絶大な勢力をもつ華僑 

010-0012


 仏領印度支那の西貢(サイゴン)地方では華僑による排日が激化
し、僅か二百人に過ぎない同地の我が在留同胞は、筆紙にも尽し
難い苦しみをなめてゐるといふニュースが伝へられてゐる。西貢は
仏領印度支那の縛部、交批支那の首府で、フランス東洋柁隊の根接地であ
るが、此虚で排日騒ぎをやつて我が同胞を菅しめてゐる、華僑
とは一倍どういふものであらうか.
       汝くぜん
 華僑とは靡い漠然とした意味では、海外にゐる支那人めこと
 井−上フし上、}
を徳和するのであるが、次い意味で音ふ場合には、海外にゐる
交那人の移民とその子孫を徳和することもあり、要するに年ば
ていじや)               でかせざにん
定住してゐる海外の支那人出稼人と、外閲に在つて先任的に生
前し朽勤する支那人を親和して官ふのである.
 然らばこの華僑は一牌どの位の人数かと官へば、その全盛時
代には一千常人以上が世界の各地に散在してゐたとの事でぁる
が、その後炊洲大戦後の世界的不最新、各開放府の華僑磨迫汲
策、淋洲事髄以来の日本南米の海外進出特によつて、次第に投
,’く        はんえい
落して行き、昔杜の紫柴はなく、その人数ち今日では六百常人
から六百五十常人位だらうと推計されてゐる.減つたとは育つ
                      ヽ▲て−ノ
ても、今日僻六百飴萬の多数を擁するこの華僑は、外因に於け
るその活動、殊に紅潮所動やその住んでゐる土地に於ける経済
    寸、くし抄せいりよ・・        し袖                   もミづ
的な特殊勢力(この勢力は主として彼等の経済所動に基くもの
                                ヽ− ▲よ
やある)とか、支部本国に対して経済的政治的に香典してゐる
こと等から見て、世外的に統日すべき存在といはなければなら
ない.殊に最近こそ減づてゐるやうであるが、その全盛時代に
は桝替刃にも上つたといはれe、この華僑の本固への遽金が、
       ● にふて・フくわ
年永久的に年々輸入超過に背しむ支那の封外留易の.ハランスを
       ▲丁く巾hツ はた
とる上に大きな役割を果してゐること1、支部の産集を辻代化
              ●’Jlせl
させる動力である支那資本の蓄積に、この拳僑が演じた重襲な
              ム
役割とは、妃代支那の経済を秩る場合に快くことの出来ない正
賓性を持つてゐるのである.
 上越のやうに今日灸世界に於ける華僑の教は六宵萬人から六
古井十鵜人といはれるがその畑剣道は東洋にゐるのであつて、
その中でもシャムの二宮五十常人、英領馬瀬及海峡椅民地の古
七十常人、蘭偶発印度の官二十萌鉄人、彿領印度支那の四十飴
常人等が主なものである。命日木内地にもこ常人位ゐると計算
されてゐる.かやうに準備の大部分を占める東洋華僑の中心を
なすものは之等南洋準備で、彼等はその住んでわる土地に於て
        も†れつ
南米その他に従来猛烈な経済所勅を行ひ、之によつて強大な経
済的勢力を持つてゐるのであつて、濁水牛島のジヨホール正明
には宮豪が多く之迄華僑の本場と迄いはれ、又シャムでは同囲
   ち††、フ
の経済中枢に深く根を張つてゐるとの事である.
 鋸南民政府はこの華偶の保謹及び取締と、その敬展向上を促
すために、一九二六年(昭和元年)に南京に僑務委員禽を設ける
                        ▲り・bい
と共に、支那移民が出入する門戸である上海、虞門、その他の
各地に僑絆局といふ役桝を設けたりして華僑に約する封柴を行
はせて非たのであつた.ハ十二月二十滋日故老)