中国臨時、維新両政府の関税改正

 北支の巾閑晰時政府と小
          けふy
丈の小図維新政府は協議の
結典、同時に駒代政府によ
        はいぐ巾いてさ
つて制定された耕外的、と
           かいはい
りわけ排口的な粥税を改憤
         りしつ・し
して新しい税率を制出し、夫々六月一日から概施することに決
史し、その新税率が正月三十一日公家された。
 拘税とは或る図に輸入されたり、叉その固から輸‖される甥
物にかけられる和税であつて、通例輸入税、輪〓税、通過税の三
椀に分けられてゐる。然し松川n…に課税される場合の輸川枕と
いふものは棟であつて、多くは輸入口…にかける輸入税であり、
従つて普通に閑枕といふ場合には輸入税を意味することが多い
のである。輸入税は、囲の財政上の収入をあげるためとか、囲
  え、フち
内の幼稚な産紫を保護助長させるためとか、図防上必姿とする
団円産紫を助成するためとか、外図のダンピングを防ぐためと
か、輸入制限とか、金の流山を防ぐとか首つたやうないろ′\
の目的から課税されるのである。
 ∵普通に紳枕と音へば、多くの場合この輸入税を窓味するので
あるが」然し支那では従来から輸出税があ勺、今回之に就ても
枕率の改訂が行はれたことは三十一‖和泊された辿りである.
 幽枕はせ外各関北ハその故人に於て砿姿な地帖を占めてゐるの
であるが、とりわけ文那に於ては椴も大きな歳入となつてゐる
のであを。特に凶托政府になつてからは排外的、とりわけ排‖
的な糾い捌松をかけてゐたため.的税収人は組械入の桝剤以上
を占めるといふ兆介に、拘托政府の歳入に於て粥も大きな部分
を占めてゐたのである。
 既に報赦されてゐるやうに、今別の刷枇改加は渋る一〃二十
                       ノけんていてさ
二日から北竜の小駒臨時政府によつて粁沌nれた野火的な改爪
に攻・いで、之を祁流すると同時に、北淡と小雀との糾地方の剛
税率を一元的に統−し、且つ之迄の耕口的な耗率の剛税を大槻
に於いて、−九三一年(昭利六年)に制滋された排口を加味しな
い税率に郎らせたものである。
 元来雀那の輸入税は昭和例年の一月迄は全部紺外的との條糾
                 じけうか     ’じ叫ん     じ抄うり山r)甘い
によつて協允された従憫茄分を避準とした従最税又は従椚托
分税であつたが、その年の二月一口から俗に七柳井等税率とい
はれる去節税率を渋施したのであつて、之により七十飴牛この
方一律に茄分であった輸入税が、この時から七分滋虚乃至山刺
七分茄度となつたのであち.翌昭和五年茄Hになつて完全に陶
枕自主械を回復した竜郷ば、小池に始めて開定税率を制定し、耶
和六年に一月一‖から貨施したのであつた。この時の南光輸入
税率は茄分から先制に至る十二級に分れてゐるものであるが∵
その後その年のヒHと、昭和七年竺二月と八川及び八年の−‖
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に部分的改穴が行はれて、輸入税率は八分から八割に至る十八
級となつたのであつた。
                            lん山・ヤ・フ
 桝が昭利八年の五月に至り日支紬税協定の布教桝削が満了と
なるや、支那は忽ち輸入税率衣の根本的改正を待つて、祝日の
分類を改めると址ハに税率も引上げて之を賓施したのであるが.
梨昭和九年の六月に更に之を改正し、七月から之を賓施したの
である.






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 その従僻
率は茄分か
ら八創造の
十川級に別
れてゐるの
であつて、
之が事蟹柵
に於ける攻
那の輸入鶴
率となつてゐたのであるが、この税率は特に口本商品に封して
は排d踊枕阜璧再はれる稗特別試いものであつたため、我が封
ま愉山はこ1数年雑非常な打輝を受けてゐたのである。この排
     てつはい                           か・)せ・小
日紺枕の搬臍方に糊して戦が政府は凶代政府に対して歴々交渉
を待つてゐたものである¢
         一 人Y l
 中開蛸時政府はさきに北雀那に於ける各栴糊をその手に収め
ると同時に、去る一月二十二‖からこの幽代政府の制出した州
税二百花十川‖…日に封して應念的な改訂を加へたのであるが、
小簡緋新政府と協議の給水更に今回の帥税改水を断行し、非常
な高率であつた輸入税率を、瀦越の昭利六年に制定された排‖
を加味しない税率に夜伽させたのであつて、之遥と此収して税
率はほゞ牛減され、北竜と小まに柑する眠りに於ては之迄の不
合珊瀬】應訂正jれることになつたわけであつて、この事は戟
駒の北竜及び小雀に対する封易に、今後一般の明朗を加へるも
のとして批迎すべきことであるが、之漑亦紺外囲にとつても放
  心たひ
迎に解するものと認められるのである.
  何櫓口税に就ては昨年十月出陣、上海方晰で改正堆施されてゐた
 税率を北父方耐にも架施することになつたが、柑口税とはどういふ
 関税かと冨へば、箕郷が関税白熊楠を回復する前に於てほ、輸出入
 枕の外に子日払と沿蝉貿易挽といふものがあつたのであつて・手口
 税は輸出入品に射する一切の内地税に代るもの、叉治拝賀易挽とは
 外閉型の柵舶による支那品の沿岸貿易に緑せられた関税であるが・
 関税自薮桃何故後、支那は新しい輸出入税を米施する代りに、子口
 祝と沿坪貿易枕を昭和五年別り柑厳したのであるが、昭和六年以後
 輸〓に射して税収人の減少を祁ふといふ横山でこの輔口税を新しく
 作つて餅施したものである。
  っまり摘口枕は支郷品の閑内通過枕の一種とも冨ふべきもので、
 専ら沿梓に移出される内閲産の指物に硯せられる許高ナある。
                     (∬月三十一口放送)
(曾)