現下ヨーロッパ情勢に就いて 情報局第三部長 石井康

 いまや文字通り地球上は、戦争の雰囲気で蔽はれてゐるといつても
よいと思ひます。一方支那事変は如何になるか、欧州戦争はどうなる
か、アメリカ、ソヴイエトの出ようもこれに懸つてゐるのでありまし
て、我々は世界いたるところの事象に、関心を持たねばならないので
あります。それから欧州戦争はどうなるか、欧州の現状についてお話
いたします。
 ドイツはただいま対英戦争を中心として工作してをりますが、約一
千万の軍隊を動かしてゐるのであります。さうして欧州大陸は先づ大
部分席巻してしまひました。英国に対しては空爆と潜水艦戦とに依り
まして、攻撃を続けてゐる現状であります。また英国よくこれに抵抗し
てをります。併しながら、結局のところ枢軸側の優勢は争ひ得ないの
であります。英国の陸兵僅か百五十万乃至二百万を以て、大陸に至つ
てドイツを抑へるといふことは、先づ考へられないのであります。ま
た有力なる英国海軍を以て封鎖が出来るかと申しまするに、この前の
大戦とは異ひまして、今回はドイツは有力なるソヴイエトを背後に控
へてをり、殊にルーマニアの油田も抑へてゐるのであります。ただい
ま英国に取りまして最も大きな悩みは、英国の商船がドイツ潜水艦に
依つて、傷めつけられてゐる事実であります。一週間約十万噸に及ぶ
といふ非常なる船舶を失ひつつあるのであります。そして事変始まつ
て以来、既に海底に送られました英国商船隊の総噸数は、いろいろ計
算がありますが、先づ四百七十万噸位とせられてをります。これは英
国所有船舶の二千八百万噸に対しまして、非常なる割合であります。
 然も英国の造船能力は年二百五十万噸位のもので、軍需品の輸送、
或ひは英国生産力の維持拡張に、一大暗影が投ぜられてゐるのであり
ます。最近まで英国の必要とするものは一に飛行機、二に飛行機であ
つたが、規在では一に飛行機、二に船舶でなければなるまいと思ふの
であります。またドイツ空軍の英国爆撃も、全く手厳しいものであり
まして、ポケントニ、ワミンガム、プリストル等へ集中爆撃を行つて
ゐるのであります。さうして如何に劇しいかといふことを数字で一寸
申上げますと、空襲に依る一般人の死者数、即ち戦闘員ではありませ
ぬ一般人の死者数でありまするが、これが九月は六千九百五十四人、
十月に六千三百三十四人、十一月、四千五百八十八人、十二月、七千
三百九十三人といふ多数に及んでゐるのであります。重傷で入院した
者はさらに多く、九月には一万六千十五人、十月には八千六百九十五
人、十一月には六千二百二人、十二月には五千四十四人と公表されて
ゐるのであります。英国爆撃機の劣勢は蔽ふべきもないのであります
るが、英国は戦闘機に於いては相当優秀なものを有つてをりまして、
かなりの抵抗を試みてゐるのであります。一方英国が四千粁の海峡を
隔てて、ドイツに対してをりますこと、またその海峡を守備するのに
優勢なる艦隊を有つてゐるといふことは、何と申しましてもドイツが
英国攻撃に手を焼いてゐる理由であることは言を俟たないのでありま
す。尤も英国の持つ急所といふものは、何も栄本土のみに存するので
はなく、他にもあるのであります。地中海はその一つでありまして、
この方面から攻撃を加へることも有効なのであります。
 茲に於いてか、この方面に於いても活溌なる戦闘が開始せられてを
ります。主としてイタリアが場面を受持つてゐるのでありますが、こ
の方面に於いてギリシア軍の善戦、エジプトに於ける英軍の優勢等に
依りまして、洵に遺憾でありまするが、友邦イタリア軍は非常に苦戦
をしてをります。
 大戦二年目のなかば孤立無援、存亡の危機に追込まれました英国も
些か愁眉を開いた感があるのであります。二、三箇月以前には、ドイ
ツはこの方面はイタリアにまかせまして、自らは主として対英攻撃に
専念し、結局英国を屈服せしむることに依りまして、自ら東部地中海
等も解決するといふ態度をとつてゐたと思はれる節があるのでありま
す。しかしながら、最近はイタリア軍の苦戦状態を見まして、やはり
