戦争と宣伝 情報局情報官 上田俊次
皆さん、地球の東には大東亜共栄圏確立のための、聖なる戦争が正
に四年に亙つて続けられてをります。申すまでもなく私達は、いま一
人残らず皇国日本の運命を賭けた、大戦争を遂行であります。一方
西の方を眺めますと、ここにもまた欧州新秩序建設の為め、独伊両国
が血みどろな努力を傾注致してをります。世界は交戦国たると否とに
かかはらず、挙げて超非常時にぶつつかつてゐるのでありますが、戦
争の進むに従ひ、情勢の緊迫するにつれて、前古未曾有の大規模な、
そして深刻な宣伝戦が繰展げられてゐることを、夢忘れてはなりませ
ん。
およそ平時たると戦時たるとを問はず、国策遂行上宣伝の必要なこ
とは申すまでもありませんが、殊に戦時に於きまして、巧妙な宣伝は
形の無い武器として、極めて強い力を発揮するのであります。
第一次欧州大戦の後、敗軍の将カイゼル・ウイルヘルム二世が、「予は
戦争に負けたのではない。英国の宣伝に敗れたのだ」と長嘆息したこ
とは、有名な後日譚として、いまもなほ伝へられてゐますが、当時英
国の宣伝が、どれほどドイツ軍の士気を沮喪させ、ドイツの銃後を掻
き乱し、或ひはアメリカをイギリスの味方に引き入れて、参戦させる
のに大きな效果を奏したかは、蓋し想像に余りありと申さねばなりま
せん。かくて宣伝は四十糎砲や、急降下爆撃機や、潜水艦にも劣らぬ
極めて有力な武器として、近代戦に無くてはならぬものとなつたので
あります。ところでややもすると根も葉もないことを真実せらしく言ひ
触らしたり、わざと事実を曲げて伝へたりすることのみが、宣伝であ
るかの如く誤解せられ易いのでありますが、之等はいはゆるデマであ
りまして、宣伝ではありませぬ。蒋介石政権が行つてゐるのが、この
手でありますが、デマは一度化の皮が剥がれますと、以後その国の宣
伝は信用せられなくなるといふ、逆作用を生じます為めに、現今では
必らず事実に基づいて、而も最大の效果を収めることが、宣伝の本筋
となつてゐるのであります。もちろんデマが跡方もなく消去つたわけ
ではなく、殊に戦時に於きましてほ、とかくデマが横行致しますこと
は、皆さん御承知の通りであります。
さて、以上のやうに宣伝の威力が実証せられまして以来、各国はい
まさらの如く、之に非常な関心をもち、昭和五六年頃から相次で政府
に宣伝機関を設け、平時に於きましても、政策と併行して、否政策よ
りも一歩先んじて、之が宣伝徹底に努めてをりますが、中でも前大戦
の苦杯を忘れ得ないドイツは、特に之を重要視し、昭和八年ヒツトラ
ー氏が政権を握りますや、尨大な宣伝省を設けて、国策遂行の重要機
関の一つとしたのであります。今回の戦争勃発前数ケ年間に於きます
る、ドイツ外交の数々の成功の蔭に秘められた、宣伝機関の活躍を顧
み、また戦争勃発後に於きましても、ドイツの宣伝陣が終始英国のそ
れを圧倒してゐる点等を考へますとき、前回の大戦と比べて、寔に興
味深いものがあると思ふのであります。
さて戦時に於きましては、第一に敵国の前線将士の士気を挫くとと
もに、その銃後を攪乱し、敵を内部から崩壊させるやうに図り、また
敵が聯合軍であります場合は、之が離間を策し、第二は中立国に呼
掛けて、之を味方に引入れ、または敵側につかせないやうにし、第三
には自国民の精神を奮ひ起させ、或ひは同盟国のある場合は、一層そ
の友好関係を持続し、提携を強からしめるやうな目的達成の為めに、
宣伝が行はれるのが常でありますが、現在ドイツや英国の遣り口を見
ますと、最も力を入れてゐるやうに思はれますのは、第三国に対する
宣伝であります。
つぎに宣伝の内容は。その対手と目的とに依り、或ひは戦果を誇張
し、或ひは対手国の国内不安を大きく取り上げるなど、千差万別であ
ります。また宣伝を対手に到達させる方法も、パンフレット、ビラそ
の他の印刷物を空から撒き散らすこと、各種の通信網を動員して、他
国の新聞や雑誌などに自国に有利な宣伝記事を掲載させる方法、音楽
放送、映画、写真等を利用する方法、またいはゆる「囁き戦術」と称
し、いはゆるスパイを入れてデマを流布させ、之を吸収した対手国の
人の口から耳へと拡めさせる手段など、凡そ世の中で利用し得るもの
はことごとく宣伝の具として用ひられると申しても、いひ過ぎではな
く、また国際的宣伝戦は政治、経済、文化その他国家社会の凡ゆる面
を通じて行はれるのでありまして、宣伝が巧妙になればなるほど知
らず知らずの間に、之を吸収する場合も尠くないと考へるのでありま
す。
皆さんこの世界宣伝戦の渦巻の中にあつて、大建設に従事する我
我は、些も他国の宣伝に乗ぜられてはなりません。と同時に考ふべ
きは徒らに筆舌を弄して、大言壮語することばかりが宣伝ではなく、
内に確固たる信念、不動の決意を蔵し、常に俟つあるの実力を養ひつ
つ、無言の威圧を示すこともまた、最も強力な宣伝の一方法であるこ
とを心得べきでありませう。而も宣伝の国、弁論の国と称せられるも
のが、いよいよその方法を洗練致しますとともに、滔々として不言実
行の力を養ひつつあることは大いに注目すべきであります。要は活眼
を開いて変転極りない事態の真相を認識し、取捨、選択宜しきに適つ
て惑はず惧れず、毅然として所信に邁進すべきであります。
(五月八日AKより放送)