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神宮式年御造営開始 神祗院副総裁造神宮副使 飯沼一省

 神宮は我が国最高の宗祀にましまし、皇室の御尊崇極めて篤く、ま
た国民崇敬の中心でありまして、四海斉しく広大無辺の神徳に浴して
参りましたことは、いまさら申上げるまでもないことであります。
 この畏き紙宮の御造営につきましては、国家の制度として、満二十
年毎に新らしい御殿を御造営申上げ、御遷宮が執り行はせられること
になつてをりまして、これを式年遷宮と申し上げてをりますことも、
之また国民周知のことで御座います。この制度に基づきまして、来る
昭和二十四年には、第五十九回目の式年遷宮が行はれることと相成つ
てをりますので、本年より国費壱千九百九拾万円を以ちまして、その
工事に着手することとなり、先般山口祭並に大本祭の日時が御治定あ
ちせられ、いよいよ明後二日神宮宮域に於いて、その祭儀が厳かに執
り行はせらるることと相成りましたのは、寔に慶祝に堪へぬ次第であ
ります。この機会に於きまして、神宮の御道営並に山口祭等につきま
して、お話を申し上げたいと存じます。
 御造営は皇大神宮及び豊受大神宮の御正殿、別宮の御社殿等実に二
百七拾余簾の多きに達し、御建物の御造営と同時に、御装束、御神宝
もまた新らたに調進し奉る御例となつてをります。
 御装束と申しますのは、大神様の御衣御帯等を始め、御殿の内外を
装飾し奉る一切の御物の総称でありまして、その品目は数十種の多き
に上り、また御神宝と申しますのは、最も貴重な御宝物で御太刀、御
弓、御鉾、御楯等御正殿の内に奉納される御物であります。
 これ等の御建物と申し、御装束、御神宝と申し、その御作には何れ
も古来一定の式がありまして、自由に変更することは許されてをりま
せん。御建物で申せば規模丈尺は勿論のこと、工法さへ伝統を重んじ
敢へて改めぬことになつてをります。例へば、木造りにしましても、
初度木造、二度木造、正寸木造の三度に行ふが如きそれであります。
 御装束、御神宝の調製に就きましてもまた、古米の式制に基づぎ、
工芸美術の精を尽すのでありますが、その材料はすべて国産品を用ひ
工法もまた伝統を重んずることは、御建物に於けると同様であります。
一例を申し上げますと、和染の染料の如きは、近時外来品に圧倒され
て、一般には殆んどその跡を絶つに至つてゐるのであります。しかし
神国日本のありがたいことには、二十年に一度の神宮の御用を無上の
光栄として、一般には需要のない、しかも経済的には採算の取れない
この和染の原料を、継続栽培してゐる奇篤な敬神家もあるのでありま
す。
 なほここに特に申し上げねばなりませぬことは、御造営の進行につ
れて、帯簡なる祭鱗が相次いで執り行はれることでありまして、余儀
の同触が別宮に射するものをも合せますれば、兜に二苫七拾於何の多
きに上ります.即ち今岡の山口柴木漆喪が柑済みますれば、木曾の御
仙山に於いて、氷る六月三日御糾始祭が行はれて、檜の大材一苗五千
飴本が仕り出され、その御桐材が伊勢に準逢さるるに歯巾ましては、
緋ポ鮎朗剋が行はれるのであります0
(31)
     こづ′、JはVめ基J
その他木祉祖始祭、
史柁餌、J柵幾、
酢舵鴨琴粁和琴紆脱税時の

流儀がそれぞれ次々に威修されて・紳々しい御所脱が檜の香も高く完
成するのであります。
 さてこの度行ほれまする山口琴木本椚とはどういふ剰憐かと申し
ますと、以上述ペました組敷響事業に討手する瑞初の紳祭でありまし
                  入 手山中充
て、山口祭ほ御憩皆用材を採る御山、すなはち掛朴山の山口に坐す帥を
お祀りして、伐木の安全を斬る糾供でありま†。つぎの大本娯は同じ
く御拙山の木本に坐す紳をお祀りして、御造営円胡中頼も抑酸なる心
術杜の顔料太を採〜奉る紳革でありまして∵1のお幾は時に撫夜梓闇
の裡に厳かに修められるのであります。
 序ながら御仙山に就いて;口つけ加へて檻き「晋すが、痕にも申しま
したやうにJしの御出轡に蓼する糾問利む採り申る削山のことであり
まして、上代は巣大紳宮ほ紳絡山を・盟壁大洲宮は尚倉山を、似て之
に発てたのでありますが、その後御用材が附く乏しくなりましたので、
紳路山、高倉山は心御耗の約料木のみを探J奉ることとなり、他の御
用材ほ今日では木曾山を御礼山に御約定の例となり、今岡もまた、良
好・眩阜開陳下に跨る御料地と御治定あらせられた次節でlります。
 かやうにして蕗i御也哲雄靖に約手されるのでありますが、これ等
の糊塗管は古エウ国家の事業として、縛僚されて歩つたのでありまし
て・今日の制定としては、治紳官位侭といふ峠別のX賦が設けられ、
潰紳宮俵に畏くも梨本宮傲↑を率赦し・その下に削佼.矧撃主串
技師噂が輝かれ・専ら御漁皆の番耕に従市政してをります。
 私ほ率にして汲紳宮使鶴職員の一員として、昭和凹年の式年剋宮に
革仕し、いままた昭利二十四年の御造営耕耗相手の淡二璧£る山口
琴木本敗に弊托するの淑渋に浴しますこし諒、甥に憤激の苧りに稚
 へまけん。
廼んで驚とともに御濃智の大業を全うせんことを期してゐる次第
でありま†。
ここに紳宮式年懲篭が慾i開始せられるに常りまして、我等田武
は・上代以来紳宮御食崇の範を示し拾へる・この酵き廉潮の艶官を革
戴して・革図表抑留率衡の誠を致し以て・慧Mに比斯警我が明晩
の締川却を襲勤して、益i天空蛎の皇窪を妖艶し奉らねばならないと
信ずる次韓であります・    (四月三十日AKより放送)