重慶の昨今 情報局総裁 伊藤述史
我が空軍の勇烈、無双なる爆撃によりまして、重慶市街は殆んど破
壊され、最近人口を二十三万人に制限する為め、多数市民に退去命令
を発したといふことであり、また同地方は物資不足、物価高騰で、例
へば重慶市では石鹸が一個五弗、煙草が五十本入十九弗といふ驚くべ
き高値を呼んで居り、市民の生活は非常に窮乏して居ると云ふことで
あります。物質的方面は右のやうでありますが、更に精神的方面にも
困難があります。それは国民党と中国共産党との軋轢と云ふことであ
ります。この国共両派の摩擦は昨年十二月九日重慶政権が、共産新四
軍に対して移駐命令を発したことから始まつた事柄でありますが、そ
もそも昭和十一年十二月西安事件の因縁から成立した国共の提携は、
不純な妥当でありましたので、その後屡々摩擦を繰返へしてゐたわけ
で、今回の衝突にしても遂ひに来るべきものが来たといふ感が深いの
であります。新四軍解散の問題を繞つて、共産党の対重慶態度は硬化
し、今月上旬重慶で開催されました国民参政会にも共産党側参政員は
出席せず、今後は自党を中心として新抗日政権を樹立するのだと呼号
してゐるとも伝へられてゐます。重慶側に於きましても、武力弾圧の
決意を宣伝するとともに、手段を尽して円満解決に努めてをり、参政
会閉会後も、引続きこの問題について協議する目的で、参政会駐会委
員会なるものを設置し、また、この二十五日開会の予定で、一寸延期
されました第八次中央執監委員全体会議、いはゆる八中全会でもこれ
を議題の中心として何とか解決点に漕ぎつけようとしてゐる模様であ
ります。
右のやうに物心両方面で、重慶政府は非常に困難な地位に在ります
が、而し、抗日戦を継続するといふ決意はなかなか牢固なるものがあ
るといふことは、重慶から帰ります外国人の一致して申すところであ
り、また事実だと思はれます。重慶の命旦夕に迫まつてゐるから、抗
日も永くあるまい噂といふのはどうかと思はれます。
重慶政府をしてかかる抗日意識を持続せしめまする重大な原因は、
英米等の重慶援助が相変らず継続されてゐること、否むしろ益々強化
されてゐることに在るのではないかと思はれます。最近新聞紙上で御
承知の通り、米国の特使カリー氏が重慶を訪問したのもその為めであ
ります。このカリー特使は、米国大統領行政補佐官といふ職に在つて
いはゆるブレーントラストの一人に数へられる人でありますが、一月
二十九日桑港を出発し、空路マニラ、香港を経由して、二月七日重慶
入りを致しました。その使命は、表面上支那政府に頼まれて、支那の
財政状態を調査するといふことになつてをりますが、併し、実際は米
国今後の対重慶援助について打合せを行ひ、それに関連する各般の調
査を行ふ為めであつたやうに想像せられるのであります。
なほカリー氏は、近頃英国が欧州戦争で手一杯になり、極東問題は
思ふに任せぬ状況にありますので、英国に代はり支那との共同戦線を
これまでより一段と強め、場合に依つては軍需品の補給といふ間接的
な方法だけでなく、直接軍事的方面でも手を握らうといふやうな問題
についてまでも、支那側と協議したやうな噂が伝へられてをります。
重慶側がカリー氏一行の接待役に孔祥煕その他の有力者をあて、一方
言論機関を動員して一行の歓迎や抗日決意の表明、戦果の拡大等を誇
大に宣伝し、その意を迎へようと狂奔した事実は、この間の消息を物
語るものでありませう。カリー氏一行は、二月二十七日重慶を出発。
帰米の途に就きましたが、大統領に致します報告によりまして、今後
米国の対支援助が確立することになるだらうと思はれます。
ところで、この英米の重慶援助問題と関連して、最近頓にに注目の的
となつて参りましたのはビルマでありまして、緬甸から重慶方面に英
米の物費を運ぶいはゆるビルマルートは、我が海軍航空隊再三の爆撃
に依つて、遮断されてをりますが、重慶側及び英米側の双方ともに、
相変らずこの方面を物資補給路として重視してをり、去る一月中、ビ
ルマの使節として商工大臣その他の一行が重慶を訪問すると同時に、
重慶側要人呉鉄城、続いて商震等のビルマ訪問もあつて、両者の政治
的経済的関係は、漸次緊密の度を加へてゐるやうであります。ビルマ
使節が重慶側と協議した内容は、ビルマルートに関して許祈りでなく、
このほかいろいろあるやうです。その為め緬鉄道の建設説とか、支
那軍のビルマ進駐、さらに支那向け飛行機の組立工場設立説等種々取
沙汰されてをります。近頃一部に、英、米、支三国同盟説が喧伝され
てをりますのも、かうした空気を反映するものと思はれるのでありま
す。
援蒋政策が存在します限り、重慶政府の抗日戦が継続されることは
明瞭であります。特に現下のやうな国際情勢下に於きましては、重慶
政府は抗日戦を終止しようなどとは、考へないと云ふことを申し上げ
て終りたいと思ひます。 (三月二十九日放送)