昭和十五年度海軍の戦果

今回妊今年度忙於ける帝南海革の戦果について述べ上う.
慧空丁は、今年度の悪事蒜鷲を学術支那の酢酸璧租
に頁時の雨を浴せ・凍蒋公路a那斬した・
 かくて聖戦第四年に於ける我が海軍の観開は、先.つ海軍紅茶
部隊の折檻を以て開始されたっ
そして或は海上の排貯忙・或は陸軍との協力作戦に、或は替
備作戦忙非常な取兵を収めたのである.允づ第二仏支那給岸の
ト【−手           カ†ク
封鎖から官へほ、支那沿岸五千浬忙亙る我が梅上封銘は、前年
忙引接き厳重に行はれたが、七月十五日には更にこの海上封鎖
の強化を音青し.次いで黎七月十六日から八月忙かけて.漸江
省の銀潅を始めとし、漸江、相建、贋常の主な港を改革して、
敵の陣地を破壊し、又ジャンクや荷揚の施醍等を破壊して、海
    くわんべ●
上封鎖の宋蜜を期した.
 衆に警備作動忙於ては、一月以釆揚千江滑岸に出演する魂敵
を掃萌すると共忙・櫻械水雷の鹿分には、連日連夜忙五つて、
非常な努力を彿ひ、椅子江水路の交洩線を確保してゐる.
 又陸革部緑の滞蕩戦に協力して、しばしば揚子江岸の奥地に
         くつがへ
入つて、敵の巣輝を黎した.
                          ♭くほ
 更に帝支那方面では、駿東附近を流れる珠江の水路を健保し


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′ヽ
治安の埼正に常わ、着人留成果を挙げてゐる.
 又海青島方面に放ては、三月上旬から陣取傑宅鴇化し、陸軍
朝晩の協力を待て・縦貯純な掃蕩取を開始卜、海軍部殴の満躍
は目覚ましいものがあつた.
 次に墟軍との協力作戦を見ると、二月にけ睦軍部竣の魯虎作
戦 つ士り山水牛島の全面的な梓蕩取に粁離して取払・三月に
は陸軍部隊の南支郵に掛ける第二次中山顆攻略取打協力し、越
えで∴ハ月には陸軍の宜昌攻略取に協力して、漢水の水路を確保
して、陸軍部珠の渡河及び鞄遠と援助し、同時に多数の飛行櫻
          ▲n上てん
シ位つて、敵の重要鳩郎を爆解した。
 桝▼えて九月忙は托蘇省高郷潮方面に於て、捧軍部暖の♯産軍
      亡んめっせん
¶k弟慣軍の域滅敢忙協力し、次いで十一月の下旬から行はれ
た陸軍部族の♯汚嚢末地医村化把際しては、多救の統基部牒を
      さ上て人
出丁敵〔後方撼鮎を煙拳し、非常な敬具を挙げ舟。
                       打め1わ−「▲r・h
 この間海軍航基部殊は、生麦郷の制寡樺を収めて掛横無轟の
活琴鑑竣け、陸上に江上忙海上忙あらゆる作戦忙協力して焉鳶
の射加を黎灯した□中支警屯所に甘く那軒襲誓始め敵の
交通路を破壊し、或は兵沌に逃げこん発散の峯革を政牛して、
              ′ヽわく
敵萎革の再建を封じるなど、帝人たる敢巣を皐げたのである.
とり分け敢の首都王慶に封しては、十二月二日茎に資に四十七
困忙亙る連続的の大婁狸を加へた。
一方ビルマ公路性十月十入日から再粥与れたが、我が海の詫
鷲の精銀佗経ちに椚勤し、一致必中の命中昭を以てビルマ公路
を完全に割賦した0
 かくて我が海軍舵基部殴が故に輿へた接客は、今年度に於て
敵の飛行撥を革放すること、確晋たるもの二召六十二.不確雀

なるもの二十三、合計して二百入十五横町達した.これに射し
                 ほ〔.−フ
我が方の損審は十一概であるが、事轡勃蟄以蘇敵の飛行樺の彰
破されたものは、硬筆なものと不確管なものを合せて、合計千
丸首二十八槻といふ政打上つてみる.
 これで争統憶忙於ける我が海軍の戦果について並べたが、我
が海軍作中南支給梓の封印を鈍化する残、今月の二十:首Hに封
   くわ′、だい
鎮隠城頒大を東宮した.この¶紙度亨はいよい1ニ一卜五日か■り
蟄動され.我デ前受郡艦隊は済来南方の首首地域に封L、作戦
ヽノ






を開始し敵の増輸入給舶忙封し、郡山欝峯を加へたと報ぜら
山てゐる.

(十二月二十七日放送)