第三号 目次   (昭和12年11月11日発行)
遂に陥落した廟行鎭大場鎭 10.26
京滬鉄道と滬杭甬鉄道 10.27
公使館を儲けた南阿聯邦 10.28
蒙古聯盟自治政府成立まで 10.29
飛行機からの投下爆弾 10.30
上海の租界 10.31
敵の眼を眩す煙幕 11.1
我国と関係の密接な福建省 11.2
海の天使病院船 11.3
九国会議の立役者 11.4
満洲国の治外法権撤廃 11.5

我]園ヾ十山関係の
密接な編建省
 我海軍航宗抜は十月三十
】日二回に亘り紺建省の首
 ふくしう
府締州を爆撃したと報滋さ
れた.網建省はま郷本部の
氷南に位する省で来は凝滞
海峡に臨み、粥は仙繹嶺山脈を以つて江西省と墳し、北は新托省
南は臍架省に夫々接してゐる.両棲といふ呼び名は締州、松寧
               びん
榊肘の頭字から取つたもむで別に間省といふ名もあ川元の代か
ら山つの省とされてゐる.面積は十二茶千五十干方粁でま那各
竹小汁蘇斬江の粥省に次ぐ小さな省である.
 地勢は祭省表に海抜千米位の趨岬頂西方を仙定額山脈が来北
                           山 い
 から西鯛へと発つてを柏1その巾に楓鎗とか仙霞嶺(別名を武東山
 とも言ふレ等の高峰が撃乙、萌さ三千米に適する山も、るが西方か
                          ほ−ん
 ら東方の海岸へかけて段入に低くなつてゐる.その問を陶江ハこの
  河は長さ的五官粁、本省最大の何である)和江其他の河川が西から
 東へと流れて海に注いでをり、之等の河川は何れも沖蓮の位を持ち
 其流域には小さい乍らも肥沃な平野が開けてゐる.東部の海岸鍬は
  屈曲に富み島も大小渾山有つて艮沌も少くない.
  気候は概して維熱帯的で渦和であるが七月から九月にかけてほ鞄
 凰の襲来を受けることが多く、その襟にほ非常な大雨が降ることが
  あり全安邪中最も大雨の降る所として知られてゐる.
  人口は戸数が宵八十一帯四千飴戸で、人口一千宵九十入富七千飴
 人、人口の照喋は一平方粁九十九人飴となつてを畑、箕郷本部各省
        ち・1点っ
 中必しも人口の粕叶な土地とは富へないが、省内は山地が多くて
 桝地に乏しい積め人口は概して過弛を解げ、海外各地へ出稼する者
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 が多く、所謂華僑として海外に出かけて行つた者の牧は之迄賀に放
 冨蕗人に上つてゐる。而して之等輩療が故郷の家族へ遠金したり又
 投資として逸金する金額は莫大なもので、それによつて本省は非常
                  ・巾 l・
 に恵まれてをりこの遼金材は厚門に向けられるものだけでも年四†
  ナール
 萬に上ると推定されてゐる.伶本省の住民について特記すべき革
                                た lヽ
 はその種桝が非常に多いことで、種族は甘地沌人の外山部に悲民と
                      しt}
 いふものがあり、叉連絨な土地には禽客と糾する未開の種族もをり
  その他いろいろの種族か住んでゐる。
    本省の産業
 農業を主として農家の戸数は官六十二甫充千飴戸で線戸数の
七刺故に常り農民の教頻八百四十天草二千鉄人を赦へられる.
又耕地桝秋は水出、畑地の合計二千三宮二十九稀畝(一畝は我
が百八十坪)で、仝省の殆んどが山地で平野に乏しい壊め、良
        いただ■−
民は殆んど山の演進も新作し階段状に悶畑をつくつてゐるが耕
地南輯は二千三百二十九鞘畝に過ぎす、支那公省中山香耕地両
   }し払て1           †くな
積の少い費州省よりは住に二十九乾畝多く少■い方での第二位を
 ハめてゐる。かやうに料地が少いため米、歩、小奔、努、大豆
 竹郁々の作物は瀬川されるとは首ふも山の輿漆卿は多い方では
            lU}つ、い−く
 ない。米は二毛作となつてゐるがそれ・でも足らす不足の分を他
 箭絹洋等から輸入してゐる。その他作物としては斐煉革、茶、
 廿鞘等があげられ特に茶が有名で締州茶は世界でも最上品とさ
 れてゐる.茶の移輸川紹は出蛸時には年攣亨琴冗を超えた革
 もあつたが今はすつかりさぴれてゐる.
   商売は水牛を虫とし羊、豚、鞄等何れも相酋の産鶴はあるが他省
  に比較して本省の特産と糾すべきものほ無い。林産は本省が雨が多
 く気温が汚くて箕郷の内でも最も秋葉に滴する土地である馬臥舶・
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  椅、枚、杉、竹等を始め山地は何れも帝誉たる森林に蔽はれてをり
  材木はオ造本省の重歩物産と柄せられ数年前の好況時代にほ移輸出
  耕は年抑二千笹井を超え、茶.批難と共に線移輸出朝の大部分を占め
  てゐた.水産は海岸柑の河曲が多く且大小無数の鳥かあつて好漁勒
  を籍してゐるため、魚糾その他海産物の窪#が多く、又支郷に於け
  ろ男の窪地として有召で農の産村は胃飽満石と網されてゐる.飴色
  は鍬物の種糾、坤枚盈.煎衝鵜に飴り興宮な方ではない.石浜を立
  とし共糠故地ほ末億嘲といはれるが、喪斬は佳かに年五蒔噸に過ぎ
  ない状態である。共他繊、鵡鉛、鉛、モyプヂソ、金、大理石等が
  あげられてゐるが其東新は極めて少いやうである。エ菜としては製
                                                             l■■■一】 ′
  茶菓製糖築製油紫製紙業を主としてゐる。交流ほ接遇が僅かに滞庇
      †亨しよ
  均道の山部音柳汀架橋問二十八軒が布設されたに過ぎず而も此繊道
  も政糾その他の和偶のため避桝されてゐない有様である.
    本省と日本との関係
       ・小くし1            き八ヾ−キ)
 本省の首府は和州に乾か山m地場担晰州、厨門、三郡汲の三

ケ桝あり細州、屁門の粥地には我線桝寄附が泣かれ.凝滞何胞
も多く、本年四月−日現在の調杏では耐州は二千人、犀川は七
千宮元十人となつてゐる.
 最後に本省について特記すペきことは本省が婁海港峡を楠て
                †んしん
て我が凝滞と粕封してゐる翔係上前清時代和が明治三十一年四
月に日支粥団撃ノ締建を他国に割譲したいといふ條約が結ばれ
てをり、叉東郷政府は大正桝年には締建滑岸地方に放て外図に
対して軍事上の施設を行ふことを許さない旨を我国に審約して
ゐるのである。(十小月二日放遜)