新しく発足した興亜奉公日に就て
あすの一日は、戦時生活の「燈明台」として新らしく出発す
る事になつた興亜奉公日である。「勤労と増産の輿亜奉公日」
として新らしい発足をしようとする最初の興亜奉公日である。
この再出発した興亜奉公日に就て解説しよう。
周知の如く興亜奉公日は一昨年の九月一日から実行されてゐ
た。当時政府は国民精神総動員委員会の「国民生活の要[ ][ ]の
趣旨を採り入れて之を定めたのである。それから今日まで約一
ケ年半のうちにこの興亜奉公日の意義は、よく国民に行きわた
り、毎月の一日は全国に自粛自戒の気風を作つて国民の精神を
引きしめて来たのである。しかし国民の中には自粛自戒を急ぐ
あまり、まるで火の消えたやうな無気力な一日を送る者もあつ
て「興亜」といふ颯爽として昂然たる趣旨にそはぬ消極的な一
日を送つて終ふ者も無い訳ではなかつたのである。
そこで大政翼賛会の国民生活指導部ではこれではいかぬ、
新体制下の奉公日は積極的に実行第一主義で行う自粛自戒のう
ちにも明朗、溌刺とした気分で毎月の一日を、新しく迎へた三
十日の出発点としよう、それでなければ興亜的でないといふ
意見から、まづ一般の輿論に問ねて、国民全体の心持をよく掴
んで遺憾のない所謂「新体制下の興亜奉公日」の新たな出発を
しようといふ事になつたのである。
それで先頃大政翼賛会が各府県の地方長官や翼賛会支部宛に
通知した新しい興亜奉公日の実践要綱に於いては、その最初に
興亜奉公日に国民の実行すベき事は重点主義として「勤労と増
産」の日とすることなど、新らしく発足する奉公日の意義を明
らかにしたのである。併しながら興亜奉公日が「その日全国民
が挙つて戦場の労苦を偲び自粛自戒之を実際生活の上に示す」
日である事に変りはない。
従つて新しい奉公日は銃後の国民が戦線の皇軍将兵と足並を
揃へて国家総力戦に参加してゐるといふ姿をとらねばならない
のである。その姿とは如何? それは職域奉公の精神で各人の
職場を守り、私利私慾を棄ててお国のためにうんと働く「額に
汗して働く姿」それより外の姿ではない筈である。即ち張り切
つた「勤労」こそが銃後国民の参戦の姿なのである。そして勤
労の成果は増産となる。そこでこれからのすなはち二月一日か
らの興亜奉公日は「勤労と増産の日」として国民全体が元来に
満ちた足どりで平常の日よりも一層力をこめて働く日といふ事
になつたのである。
(一月三十一日放送)