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祈年祭に就て 神祗院教務局長 宮村才一郎

 支那事変発生前のことでありましたが、数
年間豊作が続きまして、米の値段が甚だしく
下りました為め当時世間の一部では「豊作飢
饉」と云ふ、全く神明の御恩を忘れたやうな
言葉が流布されたことを記憶してをります。
 我が国のやうに米を国民の主食としてゐる
国にとりましては、平時に於いても、米の問
題が重要であることは申すまでもありません
が、現下のやうな緊迫した時局下に於きまし
ては、さらにその重要性を倍加して参りまし
て、食糧の問題が銃後の国民生活の上に、ま
た国民の士気の上に、どれほど強く影響する
かといふことは、全く想像に余りあるところ
でありまして、数年前の有様と比較して、昨
年及び一昨年の米の作柄を考へますると、国
民一般が神様の一大試練を受けてゐるやうな
気がしてならないのであります。
 今日政府は声を大にして米の増産運動を起
し、或ひはまた米食の節約や、代用食に就い
て、官民一致の協力を求めてゐるのでありま
すが、本年の祈年祭を迎へるに当りまして、
我々国民は、よく我が国の歴史を顧みて深く
反省し、真剣にこの問題を考へなければなら
ぬと思ふのであります。
 「万民をして飢えしめず、寒からしめず」と
は、皇祖を始め奉り歴代皇室の難有き大御心
であります。
 畏くも皇祖天照大神は米を以て「これは青
人草の食いて生てべきものなり」と仰せられ
また天孫御降臨の際の御神勅には、この国土
を豊葦原の千五百秋の瑞穂国と仰せられまし
て、農業立国の尊い御理想を御示し遊ばされ
てをるのであります。さらにまた皇祖は天孫
に三種の神器を授け給ひますと同時に、その
扈従の神である天児屋命と、太玉命に向つて
「吾が高天原に御し召す斎庭の点を以て亦吾
が児に御せまつるべし」と勅して稲の穂をお
授け遊ばされましたのであります。これ全く
国民生活の根源たる農業の確立を御念じ遊ば
されたが為めに外ならぬのでありまして、我
我国民の肝に銘じて忘れてはならぬところで
あります。
 かくの如く農業を以て国是と定められまし
た我が国に於いて、上代より農耕に関するお
祭が、盛んに行はれて参りましたことは申上
げるまでもありません。今日神社では三大祭
と申しまして、祈年祭、例祭、新嘗祭の三つ
の祭典が年々恒例として執行されますが、そ
の中の祈年祭及び新嘗祭の二祭は全く、農業
を中心とした産業に関する祭典であります。
 毎年二月十七日に執り行はれます新年祭と
申しますのは、「トシゴヒノマツリ」とも申
して、春の種蒔きに先立つて、穀物の豊穣を
祈り奉る祭典でありまして、秋に行はれます
る新穀の豊穣に対して報恩感謝の真心を捧ぐ
る新嘗祭と相照応する需要な祭儀でありま
す。このお祭は崇神天皇の御代に始つたとも
申し、或ひは天武天皇の時代に始つたとも唱
へられてをりますが、祭そのものの性質から
考へますと、恐らく神代の昔から行はれて参
りました手振に基づくものと存じます。延喜
式によりますと、例年二月四日を期して、関
係の諸官を神祇官の斎庭に参集せしめられま
して、当時祭祀のことを司る役でありました
中臣が祝詞をのべ、忌部が行事を執り行つて
全国の官幣社に各々、祈年の幣物を班ち、殊に
神宮に対し奉つては、勅使をお遣はしになり
ましたことが見えてゐまして、非常に盛んな
儀式であつたことが窺はれます。その後この
御儀も一時衰微し、中絶の止むなきに至つた
時もありましたが、明治二年に至りまして、
明治天皇の御聖慮に依りまして、復興あそば
され、今日に至つてゐるのであります。
 宮中に於かせられましては、二月十七日の
