南京城内の
東部から北部

 十日午後一時半を期して
南京城総攻撃の火蓋を切つ
て落した皇軍は、神速果敢
な攻撃によつて、光華門を
始めその他の各城門を矢継
早やに占拠し、城頭高く感激の日章旗を掲げ、更に残敵を掃蕩
して戦果を拡大中である。
 南京に就ては之迄いろいろ述べて来たが、今回は今後南京攻
略のニュースを聴く上の参考迄に、南京城内の主な建物に就て
簡単に述べて見る事にしよう。
 南京の城廓は周囲十一里、北京に次ぐ大きな城で、城内には
山あり池あり繁華な市街地があるかと思へば、寂しい田園地帯
もあり、故宮飛行場のような広い飛行場迄あるといふ、広大なも
のであるが、城壁に設けられた十余個の城門の中、南京の東に
ある中山陵へ通ずる中山路に沿つた城門が、目下我軍が殺到し
て激戦中と伝へられる中山門である。この中山門は数年前堅固
に改造されたもので、三つの
アーチがあり、このアーチに
は鉄の扉があるが、中山門を
入つて城内を東西に連ねる大
道、中山東路を西に進み此の
故宮を過ぎると北の方富貴山
の麓に中央軍官学校の建物が
ある。この中央軍官学校は我
国の陸軍士官学校に当るもの
であるが、その広さは南北が
一米、求西が五百米といふ広
さを持つてをり、中央に本科
生徒を収容する立派な二階建
の本館があり、前門を入つて
右側には予科、左側には特別訓練班の建物がある外、東北の角
には支那の軍事最高統率機関である軍事委員会、更にこの軍官
学校の北には軍事委員長の官舎がある。又この軍官学校の南に
は励志社といふものがあるが、之は支那の新生活運動の現はれ
として行はれる例の集団結婚の式場などに用ひられるもので、
青屋根の頗るモダーンな建物である。又附近にはアメリカ系の
中央病院といふのもある。
 それから更に中山東路を西に進み、南京市内を通つてゐる南
京市鉄道の踏切りを越して行くと、右手つまり北の方に国民政
府、参謀本部、行政院の三つの建物が一団を為して建てられて
ゐる。之は昔の総督衙門であつた所で、概して何れも古ぼけた
建物である。国民政府は二階建で昨年完成した立派な饗宴場が
あるが、参謀本部の方は昔のままの平屋建のバラックを使つて
をり、又行政院は二階建で昔の建物を改造したものであるが、
大したものではなく、行政院会議の開かれる会議室等も貧窮極
るものである。
 中山東路を更に西に進めば新街口と呼ばれる広場があるが、
ここから右の方つまり北へ向つて通つてゐる中山路について北
に進んで行くと、西側に司法院がある。この司法院は十年前に
建てられた大きなものであるが、更に北進すると西側に有名な
鼓楼がある。その楼上には高く青天白日旗が掲げられ、正午に
はサイレンを鳴してゐたものである。この鼓楼と相対して西側
に我が総領事館の建物や、アメリカ系の金陵大学等があり、又
東の方には北極閣、気象台、鶏鳴寺等の名勝旧蹟もあり、又山
頂には宋支文の別荘等もあつたが、今は全く対日抗戦の要塞と
化して了つてゐる。又北極閣の南には国民政府五院の一つであ
る考試院や、支那国立大学である中央大学がある。
 再び中山北路に道をとつて北上して行くと、東側に外交部の
建物がある。之は外観は洋式、中は支那式の装飾をした瀟洒な
建物で、構内には外交部長の官邸があるが、之は大したもので
はない。それから更に行くと、同じ東側に中国旅行社の経営に
かかる中央飯店がある.之は一昨年完成した南京第一のモダン
なホテルであるが、外交部の建物もモダーンで、而もこの二つ
の建物は接近してゐる為め、外交部がよくホテルと間違はれる
といつたやうな笑話があるさうである。更に北に逃めば東側に
軍政部がある。之は昔の兵営を改造したもので、建物も従つて
旧式な貧弱極るものであるが、その一寸先に鉄道部と交通部と
が道路をはさんで相対してゐる。この二つはそれぞれ二百万円
も工費をかけたと言ふだけあつて、青い瓦に赤い柱の外貌は支
那式、内部は洋式の三、四階建の宏壮なもので、殊に交通部等
は一寸見ると、結婚式の式場ででもあるかのやうな感じを与へ
る建物であり、又鉄道部の裏の方には鉄道部長の官邸や、鉄道
職員の為めの独身官舎等もある。之等の建物の間を通つて少し
北に行くと東側に海軍部がある。この海軍部は古い建物を改造
したものであるが、未だに独身でゐる海軍部長の陳紹寛が、非
常に几帳面な人である為め、この海軍部だけは支那には珍しい
程綺麗に整頓されてゐるさうである。ここから直ぐに南京の西
北の城門である江門に達し、やがて下関に出るわけである。
之等の官衙、学校、軍事機関の建物等を除けば、その他の一般
の建物は上海のやうな大きなものは少いやうで、中央飯店とか
新街口の南にある中央商場(勧工場[ママ]の如きもの)等が主な建物で
あらう。そして青い瓦に赤い柱を誇つた支那式な建物も、事変後
は我航空隊の猛烈な空襲に脅えて、屋根を灰色に塗つて了ひ灰
一色となつて了つてゐるのである。又我が猛烈な爆撃や自ら放
つた火等によつて上に述べた建物も、今では殆んど大部分が破
壊されてゐるやうである。 (十二月十一日放送)