暴戻極まる支那の抗日教育


 今臨時議会の劈頭近衛内
閣総理大臣は貴衆両院に於
て、事変に対する帝国の毅
然たる方針を明かにし、断
乎として、暴支膺懲の積極
的態度に出づるのやむなきに実つた事情を説いて、挙国一致の
協力を要望したが、この演説の中に次のやうな一節があつた事
は、最も注目を惹いた所であつた。

 抑も一國が特定の他の一國を排斥侮蔑することを以てその國策と
なし、國民教育の方針として斯る思想を幼少なる兒童の頭脳に迄
注入するが如きことは、古今東西の歴史に於て未だ嘗て類例を見ざ
る所で、是が將來に於ける結果を考ふる時には、獨り日支兩國の國
交のみならず、東洋の平和延ては全世界の平和の爲に、眞に寒
心に堪へないものがあるのである。帝國政府としては從來、屡々支
那政府に對し、その態度を更めることを要求したに拘らず毫も顧み
る所無く、遂に今次の事變を惹起せしむるに至つたのである。かく
の如き國家に對してその反省を求むるために、帝國が 斷乎一撃を加
ふるの決意をなしたることは、獨り帝國の自衞の爲のみならず、正義
人道の上から見ても、極めて當然のことなりと固く信じて疑はぬもの
である。


といふ一節があるのである。寔に支那が多年に亘つて、我国に
加へて来た排日、抗日、侮日の行為は、歴史上類例を見ない不
埒暴戻極るものであるが、今回はこの支那の排日運動とりわけ
抗日数育について説明することにしよう。
 支那の排日運動は今から約三十年前の明治四十一年に起つた
もので、その後昭和六年の満州事変前迄二十三年間に、約八回
の排日が行はれたのであつた。そして満洲事変を原因とする排
日運動が、所謂第九回目の排日運動であるが、それから後今日
迄は排日運動はのべつ幕なしに行はれてをり、特に第何回と名
をつける訳にも行かない程なのである。
 かやうにもう三十年にも亘つて行はれてゐる運動であるか
ら、従つて排日の手段、方法に放ても、色々と手を変へ品を変
へてやつて来てゐるのであつて、例へば次のやうな方法が行は
れてゐるのである。

 第一 日貨排斥即ち日本品を売つたり買つたり運搬したり使用した
     りしないこと
 第二 日本人との取引禁止、日本品だけでなく、一切の商品を日本
     人が売つたり買つたりすることを禁止し、日本人との銀行取
     引を禁じ、日本の船に乗つたり、貨物を積込んだり荷を卸し
     たりすることを禁じ、日本人の倉庫を使ふことを禁止し、日
     本人の水先案内人仲買人弁護士に依頼することを禁じ、日本
     人に雇はれないとのこと等
 第三 既に出来上つてゐる取引を破約したり契約を履行しないこと
     や債務を履行しないこと等
 第四 日本人の営業を妨害すること日本人の使つてゐる支那人に止
     めろと脅迫したり、日本人の家に出入する支那商人を監視し
     て出入りさせないやうにしたり、郵便迄も妨害すること
 第五 日本人の生活に対する妨害で食料品、日用品の供給を断つた
     り、交通住居を脅かしたり、日本人の家庭で使つてゐる支那
     人を脅迫して止めさせること等
 第六 支那国産品の奨励
 第七 反日宣伝
 第八 反日訓練
 第九 反日規約に違反した者に対する制裁

等が挙げられ、まだこの外にも色々とあるのであるが、凡そ人
間の頭で考へられることは何でも考へ出して来るのである。こ
んな事にかけては支邦人は実際天才と言つてもいいのである。
 扨て以上のやうな排日方法手段の中で一番深刻なのは反日
訓練で、教科書に排日教材を使つたり、学校の記念日に排日講
演をやつたりする事であつて、之が所謂抗日教育なのである。
支那の教科書はまだ国定教科書でなく、上海の商務印書館と
か、中華書局とか云ふ大きな本屋で編纂したものを南京政府の
教育部で検定するのであるが、本屋としては、本の売行きをよ
くするために、競争で排日教材を出来るだけ多く盛ることにな
るのである。或人が昭和四年頃満州で支那の教科書を調査した
所、五百余章の中三百二十余章も排日教材を発見したさうであ
る。

          ○

 かうした抗日教育が行はれ出したのは、既に大正八年の第四
回の排日騒ぎの時からで、かれこれ十八年にもなるのであつ
て、その頃七、入歳であつた児童は今日ではもう一廉の青年に
なつてゐるわけである。教育の仕方一つで白くも黒くもなる純
真な児童に二十年近くも排日、抗日を教へてゐれば、否でも応
でも排日的にならうではないか。だがそれにしても最初のうち
はこの抗日教育といふものもさまで深刻なものではなかつた
が、併し昭和三年に国民党が天下を取つてからの抗日教育は更
に徹底したもので、教育部は全支那の小学校に絶えず新しい排
日数材をくばり、童謡、童話の類に迄排日思想を植えつけてゐ
るのであつて、小学校に上る前から徹底的な排日教育が施され
てゐるわけである。而も抗日教育は小学生に対してだけでなく
やや長じた学生、大学生、大人に対しても勿論行はれてゐるの
である。
 講演だ、デモだ、学生義勇軍だで学校の授業はそつちのけ
で、排日運動に没頭してゐるのであつて、中等以上の学校は凡
て、排日専門学校と言つても過言ではない。又大人に対する抗
日教育は新聞雑誌の領分であつて、排日記事さへ載せてをけば
売行きがいいので、営業本位の支那の新聞雑誌としては、勢ひ
排日記事を沢山のせることになるのである。之も最初のうちは
多愛もない与太排日記事が多かつたのであるが、近頃では聞き
かじりの経済論を振り廻して、日本の資源がどうの財政がどう
のと、生意気極る御託をならべ、あげくの果ては支那は日本に
敗けるはずはない等と排日よりも侮日に傾いて来てゐるのであ
る。
 かつては孔子、孟子を生み、その教へを尊しとしてゐた国と
か言はれる支那が、その国民を教へる教育に当つて、他の国を
排斥せよとか、他の国民を侮蔑せよとかいふやうな、教育を施
してゐることは独り日支両国の国交の為のみならず、東洋の平
和延いては全世界の平和の為めに真に寒心に堪へないものがあ
るので、帝国政府は之迄も度々外交交渉を以つて、抗日教育を
禁止することを要求して来たのであるが、支那は毫も顧みる所
なく、遂に今次の事変を惹き起さしめるに至つたのであつて、
かやうな国家に対してその反省を求めるため、帝国が断乎とし
て一撃を加へるの決意をし、その決意を貫徹するため邁進しつ
つあることは実に独り帝国の自衛の為ばかりでなく、正義人道
の上から云つても当然極まることといはなければならないので
ある。

(九月八日放送)