この方面に於きましても、積極的に出て来たと見られる現象が多くあ
るのでありまして、新聞でお読みと思ひますが、イタリア南端とアフリ
カとの間で、この海上でドイツの急降下爆撃機に依りまして、これは五
百瓲の爆弾を持つて行くやつでありますが、これに依りまして英国の
巡洋艦が非常なる打撃を受けたことは御承知と思ひます。これはドイ
ツに取りまして、軍事上非常に有意義なことなのであります。ドイツ
としては、さらに東部に対しての工作といたしまして、ギリシヤを抑
へ、延いてはトルコに圧力を加へなければならないのであります。ギ
リシヤの北にブルガリアがあり、その北にルーマニアがあるのであり
ます。このルーマニアは既に三国同盟に参加してゐる国柄でありまし
て、ドイツ軍は昨年十二月初頃までには三、四万の駐兵をしてをつた
のでありまするが、最近は非常に増やしまして、三、四十万に激増し
てゐるのであります。さうして機械化部隊及び山岳部隊も加つてをり
ます。また政治的には親独的でありまするところの、アントネスコを
擁立し、また経済的には十二月四日ドイツ、ルーマニア間に経済協定
を成立せしめまして、これまた完全に優位を占めてゐるのであります。
ドイツとしては、この地方は現在相当なる決心を有してゐるものと見
て差支へないと思ひます。ブルガリアを経てギリシヤに入るのも最早
時の問題ではなからうかと思ひます。これまで当方面は主として外交
工作に依るのであらうと観察されてをりましたが、最早現在ではそれ
以上に出る可能性が多分に存するのであります。
 この方面のイタリア軍の苦戦といふことは、何といつても枢軸側の
東部作戦に挫折を来たしたことは、争へぬところでありまして、米国
はこの機回逸するべからずと躍起になつて英国援助に乗出して来たの
であります。そこで米大統領はその腹心でありまするホプキンス前商
務官を、わざわざ英国へ渡らせました。さうしてホプキンスは一月十
日、チヤーチル首相、イーデン外相、ハリフアツクス駐米英国大使と
重要会談を遂げてをります。また大統領はフランスのペタンと親しき
間柄の、リーイ提督を大使としてヴイシーへ派遣してをります。また
フイリツプス駐伊米国大使を帰任せしめまして、イタリアの苦戦濃厚
なるにつけ込みまして、仏伊を英米陣営に引込まうと工作してゐるの
であります。現在の欧州の情勢は昨年九月危機を唱へられました当時
に比しまして、英国に稍々生色あるやに見受けられるのであります。
 而して前に申しました通り、枢軸側が優勢であることは疑ひ得ない
といたしましても、米国としては英国を見殺しには出来ない。なほ且
つ一縷の望みを持ち得るのでありまして、且つは英国に倒れられては
自分の存在が脅かされるので、退引ならず全力を挙げて対英援助に狂
奔してゐるのであります。このところ世界は洵に緊張の極点に達して
ゐると申さねばなりませぬ。かうなりますと、ドイツの英本土上陸侵
略が成功するや否やは、一つに懸つて米国の英国援助の質、量、並び
に速度にあるといふことになるのであります。
 そこで米国がどう出るかを観まするに、米国は一月十日国防強化法
案なるものを議会に提出してをります。この法案は先づ通過するもの
と見て差支へないのでありまするが。これは徹底的に英国を援助しよ
うといふ法案でありまして、第一線の戦争は英国がやる、米国は背後を
受持つて、武器、弾薬を無料で貸してやる、金の勘定は後のことといふ
わけなのでありまして、もしこの法律が実施されました場合には米国
の船でもつて米国の武器を送るといふことがあり得るのであります。
かうなりますると、通商破壊に従事してをりまするドイツ軍艦として、
ただ指を食はへて見てゐる筈がな
い。この両者の間の衝突は極めて
あり得ることと予想せられるので
あります。茲に於いて三国同盟条
約を締結してをりまする日本とい
たしましては、そこにいろいろの
段階があるといたしましても、結
局に於いて、帝国として非常に決
心せねばならぬ秋が来ると存じま
す。この意味に於きまして、我々
はこの方面に対しても、異常なる
関心を有つてをらねばならないと
思ふのであります。

(二月十日放送)