英国が手を焼くパレスチナ問題
イギリスのパレスチナ問
題解決案を繞つて、又々聖
地パレスチナには、不穏の
空気が漲つてゐる。かくも
紛糾に紛糾を重ねてゐるパ
レスチナ問題とは、一体どういふものか、又之に対し、イギリ
スは何故快刀乱麻の対策を採り得ないのか、次にパレスチナ問
題の核心を衝いて見よう。
パレスチナは地中海の東海岸に臨み、シリアの南、トランス
ヨルダニアの西にあつて、面積は二万三千平方粁余り、我が四
国より少し大きい位のところで、その昔華やかな文化を誇つた
イスラエルの地である。キリスト教徒にとつても、聖地である
と共に、ユダヤ人にとつては、彼等の古い郷土であり聖地なの
である。このパレスチナを繞つて、アラビア人とユダヤ人の間
に争ひが展開げられ、長い間大英帝国をさん/"\手こずらして
ゐるが、このパレスチナ問題のおこりは、一体どこにあるので
あらうか。
因つてくるところは、世界大戦の当時まで遡るのであつて、
世界大戦当時、イギリスがアラビア人とユダヤ人の両方から、
力を借りたことに原因してゐるのである。
つまりイギリスは、敵国のトルコに対する政策上、アラビア
人の助けを借りようとし、時のエヂプト最高弁務官へンリー・
マクマーン将軍が大正四年にメッカのハッセン大守に対して、
その望むがまゝに一札を入れたのである。之が所謂マクマーン
文書で、その内容は、アラビア人がトルコに進撃して、その領
土を占領したならば、その土地にアラビア人が住むことを認め
るといふ約束で、実際はアラビア人の土地領有権を認めること
を約束したのである。かくてイギリスはアラビア人に対し、ト
ルコ帝国に叛旗を翻へして、聯合国側に協力するやうにすゝめ
たのである。
又他方聯合国側は、ユダヤ人の強力な財力を必要とし、一九
一七年(大正六年)に、当時のイギリスの外相バルフォア氏は、
ユダヤ人の財力の援助をうける代償として、戦争が終つたなら
ば、パレスチナにユダヤ民族の母国を復活し、建設することを
言明したのである。これがバルフォア宣言の経緯であるが、然
し特にイギリス自らがユダヤ人に対して、パレスチナに母国を
建設することを保証するに至つたのは、外に原因があつたので
ある。当時マンチェスター大学の教授であつたワイズマン博士
が、軍需品として必要な、或る合成金属を作ることに成功した
が、いち早く之に眼をつけたのが、時の陸軍大臣のロイド・ヂ
ョーヂで、早速ワイズマン博士に対して、取引を交渉した。と
ころがユダヤ人のワイズマン博士は、一文の権利金も要求せず
その代りにユダヤ人の安住地として、パレスチナに母国を作る
ことに、イギ
リスが尽力す
ることを希望
した。当時世
界大戦に全力
を傾けてゐた
イギリスが、
後日のことを
かへりみる余
裕もなく、ワ
イズマン博士
の希望を容れ
たことは、想
像に難くない
のである。
かやうにしでマクマーン文書は、パレスチナのアラビア人に
とつでは、虎の子の様に大切なものとなり、又バルフォア宣言
はユダヤ人にとつて唯一の楯となり、他日紛争の種がまかれた
のである。
世界大戦後パレスチナは、イギリスの委任統治領となり、バ
ルフォア宣言によつて、ユダヤ人が続々と入り込んだが、之に
対して、パレスチナに住んでゐるアラビア人は反感を昂め、大
正十年に及び、両者の対立抗争は遂に表面化するに至つた。そ
の後約二十年間、パレスチナを繞る、アラビア人とユダヤ人の
闘争が展開されて来た。
この間イギリスは、パレスチナを三つに分けようといふ案を
出したり、又は今年の二月に、ロンドンでパレスチナ会議を開
いたりして、問題の解決に努めて来たが、流石のイギリスも全
く手を焼いてゐる形である。今回イギリスが提出した解決案に
せよ、早くもユダヤ人の反対に会つてゐる始末である。
パレスチナ問題を根本的に解決するためには、アラビア人か
ユタヤ人か、どちらかの民族をパレスチナから他の土地に移
住させる以外には、解決の方法がないと見られてゐる。がかや
うな根本的な対策に、乗りだすことが出来ないところに、イギ
リスの悩があるのであつて、パレスチナに於ける、八十万のア
ラビア人の背後には、全世界に亘る三億二千万の回数徒が控へ、
又パレスチナの四十万人近くのユダヤ人の後には、ユダヤ財閥
の強力な背景があるのである。
従つてイギリスのパレスチナ問題に対する政策は、直ちにこ
の方面に影響を齎すもので、特に印度の回教徒は割合親英的な
色彩が強いが、この印度の回教徒はパレスチナ問題に注目を怠
らず、又回教国であるイラクの石油は、イギリスに欠くことの
出来ないものである。
一方ユダヤ財閥の存在は、イギリスとしてはどうしても必要
なものであり、かくてイギリスは非常な窮地に陥つてゐるので
ある。かやうにパレスチナ問題の影響するところは相当重大な
のであつて、近東の一小国にすぎない聖地パレスチナを繞る紛
争が、世界の注目を惹いてゐる所以も此処にあるのである。
(五月十九日放送)