巨星西園寺公逝く
臣下十一人目の国葬
西園寺公爵の薨去に関し、政府では、故公爵が、生前、国家
につくされた勲功に報ゆるため、国葬令による『国家ニ偉勲ア
ル者』として、特旨による、国葬を賜はるべき旨を、奏請して、
御裁可を仰いだ。
国葬に関しては、従来、格別の規定はなく、先例に基いて、
行はれてゐたが、大正十五年の十月二十一日に、勅令第百廿四
号を以て、国葬令が公布された。
国葬には、皇室に関するものと、臣民に関するものとがあり、
臣民に関するものは『国家ニ偉勲アル者ノ薨去、マタハ、死亡
シタルトキ、特旨ニヨリ、国葬ヲ賜ハル』場合である。この特
旨を以て、臣下に国葬を賜ふには、勅書を以つて、内閣総理大
臣がこれを公告する。その式は、内閣総理大臣勅裁を経て、こ
れを定め、葬儀当日は廃朝し、国民喪に服す。
国葬は国の大典として、行はれる葬儀であるから、すべて、
国葬は国の事務であり、その経費は国庫から支弁され、その事
務を、掌るものは、国の機関の地位を有つ。
臣下で国葬の栄誉に浴した人は、明治六年の岩倉具視公を初
めとして、島津久光、三條実美(さねとみ)、毛利元徳(もとのり)、島津忠義(ただよし)、
伊藤博文、大山巌、山県有朋、松方正義の九公爵と東郷平八郎元帥の
十人であつた。然し、松方公以前は、まだ大正十五年の国葬令
が発布される前であつたから、国葬令による国葬は、昭和九年
の東郷元帥と、今回の西園寺公の二人であり、そして西園寺公
の国葬は、臣下として、十一人目の国葬である。
葬儀委員長としては、近衛文麿公が当られるが、これは内閣
総理大臣としての資格ではなく、近衛公が生前、故公爵と特別
の縁故があつたによるものである。
西園寺公の一生こそは、そのまゝ日本の近代史である。
即ち封建制度を打破り、近代社会を建設し、更に自由主義的な
政治形態に、終止符を打つた西園寺公の生涯は、まことに、近
世日本の発展を物語るものであらう。
今や国家の前途、いよ/\多難な秋(とき)に当り西園寺公を失つた
ことは、国を挙げて哀悼措かざるところである。
(11月25日放送)
注・・・故西園寺公爵の国葬は十二月五日東京日比谷公園で厳かに執
行はれた。