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軍の機械化に就て 機甲本部長 吉田悳

 甘は東海道五三一次を草鞋脚絆で歩いたので江戸から京へ行くのに
は.どうしても十日や二十日はかかつたのであります中併し今8でほ
特急富士に残れば、畢轟から七時間で京都辟に着きます・
 何千年の昔から、今日まで軍除は、坂上田村犀の指揮した軍牲も・
犬山元帥の満洲軍も.いづれも皆東海道五†≡次を徒渉で歩く軍除で
ぁったのであります.この頃「歩け歩け」といふ軟を子供義が歌つて
をりますが、雁山大王の軍吸も、カイゼルの軍除も、歩いてゐました・
ところが今度のヨーロッパ敬で、ヒットラーの指揮する軍除の中には、
一部ではありますが、歩かないで職を†る軍扱が現はれて衆たのであ
巾ます.この歩かない軍除がポーフンド恥場でも、フランスの群南で
も、また現に進行中のバルカン作戦でも、非常なる成力む教鞭して居
りまナことは、毎日の新開で郷党のとほりであります.
 今日までせいぜい二嘲杓外の大砲しか♯いて歩けなかづたす酸が.
三十和とか、七十嘲とかの熱帯を有つて歩ぎ、而も従来一日に五泉か
十度しか沙けなかつた雀扱が∵」の重い材胸を有つて、三十里も四十
鼻も歩くやうになつたと云ふことほ、全〈象勤務表明の御嵩でありま
す.この賓取扱が軍事上に及ぼす影宰は、いまから宵放†年前・兼汽
縄跳山狩明が麓築上に盈ぼした形鞍に⊥く似てゐるのであり†して、
蒸汽槻仰が家内工業を兼汽助力に依る大工場粗様に慶へ、薦薬事合を
漉したと同様に.襲勅縄が現はれて衆ました枯果、軍事界は日下有史
以来未曾有の革命期に入つてゐろのであります.
 そこで今日各麟と・も正十三次を歩いてゐた軍陰に、可及的早く牽勅
桝を取りつけ、全盟の凱拙む之に観照するやうに・改進中なのであり
まLて、この際ボンヤヅーてゐたり、拙いことをやれば、その珂の国
防は忽ち帆産の浮き白か見ることになるのであります.
 現在山間の文化は、蛾泡網狸達の状態を】見すれば、大漁の見曹は
っくのでありますが、今後の解験の取洞カは、その挨械化の舞狂に依
って、判断「ることが出水るのでありま†。従つて一朝の文化を弛め
る巧めに、闘中に疎通が普及することが望ましいと伺櫻に、閑防の尭
璧を期する得めにほ、黎の桝純化を徹底さすことが必黎であるといふ
ことは評論の敵地がりあません。
 そこで我が酎軍供械化の硯状はどうかと申しますのに、之を確定に
甘へま†ならば、ところぎしろに少しづつレールも布祝せられ、革も
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椚水つつあるのでありますが、会則の堵蓮椚む如何に設計し.どんな
ふうに統制組織してゆくのかといふことは、未だハタキyとしてゐな
い捏庶でありましてJ」れは祝り我が覿ばかりでなく、列強何れも略
同じやちな状態にあるのであります.現にヒツーラIの率ゐてゐるド
イツ革験の撥械化も・明治五年に新橋と橋偶の憫に汽車が粥通したぐ
らゐの程度で・その大部分は依然として、弼次超多式の軍除であるの
であります・徒つて今日両軍の洪械化が遅れてゐると心配する人もあ
り・私どもも心配しないわけでは決してないのでありますが、ほんと
の寧の鍵械化は・寧ろこれからにて、今日からでも仮さへしっかりと
決めてかかれば・革も悲軋する必中はありません.官民ともに高ま国
防観家政設の基礎は・両軍の磯械化であるといふことを、ハツヤリと
粗放し・それぞれの立租に鹿じ・努力†き;が肝襲なので、今岡囲
軍槻拭化の事業を統制促進する積めに、機甲本部が出来ましたが、私
どもその局に嘗りますものとしては、庚に‡任の重大なることを痛感
してゐるのであります.
 しかしながら−私ほ閏軍の横械北は、恐らく私どもの漁期する以上
の速度を以て、急洩な伸康を見るに相蓬ないと考へてゐるのでありま
 Lr●
 何故かと申しますのに、軍の磯城化は.ただ単に敬略とか、勒術と
 かいふ破門的な題材の1ばかりでなく、畑樹出撃手六Uニ年の長き
 打直る転変と伴続を同じくする・′大家族内の情愛と申しますか、憫
誼と申しますか・我が同氏的の感情に確固たる地盤を占めることが出
水るからであります.
私どもが晩墳で軍臨を稽揮致しまして、代務上紹封に必宰と感じま
しても・九死に一生を期するいはゆる決死的な仕事を都下に命じます
ことは、自分自らがその局に普ります上りも、遠かに著しいので、乃
木賭事の「悦づ何の髄ありて父老に智えん」といふ来待が、領く働く
のであります0酵家の篤めに最愛の子弟や敬愛する父兄を破壊に逸ら
れる皆様の心持は・重く私ゼもが決死的任務を都下に命ずる時と圃#
で、その気持があの千人針に現はれて来るのだと恩ひます.
 維に頼まれもしないのに、出征†る人々の鳥めに.両や軋も叔はす
瑞の枚や停車場に立つて、→針を苛はれる人1と、導ぶ一軒に武曹長
久の所を籠めて去る女の人1これは我が財でなくては見られないゆ
かしくもEしい銃後の風景でありまして、外甘の人◆にまで潔い感銘
を輿へてゐるといふことを吐いてをり、私はこの気持こそ世界に元た
る槻械化寧を作り上げるカであると考へるもので、この千人針を作る
人・之に一針を雫か人の池の中には、どうかこの千人針を身につけて
ゐる人には、救命不孝にして敵弾が中つても、自分意のA心で軽我の
ないやうにしたいといふ祭持があふれてゐるのであ巾ます.
 併し・今日錬の千人針を漁る押にはいかねのでありまして、「卒と兵
餓」とか、その他いろいろ教学文筆に現はれてをりま†漁り、現在で
 は執筆の菩昇の大群舟は、行軍にあろのでもりまLて、_の†人叶托
                               lF
(▲▲)
 モら一昔稀を、」■††に戦ぎないのでもb††.
 偽るに、こ九からの笹の血績械化は、斡の千人針を贈ることが出来る
やうになつたので、戦革はいまでも小銃和に勤して、兵扱を完全に掩
止呼することが山叫来ろのであります.
 どうか、会所の皆野は、それぞれの立場に臆じて、技術なり才恍を
働かし、また粍費を分推し、身命を捧げて閑防の第一線に赴く、皆線
の親兄弟の篤めに、また郷為の人々の環めに、さらに闘軍の績めに、
世界に比類のない漣秀な銀の千人掛を、沖山に冊つてZき庇いのであ
ケ††.
 私どもは背#の子弟父兄とともに、皆様の庚心を編めて作られた斬
らしい織の†人針に身を竪めて、閏防のぬ巾壷を糊†ことに、全力を轟
L狂いと息ふのであります.
         (四月十六日AKより放送)