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ユーゴ政変教繰る
パ飽カンの情勢
ユーゴスラゲイアは、昔はセルゲイア王闘と精し、一八七八牢伯柿
魯粥後狩立教しましたので、セルゲイ了見族の悟性地方た包含Lた小
閥であつたのでありまn。一九→凶年六月この闊の一小都市サヲユグ
オで短つた事件から、欧州大戦乳の堵火が出たことは倒承知の洩りで
す。錬榊大槻従、クロアチア地方及び智モンテネ〆じ王閥等を合併し
て、セルプ・ク甘アート・スログエエア王隠と耶し、間接九萬五千平
方哩、人口千大宮落といふ、バルカンの大樹となつたのでありまして、
一九二九卒以後は、さ−ゴスラグィアと公梢ナることになり普したl
 右の如ぎいはゆるヴェルサイユ膣制に依り渦犬せられました、ユー
ゴスチデイアに射し、鴇一に不満の火急を切つたのはイタリアであり
ます.これほフユーメ圃題に悶Lたことで.一九二四年緋馬條約が締
捨せられて悸馳を旦ましたl
 他尤ドイツほナチス政純樹立出猥、挽憩琴ハルカy経靖工作を進捗
せLめました結果.ふIプの特出の四割於輸入の四則はドイツが占め
るやうな状簡になつたのであります.
 右のやうに将伊のバルカン准肘によりまして、経済関係のみならず、
政治上に屯ヴ土ルサイエ膣制ほ、攻終に崩れかかつて居たのでありま
す.併しながらユーゴスラヴイアとしては、何と申しても民族がスヲ
ず郊であること−鍵鴎以来嗅闘より師辿せられた脛史、また欝聯合防
の】貝であるといふ気澤が、笹都万面に存することとか云ふ申開等に
よサし労してレ今打まで和伊仰の陣営に加ほ巾得なかつたと云ふ状態
にあつたので甚句普す。
 今許の欧州馳概数蟄以来特に伊太利と滑脱の閉敷から.ハンガリア
を免珂にルーсjニノ、ハンガリアと綿々碍軸脾憤に参加することにな
りまLたので、「ユーゴ」の立場は非野に六ケ放いものになつて窮まし
た。ドイツとしましてもその健放卸することは伯爽ず、二丹十四打者
時の首相と外相の伯締妨椚となつたことは、第二岡放遜の時に申上げ
たのでありま†が、これがユニ月二十日にほ、反掲二商件の野職む見、
逸に二十五許サインに於き山岡條約加入調印となつたのであります.
 英米側とし望しては従来の関係もあり絶えずユdコに封し、窮画工
作を怠らなかつたので、根付州は特にこれ埠の鄭を注恋しまして、敬
雫中i陳漁法を黎求せざることと、汝びにユーゴの筋土を共同にて保
畔サ右旨の柑的を興へて居る次第でありまナが、それにもかかはらず
(1ヱ〕
特に圧均短叫粗の唱かつた市部叩から、政興が泡る−」と仁なり.二†七
日ベーテル二世親政の布告、シモゲイチ将箪を苫H那と†る新政府が組
穐されました、これ等の擬渦は新関で御裸知の通であります。
 開祖は今領如何になるかと云ふことで†。で先づ英米伽の態度を見
ますと、チャーチル首相が朝禽に於いてユーゴは今岡の政挺に上り、
持己の魂を雪見したと浜祝し、イーデソ外相はデイル多様長とともに
急場三十一日アテネ市に飛来し、
さらにベルグラードにも赴く等、振
下イツのバ〃カン怖怨黎即(四月二十五日現在)
命の工作に耕走中のやうに見えますが−また米頭・も一−プ政府臣対し
て芳し「ユーゴ」がその野水伴帝の燭め侵略に掛し.担兢†る壌合に
は武凝貸輿法にユつて、†分なる控肋を揺す用窟がある、昏を通常し
てをり硬す。
 つぎに蘇聯は.ハルカソ特にスラグ園のユーゴ仁対しては非常なる関
心を有してゐることを無線†るわけにほ行かねのでありまナ.
 各国の態床ほ右のやうでありま†が、相伊側もこれに射嘩する必要
があります.
 ドイツ州では環初上り多少の故障あるべきを見勉Lてむり、冷辞に
成行を鶴望し若し、ユーゴが既に桐印せられたる條約に背反†る如き
ことある噂合には、必中なる弊に出ろ用森ある−」七を戻すといふにあ
るやうに見えます。槌てベルグラードに於ける反▲攣丁モ、均旗凌辱苓
件等の事態に封tても、直に最後意駅を吹きつける如ぎことをせずた
だユーゴ政府に射し、事態に封する明白なる赦明を黎求†るに止め、
掲公使が≡月≡†一日ベルリンに持つた堺合にも、畢に政府に報告ナ
る馬めであつて、雨間外交関係掛招を衆味するもので無いことを、明
らかにLてゐる攻弟であります。
 しかしながら.一方檻ユーゴrイツ屏留民には引揚を命じて、既に
鞭々とベル〆−フードを現実しっつある昏、新開にも報道せられてをり
ます.
ユーゴの態度が如何に数段して行くかは.閣内胴電のみでは無く、
前一英雅、萌二蘇聯、土耳古の態立と、これに射するドイツの出方と
いふことで決召されるのでは無いかと考へます..ハルカンほ者から碩
純な虞であり菅す.             (四月五日放泡〕