支那軍の迫撃砲、手榴弾

 迫撃砲は近距離に於ける
攻防戦のために作られたも
ので歩兵砲の一種といふこ
とが出来る。陣地、機関銃
陣その他等の所謂破壊を目
的とする大砲等とは違つて、直接人馬の殺傷を目的とするもの
である。重迫撃砲と軽迫撃砲との二種類あり、重迫撃砲は砲身
が一米半、人間二人位で持ち搬ぶことが出来其威力も相当大な
るものがある。軽迫撃砲は砲身は一米位一人でかついで行ける
位のもので、皇軍が嘗て使用してゐた曲射歩兵砲位の大きさの
ものである。弾道は急な山形の曲線を描いて飛ぶやうに出来て
をり、弾は恰度飛行機の爆弾と同じやうに弾の後方に羽根がつ
いてゐてそれが廻り乍ら弾が飛ぶのである。之を発射する時に
は距離に応じて火薬の分量を加減して射撃することが出来る。
又弾は鋼鉄製で之が破裂すると細い破片となつて四散するが、
迫撃砲は構造が簡単で又操作も容易な上大きいものでも二人位
で持ち搬ぶことが出来るものであるから、狭い塹壕の中でも自
由に動かすことが出来又何処に据ゑても直ぐ打てるといふ調法
なものである。そこで支那軍は上海戦線といはず、北支戦線で
も迫撃砲を整備し、迫撃砲部隊さへ編成して平時から訓練をし
てゐたとの事である。
 次に手榴弾はすりこぎのやうな恰好をしてゐて中に火薬が詰
めてあり、支那兵は之を五六本胸の前にぶらさげてゐて、敵味
方が接近して戦ふ場合に之を抛げつけるのであるが使用法が極
めて簡単なため支那軍は之をよく使ふ.併し之を発火させてか
ら破裂する迄には多少の時間があるので、余り速からず又遅か
らずといふ頃合を見計つて抛げなければならないのでこの点に
相当の訓練が要るわけであるが、敵兵の手榴弾抛擲技術には未
熟なものがあつて余り早く抛げ過ぎたりするため、我軍の陣地
に落ちても破裂するのに間のある時など、勇敢な我が将士は矢
庭に之を拾つて敵に抛げ返へし、為に敵兵は自分の抛げた手榴
弾のため却て自分の命を失ふといつたやうなこともある。
                     (十月六日放送)