加策といふことが、人口同席の中心を
なしてゐたのである。大願中で人口阿昏に時に頭を悩まさないでも.
人口埼加を見てゐた囲は、献聯くらゐなもので.我が励またその】で
九あつた.
我が国では帯艶前毎年の人口檜加約官亀と弼Lてをり・人打者址は
(1y)

自然現象で防止†ることはできない.鋳ろに観土挑少である籍め、各
般の困難が生ずる。多大の人口を養ふ鳥めに工業を起さなければなら
ぬ0∴菜は輸出を必酵とする.耽が輸出貿易は人口檜加から氷る必然
の要求であろ.これを防止するに於いては、椅加人口を筆ふ馬めに、
他国に進出攣果しなければならぬといふのが、我が園内外の国策の板
抵をなしてゐたのである.すなはち内治外交は人口埠加といふ事丈を
椀つて主準決定されてをつたのである.真那‡誕前までは右のやう
に人口塘加と併行して、どちらかといへば「労務過剰」といふ方であ
づて、労務不足といふことは稀であるが、我が閥の状態であつた.も
ちろん前岡に地べたやうに、滞洲事菱以来我が園の工業が蒙趨して参
り、時に宜エ黎部門に多大の盤象を必宰とすることになつたので、従
来の胎動筋力は、漸宰〕の方面に吸収されて参つて、支那有難勃数昔
時では、犬挽我が園の慈は・需給均衡を維持してむるといふ状態に
なつてをつたのである.従つて、人口開廷も支那事艶を鏡として、そ
の租を異にするやうになつて衆たのである.
 前に沌ペましたやうに・表郷孝雄を境として、我が駒でほ入日伺題
が斬らたな局面を尿関することになつたといふのは、前[から述ペて
ゐる勘賽事の尊と、その頼果生じた掌不足といふ拙から、弊新
著赦すなほち人口倹「といふことになつて来たのである.この外にも
倍二つ人口襲、我が国で祈らたに薫頭性を有すろやうになつた盤
由がある.それは、大東誰共紫朗の建軍と、而もその建設にほ次が歯
が中心となつて行かなければならぬといふ零求であるP前者ほ閑内の
事情が檻猿麻掴であるし、薯は国外の挽由が溝撲理由である.和し
何れにしろ人口圃潜を・斬らたな叔察掛から瞼附して行く必単に迫ま
られたことだけは事‡であり、現女である.もちろん浄水犬的として
世界新秩群維持に大なる役目を果す積めには、我が囲民が質はもちろ
ん、欺に於いても大圏民となるのが前放であることは、いふまでもな
い・小人数の国民は決して世界の秩序維持の役目を果し得ないことけ、
歴史上明々白々の事箕である.
政府でもこの粘十分承知してゐるので、その対策を講ずることの急
猿であることを信じ、決定したのが本年言の「八日政策確立香彗
といふものである・その鶴旨を申1げると、我今日木材民現下の五大
依命は既に申上げた通り・大来聴共発願の確立であつて、その目的凄
成には・一方我々が先導者であるといふ貸任、自発と他方その賀我を
文行し得る清めに−日本園艮が数に於いて犬となり、梵に於いて止募
なものになるといふことの二僻件を必婆と†るのである.前憎から申
上げました葛不足の鵜めの人口増加といふことも、常然この内に含
まれてゐる本文である・而して今Hの樹勢を見ると、我が人口の賄未
は、必らずしもこの使命箋別に十分であろとのみ欒俄してはならない
のごあつて・柏常の努力を必宰とするのである.それで政府は昭彗−
†五年内地八人口→億といふ日揮を決定して、その光現に邁弛するこ
ととしたのである・これは現下の状勢からして舟てた目標であつて、
日本民族悠久の襲座の一段帽に過ぎないのであるが、少くと1最下の
閉媒使命達成には・鬼非必襲であると倍ずるところに目械をおいたわ
けであろ0雨してこの人口噛加を計る紹めには、ニ定は出産率の増
加とい・でしとの必沓なのはいふ1でもないが、他方死亡率、特に乳幼
鬼の死亡を防過しなけれぽならないのも浩然である.この師8的達成
の巧めには、鞘種の施設を払ずる必婆もあや、また喝Tる決むであろ.
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この恥で良くさ考となるのはフ,ジスト伊珂とナチスドイツに於いて
−I拝されて卓つた蒲方液であろ。
 而して人口の増加といふことは、故の柑†ことを忠味するのは明快
であるが、同時に人口の質の饅穿といふことを、意味してゐるのであ
ろ.}家でも左様であつて、粋山の小供があつても、皆桔梗や崩懲の
ものでは役に立たないのみか、朝つて負故になると同様に、開局とし
ても担架ほもちろん心身L催秀なる人間を幾り上げるといふことにな
らなければ、人口政能といふ裁から見ても、完全で無いのである.こ
の粘から見て凶土計尭が非常に鴛単になつてくる。†なはち放村にl
帝政の人口を維持し、徒らに膨大な都市集結を防止するなどといふこ
とも、またその一つである。
 政府に於いては、之等汚施設中可成速かに代行可関性のあるものか
ら、漸次やつて行く方針であるが.併しこの人口政策の液挽くらゐ園
民各位の協力が無ければできない政策は無いのである。この鮎は数明
しなくとも明似である。覿民が人口政雄墳行の必中を理解して脇カナ
右といふことが第一であるが、耐し私はそれでは未だ十分であるとい
ふまではゐつてゐないと思ふのである.必中だとか不必婆だとかいふ
翔漁上の理解を得るなどといふこと無くして、それが自然になるやう
になつて行つて、初めて人口閃指の完全な憾決を見るのである.否人
口閑樫といふことが起らなくて済むやうになづて、初めて瑚愁の域に
達するのだと考へてゐる.そのためにほ施設や墟停も必要であるが、第
lに大切なことは国民各自が、その使命と来任を由党するといふこと
だらうと存ずる.すなはち我々大和民族ほ永速に準足すヾきもので、
常にそれは民族としてであ々、その粘から家が中心、兆離である・」の
蒙.堆つて靖漢といふものが大仁なり、良くなるといふことが、頻◆
威民の}負とLての任巷であるといふことを自♯し.その拍倉を出兵
鮎とし、之を‡行†れば宜敷いのでは無いかと息ほれる.滑康方面か
らいふと従来行はれてゐたやうな個人中心義弟や、個人事奨思想や.
それに基づく壷鬼制限の軋勃を排除すろことで為って、領庵的には薮
と民族中心主革民族共集思想−これに基づく民族捗鵬といふこと
である。
人口政鮫架規は詞埼各位の膏任であるが∵」の鶴では特に御府人方
の協力、杏焦行を持つことが非常に犬であるから、重囲の郷婦人方に
特に今馳の御許を申上げる次第である.  (五月十七8盤彗