祈念祭当日には、賢所、皇霊殿、神殿の宮中
三殿に於いて、厳かな祭典が執り行はせられ
まして、畏くも 天皇陛下親しく御拝礼を遊
ばしまするとともに、伊勢神宮には勅使を御
差遣になつて、奉幣の儀を執り行はしめられ
ます。また全国の官国幣社には、幣帛供進使
が参向して、皇室より御奉納の幣帛を供進す
ることとなつてをります。全国の府社、県社、
郷社、村社に対しましても、それぞれ幣帛共
進使が参向いたしまして、幣帛を奉り、鄭重
なる祭典が執り行はれるのであります。
 さて祈念祭の有する深遠なる意義を当日神
様の大前に奏上する祝詞詞について考へて見ま
せう。「国民が手肱に水泡掻垂り、向股に泥
掻き寄せて取り作らむ奥津御年を始めて草の
片葉に至るまで作りと作る物共を悪き風、荒
き水に相せ給はず豊かにむくさかに成幸給ひ
て、新嘗の御祭厳しく美はしく仕奉らしめ給
へ」とあります。
 この「国民が手肱に水泡掻奉り、向股に泥
掻き寄せて」とありますは、ただにこの御祭
が神明に穀物の豊穣を祈り奉るばかりではな
く、農民が耕作の労苦を些かも厭ふことなく、
喜び勇んで泥まみれ.汗まみれとなつて、一
生懸命に、国家国民の為めに働きますると云
ふことを神様に奏上するのであります。
 また「奥津御年」と云ふ言葉があります
が、これは稲のことを敬つて申した言葉であ
りまして、我が大和民族が如何に古来米を尊
重し、敬虔の念を以てこれに対したかが分る
のでありまして、かくの如く稲は畏くも皇祖
より賜はつたものとして、永久に感謝の念を
忘れないがために外ならないのであります。
今日節米と申しますが、米を節約する心持の
奥底に、先づ米を敬ふ心、すなはち敬米の念
がなければならないと思ふのであります。
 さらにまた「奥津御年を始めて草の片葉に
至るまで作りと作る物共を」とありまして、
独り米穀のみに限らず、あらゆる作物今日の
国家の現状からおしはかりますれば、国家の
全産業の発達、国家の隆昌を祈念して聖寿の
万歳を寿ぎ奉る意義が含まれてゐるのであり
まして、今日に於いては、最早このお祭は国
民から申しますれば、農業を中心として全国
民の産業報国の赤誠を表示した、お祭である
と申してもよからうと思ふのであります。
 これら祝詞の言葉は古くから用ひられてゐ
るのでありまして、実に真剣な日本農道精神
の真髄を簡潔にいひ表した言葉でありまして
我が国民は祖先以来子々孫々この精神を継続
して、今日の我が国農業の基礎を確立したも
のと確信いたします。
 賢くも 明治天皇の御製に
  民のため年ある秋を祈る身は
     たへぬあつさも厭はざりけり
とあるのを拝します。洵に恐催に堪へない次
第でございます。
 畏くも 今上陛下におかせられましては昭
和二年の六月十四日、親しく大内山の水田に
下り立たせられて、御田植ゑを遊ばされ、また
同じ九月三十日には御親から利鎌を御手に稲
苅をあそばされまして、爾来年々このことを
執り行はれます由を洩れ承つてをりますが、
現御神の御身を以て国民の命の親ともいふべ
き稲の耕作を、御親ら御体験あそばされます
ことによつて、皇祖の御神徳を御継承あらせ
られますとともに、国民に範を垂れさせ給ふ
大御心のほどは、尊くもまた有難い極みと申
さねばなりませぬ。この尊き大御心を拝する
につけても我々一同は時局に重大なる関係を
有する食糧の確保を期するため、生産者も、
消費者も、国民挙つて一億一心不断の努力と
懸命の奉仕を捧げんことを神に祈誓し、以て
瑞穂の国の名を汚さず、上は御聖旨に副ひ奉
るとともに、第一線の将兵をして後顧の憂な
からしめ、日本民族の使命であるところの、
大東亜共栄圏の確立に邁往しなければならぬ
と存じます。    (ニ月十四日放送)