紅卍字会とは

 皇軍の支那軍掃蕩によつ
て再び平和の多を取り戻し
た土地には、支那民衆の救
済や復興に大童の活動をし
てゐる治安維持会と共に、
紅卍字(かうまんじ)会といふものが活躍してゐることがよく報ぜられるが、
此の紆卍字会とは如何なる団体か?
 紅卍字会は今日の支那を見るものゝ忘れてはならぬ存在で、
信濃新興宗教運動の一つである道院の社会事業部である。説
明の都合上先づ道院(だうゐん)から述べれば之は民国九年即ち大正九年の
頃洪解全と劉福緑なる両人が山東省の済南で経典をつくり道場
を設けたのに始まるもので、老子、孔子、釈迦、キリスト、マ
ホメツトの五人の聖者を五教主と称して担ぎ上げ、又扶(ふち)とい
ふものがあつて神がかりの事などが行はれる。此の宗教運動発
生後まだいくらも年を経てはゐないが、現在では支那全国は素
より満洲国迄伝道され、各地に支部を擁し会員の数も相当多数
に上る模様である。南京政府は先に之を秘密結社の一種として
解散を命じたこともあるが効目は無かつたやうである。紆卍字
会は此の道院の社会事業部とも言ふべきもので道院が神霊に接
し各個人の得度、修養の機関であるのに対し、紆卍字会は慈善
博愛の事業を行ふ機関で、道院の信徒は一面紆卍字会の会員で
ある。道院の発生した翌々年即ち大正十一年に、道院と同じく
済南に生れたもので本部は現在北平に置かれてゐるが、各道院
の支部には必づ本会の支部が設けられてあつて、救済事業乃至
一般社命事業を相当大規模に行つてゐるやうで、大正十二年の
関東大震災の時にも罹災民救恤のため活動したことがあり又南
京事件、昭和四年のソヴイエトと支那との衝突事件の時等にも
相当働いてゐたやうである。(十月十六日放送)